私は便利な人が欲しいんじゃなくて、ただあなたをリスペクトしたいだけなんだ
29歳、独身。
私にとって、恋愛は実験と娯楽だった。
これまでの人生で「好き」という気持ちで、お付き合いがスタートしたことは一度もない。
・・・いや、一度だけ好きで始まる恋愛もあったか。
とりあえず今はそんなことは、どうでもいい。
私はこれまで、自分とは違う世界にいる人の実態を知るためだけに交際というものをしていた。
記憶の中に、映画やドラマで見かけるような甘酸っぱい胸キュン話なんて1つもない。
出てくるのは、話のネタになるような経験談ばかりだ。
ヘビメタのバンドマンと付き合ってみたら、誕生日は作詞作曲の歌だったり。
バツイチ男と付き合ってみたら、DVだったり。
中卒男と付き合ったら、感情の起伏が激しかったり。
メンヘラ男と付き合ってみたら、自殺騒動を何度も目の当たりにしたり。
(※これは、このタイプがこうだというものではなくあくまでも私の経験談である。)
私の恋愛など、いつでもアクシデントばかりだった。
別にネタのためにお付き合いをしていた訳ではない。
知らない世界を知りたいという欲が強かった。
本当に、ただ、それだけ。
そして、もう一つ。
私は、長年、人を好きになるということがイマイチよく分からないでいた。
だから、私にとっての恋愛は、いつだって実験と娯楽だったのだ。
好きって、なんだろうね。
******
例えば、この世に男と女が1人ずつしかいなかったら。
不細工とか、
身長が低いとか、
気が使えないとか、
モテるタイプとか、
高学歴とか、
デブとか、
顔が可愛いとか、
おっぱいがでかいとか、
SEXが下手くそだとか、
口が臭いとか、
年収1000万以上とか、
そんなの関係なしに、恋愛感情は生まれたと思うんだ。
他の誰かと比較をするから自分が傲慢になるだけ。
平和と言われるこの時代に、多くの人は、まるで宝くじにでも当たったかのような、努力をしない”お得感”に飢えていた。
しかし、人はどんな人でも、愛すべき箇所が存在している筈だ。
だから私は、恋愛において相手のことが好きかどうかなんて二の次でいいと思っていた。
生物学上、男と女であれば別に私は誰でもいい。
それに、多くの人に存在する欠陥などその大半が大したものではない。
だって、よく考えてみて欲しい。
命が脅かされるわけでも、近しい人が病気になるわけでもない。
こちら側の人間力が高ければ、ほとんどの欠点など、くだらないものである。
口下手なら、私が話せばいい。
気がまわらない性格なら、私が気をまわせばいい。
メンタルが弱いのなら、私が支えればいい。
服装がダサいのなら、一緒に選べばいい。
コンプレクッスが多いなら、私が認めればいい。
洗濯物を脱ぎ散らかすなら、私が片せばいい。
セックスが下手くそなら、共に学べばいい。
相手が好きかどうかよりも、自分の人間力が試されているという状況の方が、私は興奮した。
例え、今の私にその器がなかったとしても後から付ければいいだけの話だ。
だから、私は恋愛がしたかった。
だから、私は恋人が欲しかった。
だから、私は誰とでも付き合える。
ずっと、本気でそう思っていた。
それ故に、これまでの私は自分とは違う世界の人(メンヘラ、デスメタルバンドマンなど)と積極的に交際をしてきたのだ。
だって、その方が楽しいじゃん。
だって、その方が自分の器も広がるじゃん。
・・・・・・。
しかし、結論から言えば、恋愛で幸せを実感したことなどこれまでになかった。
恋愛は1人でするものではない。
結局のところ、世界があまりにも違う人との恋愛は、歩み寄るには距離が遠すぎるのだ。
双方に向き合おうと頑張ってはいても、埋まらない溝が消えることはなかった。
最終的には、SEXがあるから恋人として成り立っていた程度にしか過ぎない。
それで成り立っている人を否定するつもりはないが、私の感覚では別に友達の距離感でもいいかなという感想だ。
お互いへのリスペクトではなく、お互いよく分からない部分には触れないようにしておこうという暗黙が存在し続けるだけだった。
そして、その溝は何かの瞬間に必ず崩れた。
私はだんだん己の性欲を満たす以外に、恋愛をするメリットが感じられなくなってしまった。
好きってなんだろうね。
恋愛ってなんだろうね。
その2つの疑問が、長い間私の心に居座り20代も後半を迎えた。
私は、大人になっても恋愛を楽しめずにいた。
