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風に乗って
(文中に一部過激な描写(性被害を想起させる描写)がある為ブラウザバック推奨です。文章内の固有名詞は敬称略でお送りさせて頂きます。)
例えば貴方がアイドルグループ(バンドでも良いだろう)を応援していたとしよう。
貴方はそのグループの事が大好きで、メンバーの事も全員大好きだ。…とりわけお気に入りのメンバーは居るかもしれないけれど。
貴方はそのグループの事が本当に大好きで、メンバーが脱退するだとか、逆に新メンバーが加入するだとか、そんな事は考えられない。解散なんてもってのほかだ。
そう思っていると仮定しよう。その立場になってみないと気持ちはわからないだろうけれども、とりあえずそういう事にしておこう。
では、そのグループのメンバーがグループ以外の活動に精を出していたら、貴方はどう思うだろうか?
私がSTARTO ENTERTAINMENT社所属のアイドルグループ・NEWSの増田貴久、通称まっすーの事が大好きだという話はこれまでのnoteでもう何度もしてきた。それこそ彼への気持ちが定期的に抱えきれなくなってしまう為彼に関する長文のnoteを幾つもしたためるほどに。
「貴女とは初めましてなのですが」
という方には申し訳ないけれども、そうなのだ。これも、とりあえずそういう事にしておこう。
そんな彼が、自身の所属するグループへの愛が極めて強い彼が、ソロアルバムを発売しソロコンサートを開催する事になった。
私の贔屓目を差し引いても、NEWSは元々歌唱力の高いグループであると思う。厳密に言うと、年月を経るごとに歌唱力をぐんぐんと上げて来たグループだと思う。応援歌をリリースし、それをフェスなど外部で披露する事も多い。歌唱力や熱量という点でお褒めの言葉に与る事もそれなりにあるグループだと私は認識している。そのなかでも彼はとりわけ高い歌唱力を持っていた。表現力が突出しているのだ。技術があるのは勿論の事だが、彼にはメンバーの慶ちゃんこと小山慶一郎やシゲこと加藤シゲアキには見えないものが見えている事がある。曰く
「歌に景色や色が見える」
らしい。私はある種の共感覚(1つの感覚から複数の感覚が引き起こされる現象)の類なのではないかと思っているけれども、彼に見えているものが何なのかはこの際どうでも良い。彼にそれが見えているという事実そのものが重要なのだ。彼は人の意見を素直に受け止める柔軟さを持ちながらも自分を強く信じる事ができる人間であり、自分の中にある表現を大切にする人だ。
彼は歌のデモを聴き、自身の中で噛み砕いて彼なりに歌う。彼の信じた表現で。そして時に彼は「俳優」として様々な役を演じる。刑事、高校生、ミュージシャン、挙句の果てには人の和を乱す迷惑者など。バラエティ番組に出演してとぼけた様子を見せたかと思えば、憮然とした顔で自分の意見を主張してスタジオを凍らせる事もあるし真面目な顔で企画に挑む時もある。彼は自身を1つの作品に例える。彼の存在、生き様、人生、それら全てが「増田貴久」という作品であるらしい。その話を聞く度に私は彼を水の様な人だと思う。水は温度に応じて水蒸気や氷に変化する。入る器によって見かけも随分変わっていく。金魚鉢の中で金魚を生かす事もあれば、噴水から噴き上がる事もある。時に澄み、時に汚れる。それでも水は水である。あらゆるものを溶かし、生き物を生かす唯一無二の液体。奇しくも水泳は彼の特技の1つで、彼はライフセーバーの資格を持っている。
そんな彼が歌うから響くものもあると思う。それは決して慶ちゃんやシゲの歌が下手とかそういう話ではなく。
何の話だったか。ソロアルバムが出せるほど、彼の歌唱力が高いという話だ。
