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2021年9月16日(木)

今日は朝から聖書をしっかり学んでいた。なんだか罪にまみれたような気がしていたのだ。私は人より罪悪感が強い方だと思う。食べ過ぎたり、テレビに夢中になりすぎたり、口の禍が過ぎたり…何事もほどほどにと言うのを超えてしまうと、すぐに落ち込んでしまう。

ところでケルシープラムという幻のすももをご存知だろうか?山梨や山形でとれる美しい緑色のプラムである。アダムやイブが最初に食べた果実はどんなだろう?きっとこのプラムのようにそれほど甘くはなく、それでもやみつきになるような不可思議な味わいに違いない。私は珍しい果物を食べるたびにアダムやイブを思い出す。

私は普段寝たきりで、この5年家事は夫がやっている。文字通り、上げ膳据え膳なのだけれど、夫は愚痴1つ言わない。そのかわり家の財政は夫に全て任せている。買い物から銀行まわり、私の印税の管理や年金の細かい申請に至るまで、すべて夫の管轄だ。私はあまり贅沢は言わないようにするし、だからといって辛抱には過ぎない。果物は私のとっておきの贅沢だ。私はあまり甘いものを食べないので、毎日果物があれば満面の笑顔である。

寝ていると世の中のことがわからないので、イチジクや桃、イチゴの在庫など、私では見ることができない。また夫は決まったものしか買わないので、スーパーをくまなく回るわけではない。しかしひとたび私の果物の注文が入ると、家の周辺3つ4つのスーパーを巡ってくれる。

FacebookやInstagramで美しい写真が上がると私はしょげてしまう。みんながキラキラした食べ物のつぶやきを楽しむ中、私が行くところはアルコール消毒の効いた病院しかないからだ。だから思いきりしょげてみせると、夫は必死に励まそうとおいしそうな果物を手に入れてくる。

そんな中やってきたのがケルシープラムだった。小ぶりなひょうたん型で手になじむ形をしており、艶やかで美しい色合いがなんとも言えない。まさに神さまが創造された果実であろう。中は白い果肉で歯応えも良く、かぶりつくのにもってこいである。そして中央に赤い小さな種がある。

スマートフォンで調べたらあまり出回らない幻のプラムとあった。出会えたのも神さまの恵み。私はこの初秋はプラムを味わい尽くそうと思った。

そんなふうにして日々は過ぎてゆく。私の罪はプラムの種にもならない。もうすっかり贖われ、新しい木に宿るからだ。そして夫は新しい果実を求めて今日も走る。

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