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妄想日記「きらきらひかる」

桃山はずき 28歳 アイリスト

恐らく、わたしが最初に受けた暴力は「当たり前」という言葉だったと思う。母を早くに亡くしたわたしを男手一つで育ててくれた父は、ある日、新しい母親を連れてきた。その時、父はわたしにこう言ったのだった。

「母親は、はずきに必要だからね」

「どうして?」

「当たり前だろ?」

その日から新しい母親を見るたびに「当たり前」という言葉が浮かんだ。そんな出来事のあと、わたしは沢山の当たり前を知った。トイレのあとは蓋をするのが「当たり前」で、恋は盲目なことも「当たり前」、目的もないのに勉強して、何となくでも大学に行くのが「当たり前」。どんなに神秘的で、奇跡的と思えた出来事も「当たり前」の前では、錆びたがらくたのように見える。わたしは、急に人生がつまらなく感じた。だから、わたしが取った唯一の反抗は「短大に行ってアイリストになる」というものだった。地元で公務員になってほしかった父は慌ててわたしを叱った。

「どうして、〇〇大学に行かないんだ」

「学びたいことがないから」

「大学に行って地元で就職するのが当たり前だろ!」

茹でたタコのような真っ赤な顔で怒鳴った父を見て、わたしは初めて「当たり前」の本当の姿を知った。それは、「安心したい」という人間の弱さから生まれた怪獣だったのだ。わたしは、初めて父を「恥ずかしい」と思った。そうして、父の反対を押し切り、短大に進学し、資格を取った後、東京のまつげ専門のサロンに就職した。世田谷区の閑静な住宅街にひっそりと佇む個人経営のサロンで、古い一軒家をリノベーションして作った温かみのあるサロンだ。オーナーの田中さんは、いつもハキハキと喋る女性で2児の母の顔も持つ。まさに、わたしにとって「当たり前」ではない輝きを感じる憧れの女性だ。田中さんの人柄が好きだという事もあるが、居心地の良さからもう随分長くこのサロンで働いている。だから、このサロンのことなら何でも分かる。どこに予備のコットンが置いてあって、トイレの掃除器具はどこに収納してあるか、備品の発注の仕方、お客様の名前と顔……ただ、一つだけ未だに解決できていない謎がある。それは、スタッフルームの壁に貼られたとある歌詞のことだ。

「きらきらひかる 

よく働く手は きらきらひかる

ありがとう いただきます ごめんなさい

そう言える人は きらきらひかる

たまに思い出して 故郷に掛けた電話で

母親の心は きらきらひかる

なぜ嫌っていたのか 首をひねる時

もう許してやって きらきらひかる」

果たしてこれが歌詞と言えるものなのか、わからない。なぜなら、検索をしてもどうやら世の中でこの歌詞が存在するのはこのスタッフルームだけのようだからだ。とはいえ、思わぬキャンセルが出た時に、もしくは、お客様のパーマ剤の置き時間に、田中さんがこの歌詞にメロディーをつけて口ずさむ場面に遭遇したことがあるので、ひとまずこれは「歌詞」なのだと思う。そして、わたしが一言「この歌詞は何ですか」と田中さんに聞かないのは、この歌詞の内容が自分の痛い所を刺激するということと、解決されない神秘に少しでも長く興奮していたいという理由からだった。

そんなある日のこと、田中さんの子供の保育園お迎えに合わせて入れ替わるように出勤し、思わぬ人からの連絡を知った。

「はずきちゃん、お父さんから電話入ってたよ」

「あ、そうですか。わかりました。」

「お店に電話かけてくるって…もしかしてお父さんに携帯番号教えてないの?」

「いや、教えてるはずなんですが。」

「ふうん。なんだか、はずきちゃん冷たいね」

田中さんは、体中でため息をついた後、思い直すようにちらりとこちらを見て言った。

「ま、わたしも子供生まれるまでは親不孝者だったから。他人のこと言えないね」

「はあ」

「じゃ!後は頼んだ!お母さんに変身してきます!」

しゅびっと効果音を自分で言い、敬礼した後去っていく田中さんを笑顔で見送った。次のお客様の予約は30分後だ。わたしは、店の受話器を持ち上げてあまり気乗りしないまま、しかし、指はきっちりと記憶している実家の電話番号を打つ。

「はい、桃山ですが」

聞きなれた父の声に、心なしか背筋が伸びる。

「うん、はずきです。電話、どうしたの?」

「ああ、仕事中にごめんな。その…お店の予約がしたくて」

「え?」

想像もしていなかった言葉に思わず受話器を持ったまま首を傾げる。お父さんが、まつげ専用サロンで何を予約するというのだ。対する父も電話の向こうで、もじもじとしていることが気配でわかる。

「いや、母さんとな。今度、東京に旅行行こうって話してて。いや、もちろんお前のうちに泊めてくれとは言わないし、忙しかったら一緒にご飯できなくてもいいんだけれど…母さんがやってみたいんだって。まつげのパーマ?ってやつを」

「ああ、お母さんね。いつ、くるの?」

「3月の2日に行って、4日に戻る」

「ええ?まだまだ先のことじゃん。」

「うん、俺もそう思ったんだけど、はずきはきっと売れっ子だろうから早く予約しろって母さんが」

母さんが、を連呼する父がなんだか子供のように思えて思わずクスリと笑ってしまう。それが伝わったのか、父も少しリラックスした声になってこう言った。

「男でも、受けられるコースはないのか」

「ないよ。」

まるで、芸人のようなやり取りに今度は声に出してお互い笑った。こんなに自然な会話を父とするのはいつぶりだろうか。すると、突然田中さんの口ずさむあの歌が頭の中に浮かんだ。

「きらきらひかる よく働く人の手は きらきらひかる」工場で和菓子を紅葉で巻いたり、タグをつけたりする父の仕事を「つまらない」と思っていたあの頃のわたし。だけれど、餃子を誰よりも綺麗にそして早く作ることのできるあの手は、かっこよかったことを思い出す。「ありがとう いただきます ごめんなさい そう言える人は きらきらひかる」勝手に、わたしに「当たり前」を押し付けてくる父に苛立っていた頃のわたし。だけれど、父はわたしに幸せになってほしかったのだと、いまなら何となくわかる気がした。「たまに思い出して 故郷に掛けた電話で 母親の心は きらきらひかる」いつか、電話をしなくてはと思っていた。でも、結局わたしに足りなかった勇気を父が代わってくれた。「なぜ嫌っていたのか 首をひねる時 もう許してやって きらきらひかる」なぜ、嫌っていたのだろう。そう、あの頃のわたしは若かった。いつも、何かに対抗して見たくてうずうずしていた。わたしは、父に甘えていたのかもしれないな、と思った。許されるべきは、ずっとわたしだったのだ。

「ねえ、お父さん」

「ん?」

「ずっと、なんか、ごめんね」

「うん」

「ずっと、なんか、ありがとう」

「ははは、なんだよ。気持ち悪いな」

「今度さ、東京来るとき、わたしもお父さんとお母さんとご飯…していいかな?」

勇気を出して、そう言った。すると、電話越し今日一番の笑い声をあげて父が言う。

「当たり前だろ!」