小山慶一郎と加藤シゲアキには様々な特技がある。それは手話であったり、小説であったり。小山に関しては趣味のキャンプが仕事になった。それに引き換え増田貴久には趣味がない。厳密には彼は洋服が大好きで、それが高じて連載を持ったりそれが書籍化されたりしているのだけれども。有名な大学を卒業した訳でもなければ目立つ特技も多くはない。彼は他のメンバーに比べるとほんの少し口下手で不器用なのだ。
でも彼には歌とダンスがあった。「鬼滅の刃」で例えると、小山と加藤が竈門炭治郎や嘴平伊之助なのであれば、増田はさながら我妻善逸なのだと思う。この例えが失礼に当たらないのかは、私にもわからないけれど。ただ1つの技を極め続ける。極めた歌声を武器に道を切り開く。彼は多分、そういう人だ。
最近、あの事務所のアイドルでソロ活動をする人が多い。元々小説家として活動していたシゲもそうだし、ニュースキャスターとして活動していた慶ちゃんも居る。他には嵐のメンバーであるニノこと二宮和也の様に俳優として活動してきた人も今までに沢山居た。敢えて今回はそれ以外の人達の話をしよう。例えば私の大好きなアイドルグループ・SixTONESのメンバーであるきょもこと京本大我であったり、Travis Japanのメンバーである川島如恵留などがそうだ。KAT-TUNのメンバーである亀梨和也などはもっと早くからソロコンサートなど活動していた様に思うし、SixTONESのメンバーであるジェシーはいつか自身の愛する歌謡曲でカバーアルバムを出してみたいと目をキラキラさせて語っていた。
そんな彼らが決まって口にする言葉がある。
「グループの為に」「グループに還元」
そういった趣旨の言葉だ。
ソロ活動に勤しむ彼らはまるでグループの和を乱す存在に見えるのだろうか、彼らは決まってそういった事を言う印象がある。
グループでの活動とは異なる仕事をするという事は、当たり前だがそれだけ別に労力と時間がかかるという事だ。そのメンバーが居ない事でグループの活動が減るという事でもある。バンドでいえばボーカルが居なければ演奏できないのは言うまでもない。簡単な事だ。もし1人で活動する事が楽しければそのまま脱退、という事もあり得る。
ファンは変化を嫌う。メンバーの脱退や加入はやむを得ない事情でもない限り最も反発を招く瞬間の1つと言っても過言ではないだろう。だからファンはソロ活動をするメンバーが出る事を不安に思う。そんなファンの為に彼らは言うのだろう。
「グループに還元できる様に」
と。その言葉は当人の強いグループ愛を示すものになり、ファンを安心させる。
では私はどうか?私はというと、
「バッカじゃねーの、偽善者ぶんなよバカ!」
と思っている。口が悪くて申し訳ない。
当たり前だが、グループに還元する意思があろうとソロ活動はあくまでもやりたい事の筈だ。そうであってくれないと困る。何というか、それを
「グループの為に」
などと言われてしまうと捻くれている私にはそれが段々言い訳の様に聞こえてくる。
「やりたいからやるんです、以上です」
では駄目なのだろうか?そんなに「グループ」が大切なのだろうか?私はそんな事を思ってしまう。失礼な話だ。
もっと自分本位ではいけないのだろうか?勿論労力や時間のかかるソロ活動なのだからそれなりにメリットがないと困るだろうけれども、例えば何の意味もなく旅に出てみるとか、それでは駄目なのだろうか?駄目なのだろうな。本当はわかっている。私は大人を、社会を舐めているのだとも思う。
