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No.26 新米母生活。この頃が人生の一つの岐路だった

出産も私にとって大きな出来事だったけれど、
しばらくして別の岐路がやってくる。

私は産休後はそのまま育休を取っていたが、4月には仕事に復帰をしたいと思っていた。長女は6月生まれなので、ちょうど生後9か月くらいになっている頃だ。
それには何より保育先を確保することが必須。
9月頃から保育園探しが始まった。
けれど、その頃の私はまだまだそのようなことには疎く、情報も無くて、周囲に知り合いもいなかった。そして近隣には保育園が少なかった。
入園倍率5倍の区立の認可保育園が一つと、同じように高倍率の私立の認可保育園が一つ。
当時の私は色々と詰めが甘かった。
結局保育園への入園は叶わず、代わりの保育先も見つからず、
私は退職をすることに決めた。
残念だった。とても。
区からの入園不認可の通知が届き、それを見た時は、がっくりきて膝が折れた。
仕事を続けたいのに、自己都合でなく辞めなければならないなんて、
なんて理不尽……
そんな風に思った。

当時の総理大臣が、〝待機児童ゼロ〟という政策を公言していて、だいぶ大きく取り上げられ話題になっていた。
本当に早く実現して欲しい。そう思った。

でもまあ、嘆いても仕方がない。
夫は平日は留守になる為、仕事をしながら私ひとりで育児をすることになる。
それがどんな様子になるのか見当もつかなかったし、あまりにも子供に負担になるようならば、その時は仕事のことは考えよう。
そう決めていたので、それが早くなったということだ。
そう思い、気持ちを切り替えた。

上司に退職の意向を伝えた。
「君がまたやりたいと思った時は、いつでも声をかけて欲しい」
そう言っていただいた。
ありがたかった。

育児に専念していたと言っても、それまでは気分は育児休暇だった。
仕事に戻るまでの貴重な時間と思っていた。
けれど、仕事を辞め、子供を育てていくことが私の主の役目であり仕事になった。その後にやったことも育児休暇中と変わらなかったけれど。

あー、今思い出しても気持ちが下がる出来事だ。
仕事、したかったな。
あの時も、自分がこんなに仕事をしたいと思っていたとは知らなかった。
そう思ったことを思い出す。

まあ、それも生きているうちの出来事のひとつか。

今日も幸せな一日でありますように。

Love & Peace,

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