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私が哲学カフェを始めた理由 1

ん?哲学カフェって何?

きっかけは、日経新聞の別刷↓

週末は哲学しよう 解なき時代、対話が生む考え抜く力

NIKKEI The STYLE
The STYLE
2023年3月17日 14:00 [会員限定記事]
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGH206L30Q3A220C2000000/

私は対話型の政治に関する会合に、長らく参加してきた。
この会合も討論はしない。
コーディネーターが場の進行を担当して、違いを楽しむことに徹する。
だが、
政治に限っていると同じような考えの方が同じような感想を述べ、
方向性は一緒だよねというある意味「共感の場」にどうしてもなりがちだと私には思えてきていた。同調圧力が働いてしまうように感じた。

『クルミドの朝もや』には、何か違う匂い?を感じ、
さっそく申し込んで参加してみた。

1回目は、オンライン開催に参加。
たまたま、私の提起した『問い』
『女性活躍推進は古いのか?生理休暇は差別?』を取り上げていただき、
私はあえて、何も発言せず、参加者の声に集中してみた。
すると、
今まで自分がこうじゃないかと思い込んでいた考えが、
するすると解かれ、あら不思議、フラット、ゼロベース、
違った角度から考えてみように変化してきた。
これは、楽しい!そう、楽しいんだ。
自分の凝り固まった考えが、みんなの語りによって、解きほぐされていく。
自分の考えが変わるということではない、
改めて、もう一度、もやもやしてみようとなったのだ。

なかなかこの体験を言語化するのは難しいのだが、

自分の考えを開陳する

みんなの同じ意見、違った意見を聞く

反論をしないことで、違った意見を自分の中にまずは落とし込んでみる

もっと違った意見を聞く

反論したかった考えが一旦リセットされる感覚

『自分の考え』というキャパが広がる感覚、
他者の意見に耳を傾けられるキャパが増える感覚を得る

その後、西国分寺の『クルミドコーヒー』まで片道2時間もかかるのに、
2度、通い、すっかりはまってしまったのだ。虜になった。

3度参加して、考えた。

毎日のように会社で似たような会合をしている
(社員に討論させないでじっくり考えさせる)私は、
これ、私にもファシリテーターが出来るんじゃないか、
それは、これまでのもやもやしてきた政治の対話のいびつな状況(同調圧力)を
打破することに繋がらないか、
いやいや、そんな大それたことじゃない、
私が楽しいならば、きっとそれに共感していっしょに楽しみたいと思う人が
いるんじゃないか、
そう、思った。

だから、思い切って、失敗してもいいからやってみよう、
そう思ったのだ。と思う。

第一回目は、参加したみなさんに私がやっていきたい哲学カフェの意義が
私の力ではなかなか伝わらないと感じはしたが、
だからといって、手応えがなかったわけではない。

会話を楽しむ、会話を聞く、それを繰り返す、
これは日頃、誰かに話を聞いてもらいたい人が多くて、
だけれど、誰かの話をじっくり聴きたいと思う人が少ない、
これが逆転すれば、
世の中がもっと楽しくなるんじゃないだろうか。

私の密かな策略である。








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