ついでにいうと、私はソロ活動に精を出すアイドルの体調も心配になる。当たり前だが、グループ活動以外にソロ活動もあるという事は、それだけ休める時間が減るし、疲労も溜まるという事だ。現に2024年12月現在川島如恵留が活動を休止しているのは、ソロ活動とグループ活動が重なった事により蓄積した疲労と全く無関係とは絶対言えないと私は思う。しゃかりきに働くのは良いが、心身を壊されたら困る。彼らの活躍を見られない時間があるのは寂しいし、単純に彼らにはいつだって笑っていて欲しいのだ。メンバーの体調をついで扱いするのもそれはそれでどうかと思うが。
もう少し私の話をしよう。ここまで読んで呆れたならブラウザバックして欲しいし、まだ付き合える人はもう少しお付き合い願いたい。しかしながら今回もまた長々と話してしまいそうな予感がするから、別にここで全員ブラウザバックして貰っても構わないとも思う。
まっすーがソロアルバムを出すと聞いて私はパニックになった。NEWSをこよなく愛する彼がソロ活動をしようと考えるなど、私の予想を大きく外れていたからだ。
同時に凄く嬉しかった。私が未だに彼の事を追い続けているのは、約3年前に放送された音楽番組を見ていて彼の歌声に心を揺さぶられたからだ。なので、彼の歌声だけを堪能できる機会があるという事はシンプルに嬉しい事だった。これはNEWSとしての活動を軽視しているものでも、慶ちゃんやシゲは必要ないという意見とも異なる事をご承知願いたい。
それでも。それでも私は不安だった。
私はきょもやのえるくんの事を見ていたのでメンバーの積極的なソロ活動には比較的慣れている方だと思う。シゲの書く文章も好きで、著作を幾つか読ませて貰ったしこれからも読むつもりだ。SixTONESのメンバーであるほっくんこと松村北斗をはじめとしたメンバーの出演ドラマはなるべく見る様にしている。見れない事も多いけれど。私が見逃したドラマの中で今一番後悔しているのはtimeleszのメンバーである菊池風磨が主演を務め、Travis Japanのメンバーであるしめちゃんこと七五三掛龍也が出演していた「私たちが恋する理由」だと言っても過言ではない。…いや、ちょっと過言でした。ごめんなさい。
そんな私でも、増田貴久がソロアルバムを出すと聞いて嬉しさと同時に不安を感じた。この理由を私なりに考察してみたところ、その理由は
「NEWSとしての活動が減少するかもしれないから」
と
「増田貴久は『変わらない』を信条とするアイドルであるから」
という2点に集約されそうだ。
まず、NEWSは元々グループ活動が多くない。活動歴は20年を越え、アイドルとしてはベテランの部類にも入る。事務所の後押しもそろそろ後輩へ移動していく頃合いだ。
ただ、NEWSは大御所と呼ばれるには些か勢いが弱いのだ。度重なるメンバーの不祥事や脱退によって世間のイメージが悪い事は、私が研究室の飲み会の席で先輩に
「NEWSのファンなんて居る訳ないじゃん!」
と言われた事からもわかる。
そして、増田貴久は変化を好まない。この言い方はかなり語弊がある。
何一つ変わらずにアイドルとして活動する事が不可能な事など、メンバーを幾度も失い、幾度も解散の危機に直面した彼自身が一番よくわかっている筈だ。
だからこそ彼は変化を好まない。欲がないかといえばそういう事ではない。メンバーと変わらず活動を続ける事がいかに難しいか、奇跡に近い事かわかっているからこそ、彼の夢は
「小山とシゲとずーっと一緒に歌っていたい!」
なのだ。真の意味で現状維持を続けるには「変わらない為に」変化し続けなければならないと彼が言っていたのを私はよく覚えている。
だから、彼がソロアルバムを出すと知っても脳裏に脱退の2文字がよぎる事はなかった。彼がそんな事をする筈がない事を、慶ちゃんとシゲが彼の背中を押してくれた事を私はよくわかっていた。彼の1st ソロアルバム「喜怒哀楽」の公式サイトのURLは「takahisamasuda-from-news」で、そのURL自体が彼もまた「グループの為に」ソロ活動をするつもりなのだという事を示している様に思えた。かつてメンバーの山下智久と錦戸亮がグループを脱退した際に
