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湘南新宿ラインで何分か聞いてます

どうしてもこうも、不動産屋さんのオールバック男は大体決まってやる気がないのだろうか。
こっちが真剣に物件を探しているのに、一切興味がない。そらそうなんだろうけど、仕事を全うしてほしい。
そのくせすぐにベランダに出たがるし、トイレの蓋をパカパカパカパカと上げ下げするのもやめてほしい。
後出しでそこそこ高い管理費を提示するな。
女受けすると思い込んでいる謎のツンツン靴を履くな。
新しい方の電動自転車、乗るな。

結局、半ばやけくそで西大井駅近くの家を選ぶことにした。
俺と彼女、どちらも湘南新宿ラインに乗れば職場まで1本で行けるからだ。

「新宿は、湘南新宿ラインで何分ぐらいですか?」と聞いても、不動産屋さんは聞いてないフリをしていた。
で、帰りに気づいたけどあいつ、イヤホン付けたからね。クソが。

一応、すべての事情を話したら彼女は「いいよ」とあっさり入居を許可した。エンジニアの仕事が忙しいのは分かるけど、もうちょっと干渉してくれてもいい。まぁ、口うるさいよりはいいか。

これが俺たちの東京生活の始まりで、終わりを意味しているとは、そのときは思わなかった――。

引っ越した日。いきなり隣のおじさんが大声を上げ始めた。約2時間。
平日はずっと叫んでいる。土日は静かなのが救いだが迷惑にもほどがある。
勘弁してくれ。
あの不動産さんめ。

さらに、右隣もおかしな中年女性だった。
カレーとシチューを日替わりで作っていて、その匂いがモロに漂ってくるのだ。玄関のドアを閉めないタイプの人種だった。
毎日カレーとシチューで飽きないかよりもおじさんの声が気にならないのか、心配だった。

そして一番の奥の部屋が最悪だった。
あの不動産屋さんがデリヘル専用ルームに使っていた。

唯一。
角部屋の若いお兄さんはいい人そうだった。キレイなスーツを着たいかにも仕事のできそうなルックスは好印象だったし、週末にスポーツウェアでジョギングしているのも、「人生の充実」を感じさせた。
ちゃんとこういう人も住んでいる。お兄さんだけが希望だ。

でも、まともな人はここに住まない。こんな単純なことに気がつかなかった――。

金曜の夜、飲み会が急に無くなって帰宅したときのこと。
彼女が角部屋からフラッと出てくるのが見えた。
お兄さんとディープなキスをしている音が聞こえてきた。
ウソだ。

俺は誓った。
このマンションを出ていくことを。一人で。
湘南新宿ラインで逃げ出そう。あ、でも今日はもう電車がないや。

一番大事なことを忘れていた。
俺は前科持ちだから、他に引っ越し先がないんだった――。




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