何気ない一言が誰かの世界をひっくり返すかもしれない
昨日の朝、起きてリビングにきた息子にきいてみた。そしてこんな会話をした。
私「親子じゃなくて他人だったとして、私に頼むとしたら何を頼む?」
しばらく考えて、息子が
「わりと何でも頼めるんじゃない?」
私「それは頼みやすいってことで? 他人は遠慮するかもよ」
息子「能力のことできいてるんだよね?」
私「そう」
息子「オレかなり無茶振りするけど、オレの無茶振りが不可能だったことがないと思う。叔父さん(私の弟)も言ってたよ」
と言って私の弟から聞いたという話を教えてくれた。弟がそんな風に思っていたとは、と驚きつつ会話は続く。
私「そうかな。それはさ、頼めば何でもできそうってことかね」
息子「うん、そう」
私「ふーん…」
息子「魔法だと思ってるから」
私「!?…」
息子「でもさ、よそんち(の親)も皆んなそうなのかな。オレ、他は知らないからさ」
私の意図した答えではなかったものの、息子の考えを聞いて驚いた。意外が過ぎてちょっと言葉が出なかった。
自分が無茶なことを言っているとか、こんなこと言って大変かな、ムリかなとか、そういったことを思っていたということだろうか(私の想像)。
魔法という表現は、私のしてきたことが、息子にとって決して当たり前のことばかりではなかったということか。
魔法じゃね? 凄いな。
そう思うこともあったということだろうか。
あの息子が。知らなかった。
本当にしばらくの間思考が停止した。
私の十数年がなんだか報われたような、救われたような、色々(息子関係の)ひっくり返ったような、そんな感じでもあった。
他の誰かに何を言われるよりも嬉しかったかもしれない。
息子は手がかかるというか、私の手には余るというか、手からはみ出すというか、私にとっては大変な子育てだった。
もうどうしたらいいかわからんよ
誰か助けて…
と言えなかった私よ、
色々あるかもしれないけれど、
息子が19歳のある日、驚くことがある。
だから頑張れ。
過去の私に向かってここから叫んでおく。
それにしても昨日の出来事は、私の何にそんなに響いたのだろう。ずっと考えている。
そこに私にとって、とても大事な何かがあると感じるからだ。それがカチリとはまり満たされたのではないだろうか。
私がこんなことを考えているとは息子は知らない。
自分の放った些細な一言が、母(私)の人生をひっくり返すような衝撃になったとは思ってもいないだろう。
その瞬間から私は、それまでいた所とは別世界に飛んだのだけど、今日も見かけは変わらない日常だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も幸せな一日でありますように。