「自分はNEWSの為に何ができるだろう」
と考えていた加藤シゲアキと同じ様に。
それでも不安はあるのが、私の厄介なところなのだけれど。
本当は私だってわかっている。
彼らの言う
「グループに還元」
という言葉は本当だ。ファンを安心させる為の綺麗事じゃない。とりあえず私はそう思っている。だからここまでの長ったらしい私の文章は彼らの意志を完璧に踏み躙るものなのだ。万が一ここまで読んで腹を立てている人は、すぐブラウザバックして私をブロックして私の事など忘れて欲しい。
私は「SixTONESの京本大我」や「Travis Japanの川島如恵留」が好きなのと同様に「NEWSの増田貴久」が好きなのであって、私以外に同じ様に考えている人はそれなりの数居る筈で、恐らく彼らもそれをわかっている。そして多分彼らも自分の居場所を好きで居るのだと思う。彼らの気持ちは彼らにしかわからないので実際のところは何とも言えないけれども、そうであると信じている。
彼らがソロ活動で得た成果をグループに持ち帰れば何かしらの変化が起きるだろう。グループとしての表現力が向上するとか、他のメンバーがソロ活動を行う時の足がかりになるとか、単純に彼らの個人の仕事がきっかけでファンが増えるとか。自分も楽しくてグループに良い事があるならみんなハッピーだ。
だから彼らの言う
「グループの為」
というのはあながち間違いではないのだ。
…というのが私の見立てである。
私は人の為に生きる事などできないし、かといって自分を大切にする方法も知らないので彼らを少々羨ましく思う気持ちもない事もない。
とりあえず私はきょもやのえるくんを眺めていて嫌な思いをした事がないので、多分まっすーのソロ活動を追いかけても悪い様にはならないだろう。私の勘はよく外れるが、この勘だけは外さない自信がある。
増田は同期で親友でもあるKAT-TUNのメンバー、中丸雄一と「増田貴久・中丸雄一のますまるらじお」という番組をやっていて、現在はアシスタントのみやみやこと宮島咲良と共に諸事情で活動を休止している中丸の分までラジオを守っている。
そんな彼がますまるらじおでソロアルバムの話をしていたらしいという話を風の噂で耳にしていたのだけれども、地域外なので私はそのラジオが聴けないのである。早い事母親と交渉してradikoにエリアフリー機能を入れられたら良いのだけれども。
翌日彼の個人ブログ「増田貴久の○○」を読んだ。
ブログの内容は簡潔で、けれども彼がソロアルバムを出すにあたって考えていた事が書かれていた。
NEWSが20周年を迎えた年に環境が大きく変化した事、その際に「増田貴久は何ができるのか」と問われた様な気がした事、増田貴久がどういう作品なのか自分でも確かめたくなった事、最初に浮かんだのが「1人で音楽をやってみる」だった事。その文章を読んで私は増田貴久に対してとんでもない思い違いをしていた事に気づいた。
かつてSTARTO ENTERTAINMENT社がジャニーズ事務所という名前だった事、創業者のジャニー喜多川の性加害疑惑問題が原因で社名が変更され一部タレントの退所や契約形態の変化が起こった事はご存知の通りだ。
被害者のフラッシュバックを防ぐ為に社名を変更する様に迫られた割に世間は未だに旧ジャニーズ旧ジャニーズの大合唱なので、ここでは便宜上被害者の方への配慮はなしにさせて貰う事にする。別に構わないだろう、何故なら皮肉な事にタレント達と会社以外は誰一人被害者に配慮などしていないのだから。こんな事を言ったら私は誰かに断罪されるだろうか?
