世田谷ボーイズのメンバー遍歴
📜世田谷ボーイズの遍歴🗺️
「第1期」
1999年9月、中野、河口、林(ベース)、今福(ドラム)の4人で「横浜久弥と世田谷ボーイズ」を結成。(「と」の表記は将棋の駒をかたどったもの。)
「第2期」
同年11月、河口、今福が相次いで脱退。同じころにバンド名を「世田谷ボーイズ」に改名。
「第3期」
ほどなくして鈴木(健)、冨永が加入。
同年12月、上用賀アートホールにて初ライブ。この頃の世田谷ボーイズは曲ごとに担当パートが変わっていた。(ただし林はベースのみ。)
「第4期」
ほどなくして鈴木(健)が脱退。
「第5期」
ほどなくして冨永が脱退。
「第6期」
2000年1月、棚網が加入。
(画像はこの頃)
「第7期」
ついで木村(ドラム)が加入。
「第8期」
その日のうちに木村が脱退。
「第9期」
ほどなくして鈴木(健)が再加入。
「第10期」
同年2月、石田(ギター)、坂本(キーボード)が加入。
「第11期」
坂本はスタジオに訪れることもなく脱退。
「第12期」
同年4月、鈴木(健)が再脱退。
「第13期」
中野と棚網はドラマーを探すべく町中にメンバー募集の張り紙をする。
張り紙の内容は「ドラム募集。僕らは高二のバンドです。現在四人で活動中です。やりたい人はタコの足をちぎって下さい。電話して下さい。田村裕則。」
田村裕則は偽名である。
張り紙を見た下村(年上女性)が加入を希望するが「ドラムは叩けない。」と発言。
しかたなくキーボードとして加入。
「第14期」
ほどなくして林が脱退。
「第15期」
同年5月、メンバーに女性が加入したと聞きつけた鈴木(健)が再々加入。
「第16期」
1回のライブを行うが下村が脱退。鈴木(健)が再々脱退。
「第17期」
同年5月、冨永再加入。
「第18期」
ほどなくして林が再加入。
「第19期」
同年8月、冨永が脱退。
「第20期」
ほどなくして棚網が再脱退。
「第21期」
同年10月、鈴木(健)が再々々加入。
「第22期」
2001年1月、棚網が再加入。
「第23期」
同年5月、石田が脱退。
「第24期」
同年7月、鈴木(諒)(ギター)がサポート加入。
同年12月、鈴木(健)が再々々脱退。
「第25期」
2002年2月、田部(ドラム)がサポートとして加入。
「第26期」
同年4月、林が再脱退し、久保(ベース)が加入。田部が正式加入。
同年11月、突然の無期限活動休止宣言。その月のうちに活動を再開する。
「第27期」
2003年5月、石川(キーボード)が加入。
「第28期」
同年10月、田部が脱退。
同年11月、高橋が加入。そして1回のライブの後、脱退。
「第29期」
2004年1月、田部が再加入。
「第30期」
同年10月、棚網が再々脱退。
「第31期」
ほどなくして石川が脱退。
「第32期」
同年11月、石川が再加入。
「第33期」
2005年1月、中野が初のソロライブを行う。
同年11月、初のワンマンライブを行う。
2006年5月、2度目のワンマンライブを行い、久保が脱退、石川が再脱退、鈴木(諒)が脱退。
メンバーはついに中野、田部の2人になる。
「第34期」
その頃、インディーズフルアルバム発売の話が舞い込む。
同年7月、話を聞きつけた初代メンバー河口が再加入。
「第35期」
2007年4月、「SHAKE&BABY」発売。インディーズ単独デビュー。
この頃杉崎(ベース)が加入。
「第36期」
同年8月初の全国ツアーを行う。
その後杉崎が脱退。
「第37期」
2008年6月、小笠原(ドラム)が加入。
「第38期」
同年末、佐々木(ベース)加入。
「第39期」
2010年、河口が再脱退。
「第40期」
同年末、小笠原が脱退。
「第41期」
2011年、中野(ドラム)が加入。
「第42期」
2012年、中野(ドラム)が脱退。
「第43期」
2014年頃、渡辺(ドラム)が加入。
「第44期」
2015年、上田(ギター)が加入、佐々木が脱退。上田が脱退。
「第45期」
2016年頃、岡(ベース)がサポートとして加入。
同年頃、渡辺が脱退。
「第46期」
2022年、岡が加入。
「第47期」
同年、河口が再々加入。
2024年、25周年記念リサイタルをやろうとしている。