2021年9月6日(月)
今日は朝から大学病院の脳神経内科に行ってきました。少し前にお話しした、物忘れや見当識障害について詳しく調べて欲しかったのです。
精神科医からはせん妄ではないかと言う診断が降っていたのですが、やはりそれが正しいみたいで、私に脳の障害は認められないようでした。
ところで神様と言うのは、私たちと愛し合いたいので、必死に話しかけてくださっています。私などはそれを幻聴だと思わないように、大きな心で捉えることが秘訣になります。私はそんなこともあって、自分の精神科医がクリスチャンであることに疑問を抱いてきました。果たして先生には神様の声が聞こえているのかなーって…。
神様はろくろを回して陶器を作るように私たちを作られたと言います。土から作られたわたしたち。そのどれもが神様の愛すべき作品で、欠陥品ではありません。私のような遺伝子疾患を持って生まれてきたものでも神様は投げつけたりはしません。
執拗に頭に浮かんだり、同じことを人に言われたり、またそれを文章で目にしたり、考えていることと状況が重なったり…およそ10通りの方法で神様は私たちに語られるといいます。
私は今日ちょっとしたテストを行いましたが、神経内科では診察そのものがテストなのだと言います。今日の日付や既往歴、飲んでいるお薬や、最近あった出来事など、先生を騙すことはできません。私たちはあらゆる場面で、取り繕おうとします。失敗は恥だからです。そんな私たちの失敗からも神様は善いものを生み出します。
私たちは大船に乗って、愛されて役立っていることを受け入れたらいいのですが、なかなかどうしてそれが出来ないので、つまづくのです。
テストの最中に五つの道具を見せられましたが、5分後には忘れていました。私が思い出せないことにこだわると、先生は笑いながら大丈夫だよと言ってくれました。そばで見ていた夫が、彼女のこだわりが問題なのでは? と案じていました。
今日の日記はめちゃくちゃですね。神様が私たちに話しかけたいことも、私が手術を前に落ち込んでいることも、うまく書けなかった。私の心の有り様は、ただもがいて苦しんでいるとしか皆さんに映らないでしょうか。
ホントはただただ健康な体が欲しい。みんながうらやましい。羨みと恨めしいは似ている。私はいつのまにか生き霊にでもなりはしないか?
そんな思いで玄関の扉を開けて部屋に入ったら、愛する絹子(うさぎ)が待ち構えていて、私は一気に幸せになりました。
そんな愛すべき存在になりたいです。
おしまい。
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