社名が変更になる前にNEWSのファンクラブから届いた会報の事を私は今でも覚えている。
NEWSが結成20周年を迎えたという事でメンバーの3人に様々な質問をするコーナーがあったのだ。その中に3人に特技に関する質問があった。小山と加藤がそれぞれに特技を挙げる中、増田がたった一言、
「ジャニーズ。」
と言い残した事を、私は今でも鮮明に覚えている。彼が憔悴した様子だった事も、彼のライブMCでの発言がスポーツ紙に載った事で炎上し、事務所が謝罪に追い込まれた事も、ブログで謝罪した彼が暫くブログもInstagramも更新しなかった事も。ずっと、私は覚えている。これからも、多分忘れられないと思う。
あの事務所の肩書きを愛していた彼は、環境が目まぐるしく変化していく中自分の存在意義についてずっと考えていたのだろう。
事務所が変わっていく。グループとしてだけではなく、個人としても活動し易くなっていく。やりたい事がよりやり易くなる。今までよりもずっと自由に。
京本大我や川島如恵留が時流を読んでいた様に、増田貴久もまた時流を読んでいたのかもしれない。
そして動いた。掴んだものがギターケースとカメラかペンかマイクかが違っただけだ。
ファンが不安がる事、批判的な意見が出る事を聡明な彼らが想定しない訳がない。それでも動いたし、それでもなおファンの事を信じたのだ。いつ離れていくかもわからない赤の他人の事を。正直そんな軽々しく信じられてもこちらは当惑するしかないのだけれど。
ブログには
「戦ってみます!」
という言葉があった。彼がそんな強い言葉を使っているところを私は見た事がなかった。
「なんだって出来る事を、証明します。」
とも書かれていた。
ジャニーズ。世間一般からすると「たかが顔が良いだけでチヤホヤされてきた奴ら」を意味する言葉。差別と侮蔑の象徴であり、悪意と精液塗れの穢れた称号。
それでも彼らには誇りだったし、「かっこいい」「なんでもできる」を意味する言葉だった。
これは、愛した肩書きを失ってもステージで戦い続ける「NEWSの増田貴久の存在証明」なのだろう。
母親の見ていたベストアーティストの録画をたまたま見たあの日から、その真っ直ぐな歌声を追いかけてここまで歩いてきてしまった。
彼の軽率な言動や行動に傷ついたり呆れた事も1度や2度ではない。
「こんな奴大嫌いだ」
と思ってグッズを捨てようと思った日もある。
それでも嫌いになれなかった。
私は彼の型破りで伸びやかな感性が好きで、大口を叩いていても本当は緊張しいで謙虚なところが好きで、おっとりしていて気遣い屋で優しいところが好きだった。
飄々としていて掴みどころがないところも、自由奔放なのに真面目なところも、褒められたがりで褒められると満更でもなさそうににんまり笑うところも、クールでドライな様に見えて周りの人達を大切にするところも、コロコロ表情が変わるところも、感極まるとすぐに泣き出してしまうところも大好きだった。
その小さい様で大きい背中はいつだって頼もしかったし、何度もその背中に守って貰ってきた事もわかっている。
彼を見てきた時間は長くはない。秘密主義の彼の事で私が知る事は多くない。それでも何も知らない訳じゃない。
真面目に企画に挑んでも詰めが甘くて成功できないところを何度も見てきた。
そして私は知っている。
どうしようもないピンチに陥った彼が、信じられない強運で全てをひっくり返してしまう時がある事を。
そんな彼は誰が何と言おうと私にとってはスーパースターだった。
アイドルは、「アイドルだから、何でもできる」。
私の大好きな人達が、私に教えてくれた事だ。
それは彼だって同じだ。苦手な事も多い彼は、それでもなんだってできるし何処へだって行ける。
振り返ってこちらを見つめる瞳がどれだけ不安げに揺れても、頷いて駆け出していく彼は絶対にやり遂げる。
「増田貴久は、アイドルだから」。
紙飛行機は向かい風が吹いている時の方がよく飛ぶらしい。
紙飛行機は、風を掴んで空を飛ぶ。