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SEVENTEEN『Ima -Even if the world ends tomorrow-』意訳

この曲には「今」に引き戻す強烈な力がある。「今ここにいること」を聴くたびに新鮮に感じられる。(ちなみに今しかないという刹那主義的なものではないし、今この瞬間だけを生きられる充分な強さがあるなら分けてほしい。)

普段は眼に止まらなかったものが、なぜかふとした拍子に鮮やかに見える、物と辺りがパッと開く瞬間がある
眼差しと世界が出会う詩的な一瞬
地続きの日常からの一つの途切れであり、空間の膜を破る出来事
このようにして何かが見える一瞬を永遠の今というのだろうか

李禹煥「余白の芸術」から抜粋

SEVENTEENのコンサートの名物、無限아주NICEで彼らが花道をダッシュして駆けていく瞬間、時間が止まっている感覚になる。その一瞬、彼らの望む永遠を目撃しているのだと悟った。
凄まじい速度で時代は変遷していき、今周りにいるひとたちは自然にいなくなる。でも極めて健康的な諦めとして彼らはアイドルをしていく中で、変化を受け入れる能力を身につけてきたから人生が交差する奇跡を当たり前だと軽んじない。いとおしんで、大切に思って、慈しみ、二度とないささいな一瞬まで見逃さない。今、この瞬間を熾烈に生きるSEVENTEENの美しさと眩さは永遠だ。

星降る夜に


나에게 딱 한가지 지키고 싶은 게 있어
僕にはただひとつ守りたいものがあるんだ
살짝 올라간 입술 작은 미소 사소한 행복도
少し上がった唇 星のような笑顔 手のひらサイズの幸せも

평범한 하루 모아 어른이 되어가
平凡な日々を集めて大人へなっていく
쉽지는 않지만 후회는 없잖아
ラクじゃないけど後悔することなんてない


이제 지나 오늘 그리고 다시 오는 내일
昨日を経て今日、再び巡り合う明日に
이 모든 게 너라 아름다워
君といるすべての日々が美しいんだよ

만약에 말야 세상의 마지막 밤이 온다면
もし、ね 世界最後の夜が来たら
난 널 위해 뭘 할 수 있나 상상했어
僕は君のために何ができるか想像していたんだよ


너에게 last dance
君へダンスを踊ろう 世界が終わる夜に
찬란한 미소를 지킬 수 있다면 그럴 수 있다면
まぶしすぎるその笑顔を守れるなら もしできるなら
밤새 춤 출 수 있어
一晩中ステージで踊っていられるよ

우리의 Last Dance and Last Chance
僕ら世界が終わる夜に踊ろう 最後の機会に
오늘 세상이 끝나더라도
今夜世界が終わっても
무엇보다 중요한 건 우리의 지금
何より大事にしたいのは僕らの「今」


이제 지나 오늘 그리고 다시 오는 내일
昨日が過ぎ、今日を経て、再び巡り合う明日
이 모든 게 너라 아름다워
君といるすべての瞬間が美しいんだよ

만약에 말야 세상의 마지막 밤이 온다면
もし、ね 世界最後の夜が来たら
난 널 위해 뭘 할 수 있나 상상했어
僕は君のためになにができる? 共に問い続けている


너에게 last dance
君にダンスを踊るよ 世界最後の夜に
찬란한 미소를 지킬 수 있다면 그럴 수 있다면
星の光のようなその笑顔を守れるなら もしできるなら
밤새 춤 출 수 있어
夜の間中踊りつづけよう

우리의 Last Dance and Last Chance
世界が終わる最後の瞬間まで僕ら踊っていよう
오늘 세상이 끝나더라도
今日世界が終わっても
무엇보다 중요한 건 우리의 지금
何より大切にしたいのは僕らの「永遠の今」


作詞
WOOZI (SEVENTEEN)・BUMZU
作曲 WOOZI (SEVENTEEN)・BUMZU
編曲 BUMZU・황현(MonoTree)


参考書籍

  • 星の王子さま

  • 映画逆光 パンフレット

  • 余白の芸術


あとがき
SEVENTEENのことを思い浮かべるとき「僕はきみのためになにができる?」という歌詞から、SEVENTEENのためになにができる?そんな問いが生まれる。これがKorean verになると상상했어(想像した)と加えられていたのが良くて和訳しようと決めた。
想像力は他者性への目覚めであると前に引用した本(余白の芸術)にあったが、確かに생각하다(考える)ではなくて想像するの方がもう一歩相手に近いところにいる気がして好きだ。

「なにもできなくても、見ていなければいけない」という命題が、「なにもできなくても、見ているだけでいい。なにもできなくても、そこにいるだけでいい」というメッセージに、変わった。

宮地尚子「傷を愛せるか」

わたしにはなにができるのか、想像を巡らしてみても答えはまだ出ない。でもSEVENTEENが風を起こすようにステージを走り抜けていく姿を、夢の大きな会場がCARATで埋まる景色を、わたしは見ることはできる。彼らが今を生きたことの目撃者、証人にならなれるかもしれない。
それになにができるか、想像を止めずに問い続けることは彼らの健やかさを願う祈りの支流にならないだろうか。これからもSEVENTEENの生き様をここから見続けていくよ。だからわたしにずっと目撃者でいさせてほしい。
ホシさんが世界の最後の最後でもCARATがいる限りステージに立ち続けますと言う。なあんだ、あなたたちもそうなのかと一気に笑みが溢れる。共に想像をし続けよう、命尽きるまで誰かの光であろうとするSEVENTEENとその光を眼差し続けるCARATという同志として。


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