思い出という鎖
思い出は温かいものであり
切ないものであり
時には、未来へ踏み出す足を引っ張るものにもなる。
旦那様が突然死んで
仕事に育児に精神疲弊と先の見えない絶望に
死別2年目に子供連れて死ぬことを考えて
そこから自分を整えるためにヨガに通い出しました。
そのヨガスタジオに通い始めてから5年半
固かった体はヨガスタジオの中でもトップクラスに柔らかくなり
健康や運動に意識が向いて生きるようになりました。
通っていたヨガスタジオは
仕事の終わりにサクッと行けるように
当時勤めていた職場の近くのスタジオでした。
その勤め先を辞めて
もう数年経ちます。
数年経つのに、今も変わらずそのスタジオに通っています。
わざわざ電車を乗り継いで。
ヨガスタジオなんていくらでもあるのに。
今まで何で思わなかったか不思議なくらいに
最近「スタジオ変えてみようか」そんな思いが浮かぶようになりました。
近場にしたら通うのが楽になるだろうし
新しい場所は生活の刺激にもなるかもしれない。
今通っているスタジオのシャワーの出が悪いのも
ストレスだったのかもしれない。
朝のプログラムのクラスに出るのに
ぎゅうぎゅうの満員電車に乗らないといけないのも
ストレスだったのかもしれない。
このスタジオを辞めようか。
そんな思いが自分の中に芽生えると同時に
身を引きちぎられるような寂しさに襲われました。
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