世田谷十八番が出会った、札幌のキーマン。
こんにちは。陰山です。
北海道旅から世田谷に帰ってきて早3週間。
-8度の世界を経験したことのない生粋のシティガールは、
到着するその瞬間まで未知の寒さに恐怖すら抱いていましたが、世田谷に帰ってきてわかった。
「世田谷のほうが断然寒い」。寒さの質が違うのでしょうか…。
柴田さんと世田谷十八番の出会い
さて、前記事では「なぜ世田谷で活動する我々が、北海道まで行ったのか」、ここだけにスポットを当てた記事を書きました。
今回は前記事の最後にちらっと匂わせた「札幌の重鎮でありキーマン」の
「寿珈琲」の店主で「さっぽろ下町づくり社」の理事でもある柴田寿治さんをご紹介します。
柴田さんと私たち世田谷十八番の出会いは、この北海道旅をコーディネートしてくださったイラストレーターのfutaba.さんがきっかけ。
私たちが北海道を訪れる前から、柴田さんに「世田谷十八番って面白いんだよ」と伝えてくださり、十八番の活動に共感してくださった柴田さん。
そんな柴田さんと何か一緒にできたら面白そうだな…。そんな期待を抱きながら、いざ出陣!
「創成川イースト」とはなんだ?
札幌の観光スポットと言えば「札幌市時計台」や「さっぽろテレビ塔」、
「大通公園」に「北海道庁」など、誰もが聞いたことのある有名観光スポットが中央区にぎゅっと詰まっています。
この中央区を東西に分けるようにして流れる「創成川」は、
石狩湾から荷物を運ぶために掘られた川で、
創成東地区、通称「創成川イースト」はおしゃれなカフェやショップが建ち並び、また高層マンションの開発などが進んだことも相まって、
ここ数年は新たなカルチャー発信の地として注目を集めています。
喫茶店のオーナーと町づくり。2つの顔を持つ柴田さん
創成川イーストにどんっと構えるレトロな「二条市場」のほど近いところに
「なんか楽しそうやなぁ〜。カッコえ〜な〜」と喫茶店業界に足を踏み入れた柴田さんが「寿珈琲」をオープンして16年(2007年創業)。
現在札幌では、既存店舗の店休日を借りてオープンする「間借りカフェ」が流行っています。
2007年に店を構えた寿珈琲は、気づけば寿珈琲には創成川イーストで働く人、
住んでいる人の憩いの場となり、
今ではInstagramをスタッフに見せて「これをお願いします」と注文する
若い人たちの間でも人気の喫茶店です。
一歩入るとすぐにカウンターがあり、スタッフが目の前でコーヒーを淹れてくれます。
もう少し奥まで入るとテーブル席もありますが、来店したときにはすでに満席。日を改めてようやくカウンターに座れたものの、
奥のテーブル席まではたどり着けないほどの人気っぷりでした。
また、寿珈琲の店主ともう一つ、柴田さんは「さっぽろ下町づくり社」の理事という顔を持っています。
創成東エリアに暮らす住民、事業者が、まちをより楽しくする活動をしようと有志で集まってできた「さっぽろ下町づくり社」。
2014年の創成東のまちづくり勉強会から始まり、翌年にはその有志のメンバーが「下町マルシェ」を北海道神社頓宮で初開催しました。
この成功体験から「活動を継続させるために」と2017年に法人化。
創成川イーストの魅力と歴史の遺構を探すまち歩きワークショップや、まちのこれからを話す勉強会を開催したり、前述の北海道神社頓宮で「下町マルシェ」の主催をしたり、札幌下町のガイドブックやマップを発行したり‥。
(札幌民は創成東地区のことを「下町」と呼んでいるそうです)
創成川イーストの町づくりの仕掛け人=柴田さんなのです。
「今ではその中心になっているかもしれない自分としては、やる人がいないからしょうがなくやっている」と言いつつも、
「でも、このおかげでいろんな人と知り合えたしな」と、ちょっと俯きながらポツリ。
その目の奥には、これまで出会ってきたいろんな方の顔が浮かんでいるのかな‥と、歴史を感じたひと時でした。
飲みニケーションってこういうことだ
せっかく現地に行って、顔を突き合わせて、お酒を酌み交わしたんだから、
私の思う「柴田さんという人」を書きたい。
一つ目は「バランス感覚に優れている人」ということ。
喫茶店を開業するのも、まちづくりの有志メンバーになったのも、その根底には「楽しそう」とか「興味があるな」とか、そんな想いがあったはず。
でも「楽しいことだけやっていたいけど、それじゃ整合性がつかない」と話し、楽しいことをどうやってビジネスに繋げるか、と奥底まで突き詰める。ほんわかとした見た目とは裏腹にやり手のビジネスマンだった。
バランス感覚で言えばもう一つ。
ほんの少し前までは真面目な話をしていたのに、話題が変わって緩んだ空気になるとユーモアたっぷりな人になる。
過去に取材された記事やインタビュー動画も見たけれど、どれも真面目な柴田さんだったから、
ずっと真面目な柴田さんだったらどうしよう‥と思う気持ちは気づいたら消えてた。
めちゃくちゃいじってくるし、めちゃくちゃ突っ込んでくるし(愛‥ですよね‥?)。
真面目な柴田さんと、茶目っ気たっぷりの柴田さん。シーソーのように行ったり来たりするから「今はどっちの柴田さんだ?」と楽しんでしまいました。
二つ目は「聞き上手な人」ということ。
この記事を書く前に、あの場で録音した音声データの文字起こしをしましたが、相槌がとにかく上手い。
「うん」とか「へぇ」って、たった二文字しか発していないのに、この二文字に柴田さんの感情がすごく乗っている。
話の先を急ぐように、早く次の言葉が聞きたい!という期待を持った「うん」とか、
心の中にじっくりと落とし込むような「へぇ」とか。
こちらの言葉をどしっと受けて、ルーズボールだったり豪速球だったり、それでもど真ん中に返してくれる気持ちよさがありました。
それから。これだけ手広く活動されているのに、ご本人の口から出るのは「好奇心旺盛な方ではない」とか、「人の好き嫌いが激しい」とか。
お会いして序盤の方にこの言葉を聞いたので、少し身構える部分がありましたが、
長くはないけど短くもない、同じ時間を過ごしたからわかる。
柴田さんは本当に「人を放っておけない人」だ。
もちろん、人間なんだから多少合う合わないがあって当然。
でも、多分、柴田さんは絶対に見捨てない。
ねらいがあって、熱い思いを持った人に対しては無償の愛で返してくれる、そんな印象を受けました。
だからこそ柴田さんの周りには人が集まるし、私たちも柴田さんの人柄に導かれるべくして導かれたんだとも。
北海道旅で生まれた私の野望
ここから先は私の勝手な思い。
「先達から見出した十八番を、若い世代に伝承していく」、この世田谷十八番の活動が世田谷のみならず、日本の各地で広がっていくこと。
そこには柴田さんのように町を、人を繋げる人がいて…。
その繋げる力を世田谷十八番は持っている、そう思っています。
まずは、こんなにいい機会をいただけたんだから、北海道十八番が実現できるように。そんな野望で締めたいと思います。
改めて、札幌のディープな夜を共にしてくださった柴田さん、
柴田さんと十八番を繋いでくださったfutaba.さん、ありがとうございました。
「第三モッキリセンター」でにごり酒を頼んだ私を、娘を見るかのように穏やかに笑っていた柴田さんの表情は一生忘れません!