愛するということ/著エーリッヒ・フロム
20世紀を代表するドイツの社会心理学者、エーリッヒ・フロムの世界的な名著「愛するということ」。
この本を、一言でまとめるならば「愛するための技術の本」だ。
きっと、この本は読む度に違った解釈を読者にもたらしてくれるだろう。
なぜならば、よくある恋愛本のような小手先や恋愛心理について教えてくれるのではなく、人間の奥底に眠る、どこかで目を背け続けていた核心の世界を解説してくれる本だからである。
今回は、この本についてご紹介させて頂こうと思う。
愛とは、誰もが浸れる感情ではない。努力してようやく手に入れる事の出来る技術である
世の中の人たちは、どうして当たり前のように”愛”を手にしているのに、どうして自分には、まだ”愛”がないのだろうか。
そんな孤独感を、ひっそりと心に抱いた事に心当たりのある人は決して少なくはないだろう。
しかし、この本を読み始めると、いきなりフロムはこう断言するのだ。
「愛は誰もが簡単に浸れる感情ではない」「愛は、技術である」だからこそ「知力と努力」が必要不可欠であると――。
どうやら、愛とは習得可能な技術であり、当たり前のように多くの人が手に入れられるものではないらしい。
現代人は、そもそも”愛”を誤解している
世の中を見渡せば”モテる方法”とか”愛される人になる方法”とか、そんな情報で溢れている。
しかし、そもそも愛は、”いかに自分が貰うか”が前提なのかという話である。
「社会的に成功すれば…」
「お金さえあれば…」
「見た目が良ければ…」
「身長が高ければ…」
「気のきいた会話ができれば…」
〇〇があれば、自分は愛が貰えて当然の人間に…
多くの人は、自分が学ぶべきものは”愛”そのものではなく、社会的な成功や外見を磨く事に時間を使うべきで愛については学ぶ必要がない、と考えているのだ。
愛されて当然の人間になりさえすれば、自然と愛はやってきて勝手に恋に落ちる。
それが、一つ目の誤解である。
そして、フロムは現代人が陥りがちな愛の誤解について、こうも言っている。
つまり、多くの人にとって愛とは、突然どこからかやってくる運命的なものであったり、好ましい人が現れたら愛が生まれるという”運”なのだ。
この考えも、そもそも誤解であるとフロムは断言している。
”愛”を軽視してはいけない理由
人の最も強い欲求は”孤独からの解放”である。
この事実は、どの時代のどの社会においても変わらない、一つの問題として存在し続けるものである。
これまで、人びとは孤独から逃れる為に崇拝、征服、芸術、信仰、同調…と、ありとあらゆる解決方法を手にして来た。
しかし、フロムはこれらの行動では本当の意味で人は孤独から逃れる事はできないと言うのだ。
つまり、人の行動理由の根底にあるものは、大半が孤独からくるものであるが、この孤独を本当の意味で癒してくれるものは”愛”しかないとフロムは言う。
愛、それは人間が実在する答えなのだ。
自分の持てる力の最も高度な表現、それが「愛」
”真実の愛”とは、愛される事が重要なのではなく、愛する事が重要であると訴えるフロム。
では、なぜ愛される事が重要なのだろうか。
それは、与えるという行為自体が”豊か”な人にしかできない表現だからである。
ここで言う、豊かというのは物理的に”裕福”である人という意味ではない。
日常的に愛は与えられるものだという”受動的”な思考の人は、何かを人に与えるという行為が「あきらめる」「剥ぎとられる」「犠牲にする」という思い込みがある。
それは、人間性そのものの性格が、物事に対して受動的であり「受け取る」「利用する」「貯めこむ」という段階から抜け出していないのだ。
また、フロムはこうも言っている。
一見人に与えるように見える人でも、見返りを求める事が前提である思考から脱却できていない人も多い。
つまるとろ、よく見るタイプのギブアンドテイク人間である。
しかし、人は鏡だ。
見返りを求めてしまう人もまた、損得感情の対象としてしか周りからも扱われていない。
見返りを求めず、与えられる事自体がこのうえない喜びとして与える事のできる人には、結果的に他人の中に何かを生み、それが自分に跳ね返ってくるのだ。
自分から能動的に見返りを求めずに人を愛する者しか、真実の愛は現れない。
愛を手にできる者は、深く人を愛せる者だけである。
私たちは消費欲を満たし、希望を失わず、永遠に絶望をしている
フロムは、現代人がそもそも”愛”を誤解している背景について、個人の問題ではなく社会的な問題だと考えている。
孤独から逃れるため、あるいは、愛されるために必死にしがみついた資本主義という社会が、より孤独を悪化させている。
あまりにも、交換する事と消費する事に適応してしまった現代人。
それは、物だけではなく”愛”も、当然のように”交換と消費をする”思考を生んでいるのだ。
いかに、自分という商品価値を高めて「パッケージ」とし、その商品と交換可能な「お買い得品」を探している。そして、そこに愛着がなくなれば交換される。
また、フロムは、現代社会の結婚に対してこんな事を言っている。
つまり、結婚とは孤独の”避難所”とはなるが、利己主義が二倍になったものに過ぎないと。
結局のところ、本質的な”孤独からの解放”を得たいのならば、前述したような「愛すること」をしっかりと学び努力するしかないのだ。
まとめ
感想
感想、なので赤裸々な私事の話になってしまう事をお許し頂きたい。
私は長年「人をなかなか好きになれない」という事について、真剣に悩んできた人間である(1人もという事ではないが、絶対数が少ない)。
その、問題のヒントを得る為に本書を手にした。
結論から申し上げると、自分の悩みの問題がスパッと言語化されていてとても爽快な気持ちにさせられた。
私の抱える問題は、人に「ギブ」する事を多く行う性格ではあるが、そこに対して激しい消耗を感じてしまうという事。
それはなぜかと言うと、人を愛したくて行っているはず「ギブ」が「自己犠牲」に差し掛かりやすく、結果、人を通して自分を愛せなくなってしまうという問題である。
本書にも記載があったように、どこかで、自分を愛せていない部分があり、それが他者への人間関係にも表れる部分があるのだなと、思考のヒントを得られてとてもスッキリとした気持ちになった。
是非とも、「愛」や「孤独」について実態のない悩みを抱えている人にお薦めした本である。
本書は、難易度的には難しく、自身の人間としての成熟度によっても理解の深さは違うように思う。
是非とも、「愛」や「孤独」について実態のない悩みを抱えている人にお薦めした本である。
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