********
20代後半になって、合コンや、婚活パーティー、マッチングアプリなど出会いの場を活用する機会が増えた。
それらは、なんとなく恋人が欲しいなと思い、あまり深く考えずに利用するようになったものたちだ。
私は今年29歳になって、ようやく人を本気で好きになってみたいと思うようになった。
しかも、せっかく女に生まれたのだから、人生の中で結婚や出産も経験したい。
私は、のんびりと婚活を始めることにしたのだ。
しかし、どの出会いの場もなんだかしっくりこなかった。
この、違和感はなんだろう。
その答えが最近ようやくはっきりした。
なぜ、どこに行ってもこんなにも皆相手に求めるのだろうか。
年齢は〇〇くらいの人がいい
顔はイケメンがいい
アイドルみたいな顔の子がいい
処女がいい
年収は〇〇くらいがいい
高学歴がいい
身長は〇〇くらいの子がいい
連絡がマメな人がいい
料理が上手い人がいい
綺麗好きな人がいい
コミュニケーションがうまい人がいい
セックスがうまい人が良い
今まで生きてきて、こんなにも人に何かを求めたことはあっただろうか。
少なくとも、私にはなかった。
友達も、こういう人と友達になりたい!と厳選して友達になったのではない。
仕事仲間も、吟味に吟味を重ねて仲間になったのではない。
ただ、たまたま同じ瞬間に同じ場所にいたことをきっかけに気の合う人と関係がスタートしたに過ぎない。
人間関係は、そんなに吟味をした上でないと成り立たない世界ではなかったはずだ。
しかし、この"出会いの場"とやらは、あらかじめ設けられている悪意のない設問によって"人を吟味"しなければならなかった。
合コンの席でかならず繰り広げられる
「どんな人が好きですか?」
という定番の会話も、気持ち悪さが残った。
なんだか、自分にとって都合のいい道具の話をしているようだった。
反対に、そんな条件の中で向けられる好意はセクハラやパワハラを受けた時の感覚と似ているなとすら思うこともあった。
私は、あなたの欲望のために生きている訳ではない。
あなたの、欲望の捌け口ではない。
そんな強い怒りが芽生えることもあった。
******
フリーランス1年半目。
私は、ご縁があって、現在弁護士事務所で事務員の仕事も行なっている。
それ故に、様々なトラブルを耳にする機会が人よりも多い環境にいた。
そして、そんなトラブルの大半は男女間のトラブルだった。
不倫、離婚、喧嘩、DVなど事件内容は様々だか、大半の事件には共通することがある。
それは、誰かしらの登場人物が相手に求めすぎているということだ。
いろいろな人間関係を構築する中で、大人なら誰しも『相手をコントロールする』のではなく『相手に合わせて自分が変わる方が早い』と思ったことがあるだろう。
若いうちは、気に入らない人に対して端から反抗してぶつかる経験をする人もいる。
しかし、大人になるにつれて、自分が適応していくようになったという人は多い。
他人を思い通りに変えようとしても、ぶつかるだけ。だから、自分が、変わろう。
その結果、歳を重ねると人とぶつかることが少なくなるのだ。
しかし、男女間においては、なぜかこれを別次元で考える人が一定数いる。
いくつになっても相手を自分の思い通りにコントロールしようとするのだ。
そして、そういう人はいくつになっても夫婦喧嘩が絶えない気がしてならなかった。
そこにあるのは、互いが互いに対する気持ちではない。
自分の欲望を叶えるための、強い感情だった。
もちろん、例外はあるが・・・。
************
出会いの場において、多くの人はあまりにも相手に求めすぎている気がしてならない。
そもそも論、人はどんな人を好きになるのか。
どんな人に対して好感を抱くのか、という根本の部分をここで考えてみたいと思う。
もちろん人の好みなので、答えは多種多様にあるとは思うが、私の中でこれは一つの結論が出ている。
それは、自分の可能性を広げてくれる人だ。
ぼんやりとした表現になってしまったが、一緒にいて元気がもらえる、癒される、頑張ろうという気持ちになれる、楽しいというものがこれに該当する。
つまるところ、一緒にて自分のパフォーマンスを上げてくれる人を人は好きになるのだ。
例えば、一緒にいて欠点を指摘しまくる人よりも、いろんなことを褒めてくれる人の方が自分のパフォーマンスは上がる。
人は、他人に価値を与えられることによってようやくそこに自信が持てる生き物だ。
だからこそ、近しい人からは背中を押してもらいたい。
