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Twitterで夢が叶って、絶望した話
29歳。
昨日まで18歳だったような気がするけれど、早いもので私は世間一般的に言えば立派な大人と呼ばれる歳になっていた。
それを物語るかのように、同級生の結婚、出産、2人目の出産という話題が連日飛び込んでくる。
しかし、私は未だに人を好きになるという感覚がぼんやりとしていた。
人並みに恋愛経験はあるし、人を好きになったことがないわけではない。
ただ、私は恋愛というものにいつもどこかで絶望を抱えていた。
浮気や不倫、相手に対する「飽きた」という言葉の選び方。
そんな人をたくさん見たからかもしれない。
"人は誰しも裏の顔がある"というのは映画や小説の中では最高の人間ドラマだが、現実世界においてはとても恐怖だった。
私を口説こうとする男が、甘い言葉やキザな言葉を選ぶことに寒気を感じる。
一緒にいる人が空気を読んだ言葉を選ぶ毎に、目の前にいるのが生身の人間ではなくバーチャルに思えてしまう。
マッチングアプリを見る度に、まるで自動販売機に並べられたジュースになったような気分になってしまう。
だんだん、私は人を人として見ることに疲れてしまっていた。
異性を異性として好きになる感覚も、よくわからなかった。
好きでもない人から、性的な目で見られることも気持ち悪いとしか思えない。
だから、私はずっと自分のことを女として見ていない男性のことが好きだった。
なんなら、私のことが"少し苦手"くらいの人の方がなんでもはっきり本音で話してくれている気がしてしまって心地よかった。
こんなのおかしい。
そう思って、告白されたり身体の関係を迫られた時には『受け入れてみる』ということを試してみた。
しかし、恋愛というものが余計に分からなくなってしまった。
好きじゃなくても、付き合える
好きじゃなくても、セックスできる
好きじゃなくても、一緒にいて楽しいことがある
じゃぁ、好きってなんだろう。
そんな中、浮気や不倫を楽しむ友人達をみて、人間は1人だけを好きになるようにはできていないんじゃないかと考えてみたりした。
そもそも"他人"なんて不確かな存在を好きになる感覚が分からない。
私は、男の人に対する感情は好きか嫌いかよりも無害か有害かのどちらかだった。
そして、そんな私が最近1人の男性に恋をしたことを認めた。
********
時を遡ること、5年前。
何となく見ていたTwitterで、私は彼を見つけた。
彼が綴る言葉は、一つ一つがあまりに美しくて明らかに異才を放っていた。
息を飲むような言葉の美しさに、私は当時、遡れる限り彼のTwitterを遡り、ブログを読み漁った。
彼は、ブロガーでありコラムニストだった。
サラリーマンをしながら、副業で執筆の仕事をしていた。
そして、彼は私の夢になった。
Twitterを頑張れば、私はいつかあの人に出会えるかな?
そこから、5年間、私は会える保証もない彼に会うためにコツコツと日々を進めていった。
ファンとしてはどうしても会いたくなかった。
1.ファンじゃなくて
1.女じゃなくて
1.人間として彼に認識してもらいたかった。
それでも、彼に会いたくて彼がたまにSNSで呟く「〇〇辺りのカフェで普段仕事をしているんですけど」という言葉や「普段Macを使っています」という言葉を手掛かりにその土地近辺のカフェに私も行ってみるようになった。
顔も名前も分からないけれど、なんとなく会えるかもしれない、居たかもしれないのドキドキ感が私のエネルギーの源だった。
5年間ずっと、私は飽きもせず彼を追いかけていた。
そして、5年後。
ひょんなことから、その夢が叶ってしまった。
しかも初めましては、サシで飲み屋だった。
でも、私はその日、人生で一番の幸福と一番の絶望を同時に味わってしまった。
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