2021年9月23日(木)
昨日は1尾250円の高級さんまをかぼすや大根おろしをしっかり添えていただいたのですが、本当においしかった。でも夜になってから例によって腹痛発作が起き、七転八倒の苦しみでした。夫が「せっかくの高級さんまだ。吐かないで欲しい」と言うので、脂汗を流しながらアイシングして堪えました。
ところで先日、お世話になった方々に、夫の実家でとれた新米をお送りしました。このうち麻酔科の先生から、自家製レバーパテとりんごのスプリットが送られてきました。この先生は鈴が鳴るような声でお話をなさり、診察の際にはオーラが溢れんばかりで、私はうっとりとしたものでした。この先生の家でとれたかぼすをたくさん頂いたこともあり、昨日はさんま定食なのでした。
私は考え出すと穴にすっぽり入り込んでしまって出て来れないのだけれど、それでもここにいるのは時間の無駄だ!さあ出て○○しよう!とスイッチを切り替えるのの達人でもあります。どうも私の持ち味は時間の無駄ということが引き金のようです。これは父の教育によるところが大きいと思います。
私の父はある素材メーカーの役員をしていて、とても時間に追われていました。「言いたいことは1分で伝えきれ!」と言われて、よく吟味してからしゃべる癖をつけたものです。父は晩年は病に伏していましたが、それでも力の及ぶ限り、私をレディーに育てあげようと苦心してくれました。カクテルやルージュの選び方、食事のマナーなど、父から教わった事は数え切れません。
そんな父が私に手をあげようとしたことが1度だけありました。私がピアノの練習をしなかった時です。父はそのことで悩み抜いていた母に対して、心から謝りなさい、これは遺言だ、お母さんと仲良くしなさい!と言って私をじっと見つめました。父の大きな目に見据えられると、私は嘘がつけないような気がして、手をついて謝ったものでした。
麻酔科の教授にしても、父にしても、その人その人のオーラがあります。オーラは目には見えないけれど、気づく人にはその人の良さが輪をかけて現れ、まるで残り香のように記憶に留めます。
目を瞑ると、私の人生から去っていった人々が手を振っています。私は何を残すのだろう。薬師丸ひろ子さんに似ているらしい声かしら?なんてね。
おしまい。
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