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親のいる処
一昨年、母が小さな家を建てた。
一人暮らしの為のこじんまりとした家。
薄いピンク色の外壁で、とてもかわいい。
間取りにしたら1LDKの、使い勝手のいい素敵な家だ。
私と長女は愛を込めて「ピンクの家」と呼んでいる。
その家が出来上がった時、同じ敷地内にある、それまで母が住んでいた部屋から荷物を移す為、私は長女と二人で母の新しい家を訪れた。
「かわいい!」
私達母娘は一目で気に入った。
まだ荷物の入っていなかった室内を見ると、小さいながらも広々としていて住みやすそう。こじんまりとした中に、生活に必要なものが全て揃っていて、80代の母が無理せずに動けそうだ。
長女と二人で二日かけて荷物を運び、それも楽しい作業だった。
日を改めて度々母のところに通い、必要な収納家具を買いに行ったりして、家の中が仕上がっていく。
「この家は人の集まる家になるね」と母に言った。
本当に居心地の良い家だと感じた。
私の実家はそのピンクの家ではない。
正確に言うと、私が結婚するまで両親と一緒に住んでいて、結婚後は実家となった両親の家は別のところにあり、今は弟一家が住んでいる。
父が亡くなったのをきっかけに、弟たちが母と同居をすることになり、10年近く一緒にいたのだろうか? ある時家族で訪ねたら、母がその家で〝暮らしていない〟ことを知って驚いた。
当時母は、私の実家から車で約15分のところで趣味の域を超えた畑をやっていて、そこにある休憩用に作った小部屋で寝泊まりしていると。
「えー? 休憩じゃなくて? 住んでいるの? あそこに?」と思わず言ってしまった。
畑仕事の合間の休憩用の為、生活インフラは整っていないあの部屋で?
外に畑用の水道が一つあるだけのあの場所で?
電話で話す時、そんなことは何も言っていなかったのに。
そちらを訪ねてみて再び驚いた。
ぶっちゃけ、私はここでは暮らせないと思った。母はここまで逞しいのか? と思った。
汚いわけではない。でも凄く不便。
どう不便かは悲しくなるから書かない。
母がその部屋に住んでいる間は、私はいつも日帰りをしていて、宿泊はしたことがない。
長女がある時友人とキャンプに行く相談をしていて、施設を検索していた時に「コレっておばあちゃんちじゃん」と思い、改めて驚いたと言っていた。
母にとって初孫で、唯一の女の子の孫でもある長女は、おばあちゃんと仲がいい。
「ウチのおばあちゃん、キャンプしているから」と言いながら、時々顔を見せがてら様子を見に行っていた。
母がその生活を何年か続けて、ある時三ヶ月ぶりくらいに会ったら、なんだか急にもの凄く年をとっていて、腰が曲がり、元気もなくなっていた。
これにまた驚いた。
ますます高齢になっていく母の年を考えると、生活圏内に必要なものが全て揃っている、街中にある元の家に帰るのがベストではないか?
私も最初のうちはそう思っていたのだが、母は「ここが気楽でいい」と言う。確かに父と二人で住んでいた時とは事情の違う元の家に帰ることが必ずしも母にとってのベストではないのだと、私の考えも変わっていた。
だから、ここで暮らすのなら、もっと住まいを整えたらどうかと、度々母に話していた。
でも母は、今から家にお金をかけるなんて、といった感じで、その気にならなかった。
そりゃそうだ。父と二人、終の棲家のつもりで建てた家があったのだから。
「お母さん。ウチは狭いけれど、一緒に暮らそう。一緒に住んでくれない?」と声をかけてもいたが、「ありがとう。ここがいいわ」とその気にならなかった。
母は逞しい。体は細く小柄だけれど、心身ともに強い女性だ。
自営業で色々あったと思うけれど、いつも父をサポートし、励まし、支えて生きてきた。
弱々甘々の私が「ここでは暮らせない」と思うところでも、孫がキャンプと呼ぶ生活をし続けていた
70代だった時は、まだまだ動けたのだろう。
でも、おそらく長い間の無理な生活で体に負担をかけ続けたのだと思う。
急に体にきた。そんな印象を持った。
動きもゆっくりになり、危なかっしく感じることが増えた。
そして、腰が曲がり、背中が痛くて苦しいと言うようになった。
これがあのテキパキと動いていた母か……
もう今の生活は限界だ。そう思い、再び母に住まいを整えることをすすめ始めた。または、部屋を借りてはどうか? と。
そしてようやく母もその気になり、では部屋を改装しようということになった。
母は、以前家を建てた時の設計士さんに相談をしたらしい。
そしたら、使っている部屋をそのまま改装するのは難しいということで、突如家を新築することになった。これまたビックリ。
でも良かった。これで母も不便のない生活ができる。
昔馴染みというか、旧知というか、気心の知れた関係というか、母はその設計士さんに、色々とリクエストをしたようだ。
私がいるときにたまたま訪ねてきて「Seikoちゃん、助けて。お母さん、無理難題が多いよ」と笑っていた。
「最初来た時は驚いたよ。だって暮らせる部屋じゃないでしょ。あんないい家(自分が設計した)があるのに、なんでわざわざここで暮らしてるのかと思ったよ」と、気心の知れた人は、言いにくいことも平気で言う。
「いい家を建てていただきありがとうございます。母がこの家で暮らせるなら私も本当に安心です」と心からお礼を伝えた。
母がピンクの家で暮らすようになってそろそろ一年半がたつ。
先日会ったときに聞いてみた。
「住み心地はどう?」
「最高」
「家建てたこと、後悔していない?」
「ううん。もっと早く建てればよかった。
もうね、前の生活は限界だったから。年だね」
そう話す母はとても幸せそうだった。良かった。
母が普通の住まいで生活をするようになり、私自身はとても安心をしている。でも、母はどう思っているのだろう? 人生計画にはない、建てるつもりのなかった家。使うつもりのなかったであろう蓄え。
私にしつこく言われてその気になったものの、どう思っているのだろう。
ずっと気になっていた。
でも、母の言葉を聞いて、今度こそ本当に安心した。
不思議に思うのは、今、私の実家は? と言うと、母の暮らすピンクの家のあるところだ。
以前父と母が暮らしていた家は、私にとって実家と呼ぶ場所ではなくなっている。
そう思うのではなくて、そう感じるのだ。
私が結婚するまで住んでいたその家は、元(もと)実家。
どこに移っても、親のいるところが私の実家なんだな。
母の小さなピンクの家は、とても居心地がいい。
友達もよく訪ねてきているようだ。
ほらね。やっぱり人の集まる家になったでしょう?
ああ、もしかしたら、小さなピンクの家で、母自身が居心地のいい場所を作っているのかもしれない。母はそういう人かもしれない。
両親の住んでいた頃の元実家も居心地がよかったことを思い出した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も幸せな一日でありますように!