部屋のきれいさのグラデーション。片付けられない人の叫び

私、人から見ると片付けられない人だけど、そんなに悪いものじゃないって言いたい。

自分の部屋がきれいとは言わないが「自分はどこに何が置いてあるかわかるから自分としては片付いている」と典型的な反論をすることも多く、自分としては筋が通っていると思っている。

ルンバが通るくらいには床にものは散らばっていないし、ホコリは散見されるけど、生活動線はルンバできれいになっている。どこに何があるかはわかっているし、しまうときには決まった場所にしまう。物が多いのは確かだが、それだけである。

これでいいじゃない、と思う。

ただ、この家を批評する人は、「ゴミ屋敷になったら〜」とか「きれいな家っていうのは〜」と語る。ひどい人に至っては自分のことを棚に上げて現実の生活から離れた話までする。
自分の家がきれいとは言えないが、ゴミ屋敷と比べるのは極端じゃないかと思う。生活に対する解像度が低すぎる。

部屋のきれいさのグラデーション

部屋のきれいさは「きれい/汚い」の二値論理ではなくてグラデーションがある。

最初に極であるきれい/汚いを設定してみる。
一つの極としての「きれい」は「あまりに整然としていて、生活感が感じられないほど整っている」レベルと設定する。汚さ度合いは0点

他方の極としての「汚い」は「ゴミ屋敷。ゴミが散乱したり、どこに何があるかわからない、足の踏み場がないなど本人ですら苦労することがあったり、他の住人から苦情が来る」レベルと設定する。汚さ度合い100点

実際の現実的なきれいは、そこに生活する人の生活感がどうしても出るために汚さ0点とは言えないと思われる。
きれいに掃除がされていて、床にホコリや毛が落ちておらず、意図された家具配置で余白空間が優雅さをかきたてる、そんな感じが、現実にあるきれいな家だろう。
恐らく汚さレベル0点から比べると10~30点くらいと思われる。10点でも生活感がないといわれるくらい。

同様に現実的に汚いと言われる家は、いつのゴミかわからないゴミが点在している、床にものが点在しているという、自身or誰かが迷惑を被るような家かと思われる。
100点の汚さに比べたらそこまで汚くないと言えるが、70点あたりから汚いと言われても文句が言えない汚さと言えると思われる。

私が冒頭に挙げた部屋は70点の例に挙げたような部屋ではないと思われる。恐らく汚さレベル50点くらいかな、と。
つまり、「少し部屋が散らかっている」というのは「きれいでない」というだけで「汚い」というほどではないかな、と自分で理解した。

1000字近く使って、自分の部屋は汚くはないと自己弁護してみた


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