これは余談だが、一般的に理系の男性が嫌われる傾向にあるのは理論や正論で相手をねじ伏せるからである。
正論でマウントをとる傾向にある人は、相手を萎縮させて発言を奪ってしまうのだ(つまり、可能性を潰す)。
・・・・・・。
話が少し逸れてしまったので戻そう。
冒頭の話に戻って、出会いの場において
年齢は〇〇くらいの人がいい
顔はイケメンがいい
アイドルみたいな顔の子がいい
処女がいい
年収は〇〇くらいがいい
高学歴がいい
身長は〇〇くらいの子がいい
連絡がマメな人がいい
料理が上手い人がいい
綺麗好きな人がいい
コミュニケーションがうまい人がいい
セックスがうまい人が良い
なんて願望を持つ人の違和感はここにある。
そう、相手に求めすぎるこれらの条件はあくまでも『自分の可能性を広げてくれる人』であり、『相手の可能性を狭める条件』になっていることが多い。
例えば「年収〇〇稼いでる人と結婚したい」と言われた場合。
「お、俺〇〇以上稼いでるラッキー!」となる人は少ない。
多くの人がこのような発言に対して「俺じゃなくて金かよ」「こういう女マジで無理」となるのは、自分の価値を下げられたような気分になるからだ(つまり、可能性を狭められた)。
(正直、そこで暴言を返してしまう人も自分で自分の価値を下げているが)
誰しも、どこかしらにプライドやコンプレクッスを持っている。
こういった条件は、どれもこれも相手のプライドを安く踏みにじり、コンプレクッスを刺激する。
一言で、下品だ。
だからと言って、世の中に転がっているモテる方法を駆使して振り向いてもらったところで満たされる訳がない。
世の中のモテテクを駆使して、例えばボディタッチで男心を弄んでいるうちは楽しい。
だが、そんな恋愛は10代でいい。
大人の恋愛は、自分を下げずに相手の可能性を広げることに徹したい。
相手をリスペクトしたい。
そして、リスペクトされたい。
そういう恋愛がしたい。
私は、最近婚活を通して、そう自分の中にはっきりとした答えが出た。
しかし、よくある出会いの場ではあまりに違和感が漂いすぎていた。
求められることがあまりに多すぎるのだ。
そして、そのことに麻痺した人が次から次へと自分の願望だけを口にする。
私、こういう人無理ですねー
俺、おっぱいが大きくないと
私、太ってる人は異性として見れないです
俺、毎日連絡するのとかマジで無理です
私、年収〇〇以上がいいです
俺、顔が可愛くないと無理です
そう、どれもこれも相手のプライドを安く踏みにじり、コンプレクッスを刺激する。
恋愛は、TENGAとは違う。
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私は、自分の恋愛経験や婚活を通して、改めて人として最も大切なコミュニケーションのあり方を学んだように思う。
自分らしくいることは、確かに大事だ。
しかし、こだわりを持ちすぎてしまうことは相手の不幸と直結する。
私は、恋愛面に限らず人の可能性を広げる人でありたいと思う。
可能性とまで言ってしまうとなんだか大それた人のように聴こえてしまうが、人のコンプレックスやプライドを尊重したいだけだ。
しかし、この小さなことが案外難しい。
私は、多くの人の行動ベースは損得感情だと思っている。
そのこと自体を否定する気は毛頭ない。
これはあくまでも私の経験談だがこの世に"本当の意味で優しい"人間などこの世の中にほとんど存在しない。
人は、最終的には自分のことしか考えていない。
そりゃぁ、自分自身の人生だから当たり前ではあるし、それが正しい。
ただ、私は、もしも私の得がなくても誰かの幸せになるなら動ける人間でありたいと思うし、状況的に私しかこの世で一番嫌いな人間を救える人はいないなら救える人でありたいと思う。
そのことを強く思っている人間である。
もちろん、その状況に立ってみないと何とも言えないものではあるが少なくともそう思いながら生きたい。
そう考えた時に、これらの願いを成立させながらお互いがリスペクトできる恋愛は案外難しいかもしれないという仮説が私の頭によぎってしまった。
このような価値観は、同じくらいの熱量でそのことを思っている人でないとバランスが崩れやすいように思うからだ。
相手に求める恋ではなく、可能性を見つける恋。
もしかしたら、そういう恋をするには私は歳をとりすぎてしまったのかもしれない。
そんな恋のジレンマの話。
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