「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ビジネスでの人間関係について

最近珍しく「それは<坊主憎けりゃ袈裟まで憎い>ってやつだね」っていう言葉を短期間で3回言った。

それは全て上司との不和に対して。

みんな上司との関係で大変だな、と思いながらもこの言葉は面白いと思ったので、ビジネスでの人間関係と絡めてこの言葉について考えてみる。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」は嫌いということなのか

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」が似合う上司部下の関係は、部下が上司のことを嫌いになって、一挙手一投足が嫌いになるパターン。

そこで言う「嫌い」は感情のことなので、「人間として嫌い」と思いきや、実はそれまで他愛のないこととかを話していたりして、嫌いとは思えないような行動をしている。

この裏付けとして、本当に嫌いな場合は、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」なんて言葉で無理やり他も付随して嫌いなんて言わずに、全部嫌いっていう方がしっくりくる。

つまり、仕事上の人間関係での「嫌い」というのは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」が似合うようなものであり、人間として嫌いというわけではないのだ。

では何が嫌いなのかということなのだが、私の考える結論から先にいうと「仕事においての自分への関わり方」「それを取り巻くその人の考え方」だ。

仕事上で何か無茶なことされた(力関係による理不尽)、仕事の進め方に納得いかないが理不尽に強行された(こちらの能力がある場合の理不尽)、こういう場合の悪感情が「ビジネス上嫌い」である。

そして、その人と関わるのが仕事上であることが圧倒的に多かったり、私達が仕事に関わる時間が長いので、「ビジネス上」という接頭辞が消えて「嫌い」ということになる。

ちょっと脱線するが、それでもリカバリできる場合がある。仕事を離れて人間的に好きか嫌いかは私にはこんな感じに見えている

3. 大好き(必ずしも恋愛とは限らない。プライベートなことを話せるなど含める) 
2. 好き
 1. 悪い印象は持っていない・好印象を持っている(ポテンシャル含め)
 0. フラット・どうとも思っていない
-1. 少し嫌
-2. 嫌い
-3. 大嫌い

これが2以上の場合は仕事上の失敗があっても信頼関係から取り戻せたり、部下が無理やり自分で抱え込むということが起こる。
-1 ~ 1あたりだとビジネス上の失敗があったときに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」が起こる。
-2以下はビジネス上の失敗の有無関係なしに嫌い。

まぁ大抵仕事での人間関係なんて0,1くらいなので、リカバリは難しそうだけど。

ビジネス上嫌いは大きい

ここからわかることは、人間的に嫌いじゃなくても、ビジネス上嫌いになられるだけで関係が破綻する可能性があるということだ。

言い換えると、仕事の進め方が下手だったり、リスペクトがないと、仕事人生でいい関係を築きにくいということだ。

というのも、ビジネス上嫌われる要因は誰かと仕事をするときの仕事の進め方やリスペクトだからだ。

仕事をする時間が長い現代日本人にとって、仕事での関係は人間関係の中でも多くを占めるためビジネス力はことのほか大事になる。
(だからこそ、その人間について、人間的に好きかよりも、ビジネスの場にいる以上ビジネス的観点でしか見ることはできず、ゆえにビジネスの場では「ビジネス上嫌い」=「嫌い」が成り立つかもしれない)

こんなこと言っておきながら人付き合いや人との仕事があまりうまくないので、精進しやす

おまけ - 派生形

今回は部下から見る上司の嫌いについて話したが、これには派生形が考えられる。

突き詰めるとビジネス上の嫌いは、相手の仕事の仕方が嫌いと言える。仕事の仕方への悪感情を口にするとそれは「仕事の仕方への指摘」となり、それはビジネスの場であることと感情の増幅を含めると、接頭辞がなくなり言葉が肥大化し、「悪口」となる。

となると、部下から上司に対して指摘が伝わった場合(直接的・間接的問わず)、悪口を言われたと感じる場合があることは想像に難くない。これは部下→上司の指摘に限らないかもだが。

同様にして、辛いときに辛いと言えないサラリーマンの心情もこれで説明できる場合がある。仕事で辛いと伝えることは、上司の振る仕事が辛いということで、悪口を言うように感じられるからだ。それを気にして辛さが小さいうちからも我慢し、大きくなっても言えず、潰れてしまったり、嫌いになって問題を転化したり、会社をやめたりする。

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