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他人本意という病


「お母さん、来年学校行こうと思うの」


話し出してそんなに時間は経たず
少し重めのトーンで言ってました。


本題入る前に母親について
なんとなく書こうと思います。

真面目すぎる母親でした。

他人からだけでなく身内からも言われる程に
ただ、身内は「真面目だから、偉いよ」と
言って、母親に甘んじてたのを思い出します。


陽気で活発な母親でした。

こういうと子供の紹介文のようですが
その愛嬌は誰にも平等で職場やプライベート
老若男女問わずお友達ができる程でした。
なので、メールや電話が鳴ったり
時間を作ってお話してたのを覚えてます。
誰かの為に動くことを厭わない母親でした。


頑張り屋な母親でした。

子供の教育に良いことは全てやっていました。
道徳のビデオを遠くのレンタルビデオや施設から
借りてきては私たちに見せどう思った?と
ゆっくり聞いていました
読み書きができない間は読み聞かせを
たくさんしてくれました、なので家には
絵本がたくさんありました
部屋の家具の配置も年齢に合わせて
こまめに模様替えしたり棚を作ったりしていました

大学に入り知ったのですが
母親の模様替えにより作られた動線は
理に適っていました


教育熱心な母親でした。

特に食事マナーは厳しかったのを覚えています。
「三つ子の魂百まで」といって
橋の持ち方や咀嚼、食べ方や順番
姿勢も、とにかく沢山ありました。
夏休みの宿題をいっぺんに終わらせることを
許さず1日で勉強できる量を調整し
終えても残りの日数はいくらでも好きなだけ
できるようにとドリルを買ってきて見てました。
そのドリルを最終日に綺麗に終わるように
調整していました。


お出かけ好きな母親でした。

お弁当を作って公園や動物園や海
化学会館や美術館、博物館
消防署、災害関連施設、大型ショッピングモール
母親の職場、病院、老人ホーム、施設
小学校で行くよりも先にあちこちに
連れて行ってくれました。

よく覚えているのが施設のバザーで
ピンクの自転車を買ってくれたことです。

母親はどんな人にも特別扱いせず
平等にと色んな人と触れる機会を作ってくれました。


完璧主義な母親でした。

自分に対して厳しい人でした。
自分にはほとんど娯楽を与えず買わず持たず
部屋の掃除もこまめに、配置も決めて
少しでも違う場所に置くと叱られました。

自分が少しでもミスすると
空気が一変し数日は引きずっていました。
そのかわり家の中でだけ
外には1ミリも出していませんでした。


厳しい母親でした。


自分に厳しい分身内にも厳しいところがありました。
それが教育にもつながり結果としてよかったです。

何よりも許されなかったのは
頑張らないことと逃げ出すことでした。


この性格は幼少期から結婚当初の人生から
こうなったのだろうなと大人になり知りました。

それまでは家では親が絶対
特に私は父親が仕事の関係でほとんど
家を留守にしていたので母親が絶対的存在でした。


母親は甘えられない性格でした。
甘え方を知らずに大人になりました。
自分が一番であることがなかったようです。

常に誰かの為に生きていました。

だからこそ私という娘の存在が
母親にとってはこれまでにない
特別な存在になったのだと思います。


「お腹を痛めて産んだ娘」

「私と同じ女」

「私の娘」

男兄弟には与えられない
愛情に加えられた感情でした。


自分を許すことができない母親でした。


最初の方で書いたように自分のミスが
許せないのです。
夜遅くまで起きては仕事をしたり
仕事のための勉強をしたり
子育ての為の何かをしたりと
頭と手を動かしていました。

自分を褒めることができない母親でした。

周りがどんなに褒めても謙遜し
また一から頑張る母親でした。

その謙遜もまた愛嬌が加わり
周りの期待は高まり良い印象が刻まれ
その通りに動かなければならないと
口には出さなくても言葉を変えて
発するようになりました。


ポジティブな母親でした。

凄く苦しい状況でも
「神様が与えてくれたもの」といい
深く深く受け止めては優しく包んでいました。


お仕事が大変だから
いつも頑張ってるからと

寒い雨の中、母親にプレゼントを買いに
行って仕事終わりの母親に渡すと
満面の笑みでありがとうと言ってくれました。

それが嬉しかったです。

もっと「ありがとう」が言われたい。


その一心で食器洗いを手伝うようになりました。
たくさん「ありがとう」を貰いました。


私が一人で考えて行動できる齢になると
母親は私に言うようになりました。

「どうしてここができていないの」

食器洗いがうまくできなかった日がありました
米粒がこびりついてうまく取れていなかったのを
私が気づかなかったのです。


少しずつ「ありがとう」がなくなり
私のミスが目立つようになりました。


「どうして頑張らないの」


私は食器洗いができなくなりました。


「お母さんはこうなのにどうして遊べるの」

「何で相手の気持ちを考えれないの」

「何で自分のことばかりなの」


他人の為に生きてきた人ですから
自分の分身とも言える娘のソレは
自分を許せない母親にとって
同等のストレスでした。


それを言った後、後悔してか
ひどく優しく接する母親が更に怖くなりました。


母親は頑張り過ぎており
自分で自分をコントロール出来なくなっても
他人の為に生き続けていました。
自分には厳しく生きていました。
分身である私も厳しく生きていました。

