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忘れる上に雑になりがちなことをいちいち考えてみた。

かれこれ日本語を使えるようになってだいぶ経つんですけど、未だにうまく使いこなせてないなぁって思います。弟子です。

生産国日本の私で、ネイティブな日本語使いだと思ってたんですけどそうではないなぁと思うことが近年よくあります。

まぁなにが言いたいかっていうと単純に大人になっても日本語って難しいってことです。

文法が〜とか、表現が〜ってことももちろんあるんですけど今回は言葉の捉え方にフォーカスをあてていきたいなと思います。 

例えば「花束」って言われて想像するものって人それぞれだと思います。バラの花束だったりアレンジメントされたカラフルなものだったり可憐な小さな花束かもしれない。不思議じゃないですか?同じ言葉なのに抱いている印象が違う。思ってることが微妙に違ってる。時には全く違ったりする。
話は通じるけど、細かく説明を付け足さないと自分が思ってることってのは伝わっていないように感じます。だからうまく伝わりきらなくて齟齬が生まれる。誤解したり勘違いして面倒な事になったりするのかなぁと。
しかも伝わらなくてもやもやするのは1番伝えたいところが伝わらないからなのかもなーっていうとこは今考えているところです。  

でも日本語に限った話ではないのかもなぁ。どんな言語だって感覚的なものは同じなのかも知れませんね。日本語しか話せないのでちょっとわかんないですけど…

さて、そんな微妙なズレがあるにもかかわらず伝わる時と伝わらない時があるのはなんでなのかなぁ〜って考えてみると、それは想像力なのかなと思います!

いろんなパターンの花束ってものを知っていることですかね。
雑に言葉だけを見れば花が束になっていればどんなんでも花束なわけで、折り紙で作られた花の束でも花束ですしね。

どんな状況で"花束"って言葉を使っているのかでも変わってくる。言葉に文脈がプラスされるとより想像が広がっていく。

言葉に対してもつイメージパターンが少ないと広がる世界もそれなりですが、それが多いとめちゃくちゃ大きいものになって考えられる事も増えていくのかなと思います。凄く楽しい。

イメージって言いましたけど、ようは解釈って事ですよね。
その人がそれぞれ経験してきたものを元にして色々なイメージ、解釈がある。
一人一人経験してきたことって全く違うのでイメージするものがぴったんこ!!!一切違わず同じ!!なんてないわけですよね?
だから言葉を使う。足りないものを言葉で補う。

最初の頃に言っていることと今とで話がころっと変わってしまう気がするけど…ようはどっちも使って擦り合わせていくことが大事なのかなと。

どう言葉を尽くしても全く同じにはならない。
まぁ,全く同じにしなきゃいけないわけじゃない。目的はそこじゃないんで。

・自分と相手は別の人間なんだって忘れない。(みんな違って当然。同じじゃなきゃいけないわけじゃないぞってこと)
・そのために言葉を使って必要な事をすり合わせる。
・目的を忘れない事(手段を目的にしない)

当たり前すぎて忘れる。
当たり前ほど出来てなかったり大事なことだってこと忘れがちですね。
気をつけよっと。

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