あの日の清田と木村を今も時々思い出す話
こんにちは。天野です。
あれは昨年の11月上旬。季節は秋から冬へと向かい始め、空気がほんのり冷たくなってきた頃のお話です。
その日はたしか土曜日。のんびりと過ごしていたのですが、娘がどうしても公園へ行きたいというので、日が暮れる少し前に渋々外へ出ました。
自宅から自転車で10分ほどの、近くも遠くもない公園。その公園は普段あまり行かないので、なぜその日あえてそこへ向かったのかは覚えていません。
ギター青年、清田と木村
そんな公園で出会ったのが、ベンチに座ってギターを鳴らす二人の青年、清田と木村でした。
それはもう、朴訥(ぼくとつ)という言葉がピッタリすぎる二人。
ちなみに「清田」と「木村」は、おそらくお二人の苗字かと思いますが、活動名が「清田と木村」とのことなので、あえて敬称をつけずお呼びします!
さて、この清田と木村。誰に聞かせようとするわけでもなく、ただただ二人で弾いている。とても楽しそうに。
真面目な顔をしている時もあれば、音がうまく重なった時は嬉しそうに笑い。音がズレると「あ、ここね」と言って笑い合い、自分がミスると「やっちゃった」と苦笑い。
とにかく色んな表情をしながら、二人でギターを奏でていました。
日が暮れていく中で、めいっぱい遊ぶ子どもたち。それを見守る大人たち。
穏やかな顔でベンチに座るお年寄り。
あえて彼らの前に立って聴こうとする人はいないけれど、その場にいる皆が心地よく彼らの紡ぐ音の中に浸かっているようで。日が暮れても、その空間からなかなか人が減りません。
かく言う私も、娘に言われて仕方なく来た公園。すぐに帰るつもりだったのに、二人が楽しそうに奏でる音に包まれて長居してしまいました。
声をかけるか否か、しばらく悩んだ
その頃の私と言えば、十八番メンバーになって1ヶ月も経っていないとき。
編集長に作ってもらった出来立てほやほやの名刺を握りしめ、
「インタビューさせてもらえそうな先達との出会いがないものか」
街を歩く時はいつも、そんな気持ちで目を光らせていた時期でした。
そんな矢先の出会い。
どう見ても、十八番が定義する「先達」の括りに入るような人たちではない。明らかに私より若いし。
しかも、その時はこのnoteも書き始めていなかったので、「先達」へのインタビューマガジンである世田谷十八番において彼らを紹介できる場があるかはわかりませんでした。
でも、あまりにも楽しそうに音を出す彼らからやっぱり目が離せない。
ひとまず十八番の名前は出さず「夫の趣味がカメラだから〜」みたいなことを言って写真を撮らせてもらうことにしました。
(夫の趣味・カメラは事実。)
私は動画まで撮っちゃいましたよ。
聞いてみたところ、翌日に知り合いのお店で開かれる軒先マーケットで演奏をするので練習していたとのこと。
我が家は翌日そのマーケットにも行き、彼らの音楽を聴きながらドーナツを食べたことも付け加えておきましょう。
「楽しい」とか「好き」ってやっぱりすごい
早いもので、あれから3ヶ月。季節は冬から春へと移り変わるタイミングとなりました。
なぜ今、彼らのことを書こうかと思ったかと言うと。
時々思い出すんですよ、彼らのこと。彼らの笑顔を。
ちょっと気分上げて料理作ろうかなっていう時に、動画で撮った音を流してみたりしてね。
なんで最近こんなに思い出すのか自分でも不思議だったのですが、やっとわかりました。
十八番のメンバーになってから色んな先達との関わりが増えてきたのですが、とにかく皆楽しそう。
心惹かれる先達って「楽しい」「好き」をベースに何かを続けている。
その先達の姿や笑顔が、清田と木村の楽しそうな姿と重なったのだと思います。
二人がプロを目指しているのか、今まさに考えているところなのか、趣味でやっているのか。
それはわからないけれど、どういう形であれ、あの楽しそうな姿はそのままに音楽に携わっていってくれたらと願わずにいられません。
そうした日々の積み重ねが、未来の先達へと繋がっていくのだと思うから。
帰り際「実はこういうものでして」と、名刺を渡しました。
それが、私が初めて渡した十八番の名刺。
彼らのことを思い出すたび、初心にかえり十八番メンバーとして好きなことを書ける場がある喜びを噛みしめています。
同時に、「楽しい」「好き」をベースに生きていくことの尊さを、自分の胸に刻んで少し背筋が伸びるような気もしています。
清田と木村はいつも公園やマーケットで演奏している訳ではないと思うけど、万が一どこかでお二人を見かけたら、是非声をかけてみてください。
そんなコミュニケーションが街のどこかに生まれたら、なんだかホントに嬉しいなぁ!
これがあの日、私にとって記念すべき1枚目の名刺を受け取ってくれた清田と木村にまつわるお話でした。