お金を遣う時後ろめたく感じるのはなぜ? と思った
時々私の中で起こる葛藤があります。
それは、
「〇〇したい」私と、「えーそれってさ」とダメ出しをする私、
または、
「◇◇したくない」私と、「えーそれってさ」とダメ出しをする私、というものです。
そういう葛藤を感じながら、フムフムとその場その場でなんとなく流してきていました。
でも、最近、フムフムと流せないことが増えてきました。流させてくれないというか。自分が。
これまではダメ出しの声が聞こえても「フムフム」と流していたのが、ここのところダメ出しに対して「そうは言ってもね」と伝えてきます。
したいものはしたい、したくないものはしたくない。もう色々言ってくれるなと。
それで、この間ある出来事がきっかけでその葛藤の状況が起きたので、考えてみたわけです。
「なんでだ?」と。
先日、買い物に行った時に、いくつか気に入ったものを購入しました。
私はわくわくルンルンという感じでした。
すると私の中から
「あーこんなに買ってしまった……」
「あーお金遣ってしまった……」
というダメ出しの声がしました。
せっかく楽しく気持ちよく買い物をしているところに、自分を責める気持ちや、後ろめたさが出てくる。自己内葛藤が発生です。
癒しのワークなどをやってきた過程で、お金のことについても何度か扱いました。
それで楽になったことも、軽くなったこともあります。
でも、この葛藤は相変わらずあるんですよねぇ。
それで、今回ふと考えたんです。
なんでだ?
こんなに満足しているのに、
その声、どうして出てくるんだ? 誰がダメって言っているんだ?
何に対して後ろめたいんだ?
私はその時、本当に欲しいものを手に入れました。
心から満足して、幸せで、楽しくて、喜んでいました。
私の中から自然に湧いてくる感じです。
買ったものを使うたびに、嬉しくて幸せな気持ちになるのは間違いない。
悪い事は何もしていない。はず。
でも「買ってしまった…。お金遣ってしまった…」の声には、自分を責める感じがあり、私は〝気に入ったもの〟を買うことを少し後ろめたく感じました。
後ろめたいということは、悪い事をしていると感じているの?
なんで? なんで? 変じゃない?
だって、その時私は、本当にやりたいことをやったんだよ。
それも正攻法で手に入れたのよ。
あの幸せな気持ち、自分自身が満たれる感じ、私にとっては大正解じゃないの?
自分にとって大正解なのに、買ってしまった、お金遣ってしまった、って、どうして責めるの? 何が後ろめたいの?
はて、これはどういうことだ?
もう少し掘ってみました。
「買ってしまった……」
「お金遣ってしまった……」
(感じる後ろめたさ……)
「買ったこと、これは秘密」
「知られたら困る」(誰に⁇)
「私はいけないことをしている……」
「お金が減ってしまう」
「なくなってしまう」
など、私の中にある、密やかな声をキャッチしました。
いけないことをしていると思っているんかーい。
私は「お金を遣うことはいけないこと」と思っているの?!
ビックリ仰天。初耳だ。
初めて出て来た。うわ~、そうなのか~。知らなかった。
それはそうと、知られては困るとか、誰に対してそう思っているのか。
親ですね。多分これは。なぜかそう思いました。
でも、私の親も「お金を遣うな」とは言っていませんでした。
「お金を遣うことは悪いこと」とも言われていません。
お金について厳しかったわけでもないです。
じゃあ何て言っていたっけ? と考えると
例えば「お金は大切にする」
(本当に欲しいもの、必要なものがある時に手に入れられるように)
そういうことだったと思います。
あとある時父が言ったのは
「Seiko、金は持っていないとダメだぞ」とか。
父が言いたかったことは、お金があったら、いざ自分が必要な時に何でもできる。だから必要のないことに無駄に遣うなよ、ということだったと思います。
ただ、私は父のその言葉を
「だから、お金は遣ってはダメ」
と解釈したのかもしれない。
だから遣うと後ろめたいのかな?
父も母も散財せずにどちらかというと貯める人達。堅実なタイプです。
でも、必要なものは買っていたし、欲しいものも手に入れていたと思う。
堅実だけれどケチでもない。浪費家ではないけれど、特に節約家でもない。
結局私は、親が言ったことや、とても厳しかった親との関係性や、親を見て感じていたこと。親以外のものもあるかもしれない。
そこから、まだまだ幼い、未熟だった〝私〟がお金について何かメッセージを受け取って、自分の中に取り込んでいたのかなと思います。
そういうものが〝私の解釈〟で変換されて
「お金は遣ってはいけない」
「お金を遣うと(親に)何か言われるのではないか」
「お金を遣ったら怒られる」
「だから秘密」
というような観念になっているのでは? と思いました。
私は私の創った幻想を恐れていると気づいたのですよね……
実際には誰も私を責めないし、誰にも何も言われません。
ただ私の中から声がするだけです。
実態のない幻想からの声です。貼りついた観念です。
それらは私の本当の本当の本音ではないもの。
生きてくる過程で私の中に入り込んだもの。
それも、外側にある声や人の影響で入り込んだもの。
私の純正のものではない。
今のところ、そういう結論です。
この辺りの観念をさっさと手放したい。
かと言って、気づいたからって直ぐには消えない。
しっかり私の一部です。
出てくると心地悪いけど……
この一連の流れを経験して思うのは、
私は自分を信頼したいんですよね。
本当に好きなものに出会った時、それを手にした時に生まれる喜びの感覚や感情は、それが本物だと私に伝えてくれている。私もそう実感できる。
その自分の感覚を100%で信頼したいんです。
なんの疑いもなく、なんの不安もなく。
さて、これからはこの声達とどうやって折り合いをつけるかですかね。
もうこの葛藤、分離の状況がほとほとイヤで、
今までのように流すことも難しくて、私にはもう必要ないなぁと思います。
後ろめたさを感じようがどうしようが、買う時は買うし。
「そうだよね、お金遣っちゃダメだよね。では止めます……」
とはならないよね。
欲しいものはただ喜んで手にして、気持ち良くお金とも付き合いたいです。
嬉しいものは嬉しいと、純粋に喜びだけを感じたい。
前に進みたい私がいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も幸せな一日でありますように!
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