中高生の頃の夢の純粋さ
「企画でメシを食っていく」通称 #企画メシ という、電通・阿部広太郎さん主宰の講座に通っている。
◆参照・企画メシ
阿部さんは新卒で電通に入るも、人事に配属。
「向いていない」と言われながらも「3年でダメだったら出してもらって構いません」と宣言と共に死に物狂いでクリエイティブテストに合格。成果を出せずにもがき苦しみ続けた3年目に宣伝会議賞を受賞。
今や林修先生の「今でしょ」をはじめとしたたくさんのコピーの生みの親です。
この度阿部さんが2年前に出された著書「待っていても、はじまらない」(弘文堂)」をnote上で全文公開されました・・・!
◆参照・全文公開「待っていても、はじまらない」(弘文堂)」
今回の阿部さんの全文公開を見て、何度も聞いているエピソードもあらためてグサグサと来た。特に
僕が本気で好きなことを仕事にするために、何一つ努力せず、
勝手に諦めて、誤魔化していた自分が、情けなくて仕方がなかった。
という言葉が今の私にとっては響いた。
中学生や高校生の頃、とても純粋で時にバカなレベルの夢を持っていた。今は純粋に夢をみること自体「どうせ」と諦めている自分がいやしないだろうか。叶えるための行動の以前の、夢を見ること自体。
一番恐れていたつまらない大人になっていっているのを認めざるを得ないことを痛感した。
中高生のころの私のアホな夢で思い出せるのは下記だ。
①T.M.Revolutionへ作詞作曲をした楽曲を提供したい
②桑田佳祐に会いたい
当時T.M.Revolutionが流行っていて、私も大好きな歌手だった。一方で「どの曲も似ている」と思っていた私は「作詞作曲を勉強して違う系統の歌を歌ってほしい」と思っていた。
その熱をもった少女は図書館で作詞作曲の本を借りる。しかしそれ以降の記憶がない。きっと本格的に取り組む前に辞めたのだろう。
また、桑田佳祐さんが大好きで「生で会いたい」と思っていた。そのころは真剣に「どうしたら会えるんだろう?」と思っていた。一方「バカなレベルの夢を持つなんて現実的ではない」とも心の片隅で思っていたことを覚えている。
どこかキレイに収めようとしていた癖が当時からあったように思う。夢は現実的に抱くもので、また高尚な理由を伴うべきものと思っていたと思う。
阿部さんの全文を読んで、企画メシに通って、夢のきっかけなんてそんなことで全然よくて、自分の心に素直になるべきだと痛感する。
キレイに収めている場合でも、人目を気にしている場合でもない。
中高生のころから大分大人になった私だけれど”つまらない大人”にならないように自分にできることやりたいことを全力でやってみたい。
やってみて、水が合わなければ辞めればいい。この言葉も阿部さんからもらった勇気のでる言葉だ。