何者にもなれないと思ってた私が、唯一無二の"わたし"であると気づけた話
こんばんは、せせです!
今日は、何者かになりたいけど何者にもなれなくて苦しんでいた私が、何者にもなれない私が”わたし”なんだ、ということに気づいた話をしようと思います。(伝わる…?😂)
私は今まで、色々な講座を受けてきているのですが、グループ講座で受講していると周囲にすごい人がいっぱいいるんですよね。例えばお医者さんだったり、コンサルしてるとか、自分で起業して稼いでますとか、プログラマーしてますとか、、
私は今まで、肩書がある人=会社の中で役割がある人 って捉えていたから、みんなすごい人に見えていて。
自分がやっている仕事の肩書がないのがすごく嫌で。
社会の中で役割があるっていうところを、本当にすごいと思って、勝手に自分と比較して落ち込んでたんだよね。
過去を振り返ってみると、 私って結構昔から何者か、何かすごいものになりたかったなっていうのに気づいたの。
で、
子どもの頃に何かするモチベーションっていうのが、親が喜んでくれる、親が振り向いてくれるっていうのが動機だったんだよね。
だから、何か注目を引けることをしたり、お手伝いをしようと思ってた。
さらに、大学とか高校とか選ぶ時もそんな感じで選んでた。
今思うと自分の人生なのに親が喜んでくれるとか、周囲に褒められるとかっていう理由で選んでいたのが信じられないんだけど…
さらに、私は昔から人と違うものを選ぶのが結構好きだったんだけど、なんで私が人と違うものを選ぶのが好きか考えてみると、”注目されたいから”だったのかなって思う。
でも、それは、本当に私がやりたいことじゃなくて、人と違うことをやって自分が目立ちたいからでもなくて、、目立つことで相手に気づいてほしいとか、褒めてもらいたいとか、そういう気持ちがあったなっていうのを今になって思うの。
別にそれがすべて悪いことだとは思わないけど、相手の反応のために選択することがずっと苦しくて。(そもそもその選択をしていたことに気づいてなかったの!)
自分の意志ではないことを選択して何者にもなれない自分が苦しいってそりゃそうだよね。
何をしても人並みで、1番になれないことが苦しかったり、辛い時もあった。
でも超人でもない限り、全てにおいて1番なんてできっこないし、 やっぱ人間だから得意不得意っていうのがあると思うんだよね。だけど、私の場合は、1番になれない自分に対してなんでできないんだ、あの人はあんなにできてるのに、という感じで自分の足りないところばかり注目してたんだよね。
だけそうじゃないの!
一番にも、何者にもなれないと思ってたけど、私は私なの!
今までの私がいろいろ頑張ってきたんだよって。
勉強だってそこそこだし、運動神経だってめちゃくちゃいいわけでもないし、1番になりたくてもなれない。でもそうやってもがいてる私も、全部ひっくるめて私なんだなって。否定するものでは全然ないの。むしろ頑張ってきた自分を包み込んであげて欲しい。
まだ現実とか自分の実力を受け入れられないこともあるけど、今の私が尊い私で、まずはそのまま自分を受け入れないと何も始まらない。
足りないものばかりを見ても自分が苦しいばっかりだなって気づいた。
本当ににやっと気づけたんだよね。
なんか大学とか行っててもさ、ほんとみんながすごい人に見えてきて、 私には何もないって本気で思ってたし。
私は私なんだっていうか、、今のままの私が私で、今まで積み上げてきたものの成果が私で、振り返ればあの時ああすればよかった、こうすればよかったっていうのはもちろんある。でも、ああすればよかった、こうすればよかったって考えてた時も、自分の中で色々考えて決めてきたと思うんだよね。
その決め方が自分の内側と向き合うんじゃなくて、人にどう見られるかっていうの外的要素で選んでたりしてたから、苦しかったと思う。
今回言いたかったのは、何者にもなれない私はもう何者にもなってて、今までの積み重ねでできたかけがえのない私なんだっていうこと!
やっとここから自分の人生が始まるんだと思えた。
まだ、人と比べて苦しくなる時もあるし、自分のできなさ具合に何悲しくなることもあるんだけど、
だけどやっと、何者でもない私を、今の私を認められたなって思った。
自分の中ではすごい第一歩だと思って思いつくままに書いてみました。
なので今日はいつも以上にまとまりがないね。
こんな時もいいよねということで。
今日はこんなところで!またね~👋