「産んでくれって頼んだわけじゃない」はクソ発言だけど正論。本当の意味では「自分が生まれてきた理由」っていうのは内部要因ではなさそう
「自分が生まれてきた理由」「なんで生まれてきたんだろう」とかってよくテーマになりますよね。映画やマンガのテーマになったり、ふと真面目に考えたり、たまに人と話したり。でも答えが出ないんですよね。
ちょっとした答えを考えられた気がするので、記事を書いてみたんですが、身も蓋もない答えになってしまいました。
「自分が生まれてきた理由」は「親が産みたかったから」です笑
身もふたもないですがこれが答えな気がします。
・夫婦が子供好きで自分の子供を育てたかった
・かすがいとして子供が欲しかった
・社会通念や家のしきたりという背景により、子供を産まないと白い目で見られるから
これらが理由な気がします。親が産みたかったからという、子供にとっては外部要因なんですよね。なので内省して内部要因を探ってもはっきりとした答えは出ない気がします。
ですので「産んでくれなんて頼んでないから」っていう言葉って最悪な親不孝発言として受け取られますが、そのとおりなんですよね。親のエゴで産まされたのに、「ちゃんと血統よく生きろ」っていう十字架を背負わされるって理不尽で。まぁ儒教道徳的な親を敬えみたいな考えから言うと不敬なんでしょうが。
私も死にたいってわけではなく、生きててもいいと思ってますが、「もう一度やりたいくらい人生最高」と思えるわけではないですね。
なので「生きてるの辛い」「死にたい」っていう人に対して「生きてるって素敵やん」「なんでこんないい人生っていうものを楽しもうって思わないの?」とかっていう声かけは絶対できないです。
人間は「マイナスに敏感でプラスに鈍感である」というのを小耳に挟んだことがあり、そのおかげで生存確率が上がっているとは思うんですけど、長く生きる身からすると嫌ですよね。トータルで見るとマイナスに感じる度合いが多いですし、普通に対しても悲観的に思うのに。
また、「生まれた理由」の派生版として「生まれた意味」「生まれた使命」みたいなことも考えられますが、理由がこんな外的要因なので、意味や使命もよくわかんないですが、極論は外的要因で語れちゃう気がします。
まぁロマンティックなテーマなので、自己陶酔できて自分が納得できる理由があればいいと思うんですけどね。
あと、生まれてきた理由は身も蓋もなくても、生きる理由とか意味っていう生まれてきてしまった後の指針の方が大事だと思います
身も蓋もなく救いのないことをいっちゃってすいません。
おしまい。