それでも母親の愛情は
涙が出るほど伝わりました。

それでも当時の私は耐えれず
その後の反抗期でその思いは弾け飛びました。

けど心の奥底ではわかっていました。

母親の愛情と慈悲が入り混じった感情を
私が高校生の時には、母親はその区別が
つかなくなっていました。

それでも愛情を感じる度に
どうすれば良いか分からず
その反動とも言える行動が出ては
私もその区別がつかなくなってきました。


そんな母親が子育てを終え
家を飛び出しました。


初めて自分の時間を生きているのです。


最初は旅行にたくさん行ってました。

「ちょっと山口県行ってくる」

と早朝言われそのまま出かけたり


「ちょっと韓国行ってくるわ」

と言って韓国に行ったり


「メキシコ行こうと思うのよね」

と言ったと思ったらすぐ行ってしまい


「USJ行ってみたいのよねぇ」

といってそのまま関西旅行行ったり


「温泉いこうかね」

と言いながら予約をとり


「◯〜◯日何してると?」

と聞いたかと思えばそのまま抑えられ
鹿児島に行ったり

「今◯◯にいます」
というメッセージと自撮りの写真を送ってきます。


その自由奔放な姿に
私より若いのでは?と思うほど。


次に買い物です。
今まで自分の好きなものを一切買わない
買うことがなかったのですが大好きなものを
収集して部屋に綺麗に飾ってます。

トミカとスヌーピー、魔女の宅急便が
好きなようで綺麗に並べてます。

流行り物も好きで韓国のアイドルや俳優
かと思えば山崎賢人とコロコロ変わっては
グッズやライブです。

そして母親が大好きな花を定期的に買い
家で育てています。

部屋には花がたくさん飾られています。
花が大好きだそうです。


次にお食事です。
子育てをしている間は飲みに行ってる姿を
殆ど見たことがありません、
同窓会にも行ったことがありません。

実家にもほとんど帰っていませんでした。

父親が許さなかったからです。
私たち子供が幼く置いていけなかったからです。

だから外食を楽しんでいました。
コロナになりそれがなくなり篭っていますが
それまでは、食事に行きお酒を飲みと
食を楽しんでいました。


生まれてはじめての自分の為の人生を
思う存分楽しんでいます。

母親の部屋は自分が大好きなもので溢れています。


そんな時、生まれて初めての寝坊をしました
自分にびっくりしたのでしょう

「ショックでご飯作れない」

と言い3日間部屋に閉じこもりました。

部屋から出てきたなぁと思ったら
「まぁいっか」といい

それから何か失敗しても
それをいうようになりました。

ご飯もそれまで絶対に手作りと
こだわっていたのですが気にせず
「これ美味しいのね!」と
なんだか楽しそうです。


少しずつですが自分を許せるようになったのか
あるいは余裕が生まれたのかどちらでしょうか。

私にも分かりません。



そんな母親が学校へ行きたいと
私に言いました。


何の学校か分かりません。
したい仕事があるそうです。


「誰かの心ための仕事がしたいの、けど
学校行ったからってなれるか分からないの」


「え?いいじゃん、行きなよ、行きたいなら」


私はあっけらかんと即答しました。


「いいのかなぁ」


「なんで?今まであんだけ真面目に生きたんだから行っていいよ、真面目に考えないで

極論だけど遊びと思って。

遊びでいいんだよ、本人がそれでいいなら
いいんだよ、仕事とか律儀に考えるから
楽しくなくなって遊びじゃなくなるんだよ。多分

いいよ、やって、え?ダメ?

例えそれで無駄金だの言われても
それすらも楽しい遊びだと思うよ。

これで伝わるかな?説明下手でうまく言えない

まぁやったもん勝ちよ」


「あら!そう?ならそうしようかね!」


切り替え早いな、ババア
さっきのシリアスムードどこいった


母親は自分の為の生きる時間を使って
誰かの為になることをしようとしています。


当初と違い何かから解放されたのか
分かりませんが

誰かの為に生きることをやめてくれました
自分の為に生きることをしてくれています

自分の為に生きる為に
誰かの為になることをすることを選んだようです


なにこれ、ちょっと自分で書いてて
よく分からん

もっと噛み砕いて書いてみます
目的と手段の区別がつくようになったのだと思います

私が子供の頃は目的と手段が
何かを理由に逆になってしまい
目的を見失ったのだと思います。

今は目的と手段が明確になり
目的を達成するための行動を取るようになりました。

目的と手段をよく間違えたら
入れ替わっていたり見失ったり
それすら気づかなかったら私たちはしますが

母親は長い年月をかけて
それに気づき動いているようです。

それでも変わらない母親の愛情と
それに加わった感情は時折
姿を変えては表に出てきて
ぶつかる原因となっていますが

母親には自分の人生を歩んでほしいです。

他人本意という病から抜けてほしいです。

お互いに。


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