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自分のど真ん中を生きる〜今どんな感じ〜

頭の中が静か。ふと気づいたらそうであった。

本来思考優位で、自分の意思に関係なく、無意識のうちに自動思考が発動しているような、いつも何かを考えいる左脳人間な私の、その思考が静まることがあるとは、私自身が驚いている。(思考ゼロという意味ではないよ)

今までの人生、一体だれが私の脳内で話しまくっていたの? と思うくらい、静かなのだ。
なんだかシーンとしている。
引っ越した?
こうやって文章をアウトプットするのも、頭の中が静かで体感として少しぎこちない。

そんなわけで近頃は、多分、今目の前にある事や今考える必要のあることに自らの意思で頭を動かすような、そんな感じだ。
例えば、今起きていないことについて考えたり、心配したり、憂鬱になったり、あー、とか思ったりすることはまずないのではないかと思う。
仮にあったとしても「今こんなことを考えている」と直ぐに気づいて、気づいたらそのまま考えを続けるか、そこでやめるか選ぶ。大抵はやめる。
なぜその考えが出て来たのか解るし、なんと言うか、色々と拘らなくなったかもしれない。

何も考えないのではなくて、無意識のうちの自動思考にほぼならないのだと思う。

昨年
純粋な、素の自分で
自分のど真ん中を生きる
そうしたい
そうする

と思って、そう決めたものの、素の私や、私のど真ん中がどこなのかはわからなかった。
〝ココ〟という具体的な目的地があったわけでもない。
ただ、過去の経験から、決めたらそこに向けて人生は動き出すと知っていたし、動き出したら目の前にきた事をやるしかないし、やってみたらわかると思った。

四年くらい心(インナーチャイルドなど)のワークをボチボチ続けているが、色々な私(の内側で起こること)を一つひとつ紐解いて、迎えに行って、取り戻してきた。
そして、「自分のど真ん中」と決めた以後のこの一年は、それ以前とは比較にならない、心の深いところを見ることになった。
私にとってゴーンと強烈で、かつ新鮮だった。
自己の仕組みをだいぶ理解した。
知れば知るほど、〝わたし〟は面白かった。

でもまあ、地道に(紐解いて癒してを)やってきたから、私の顕在意識も潜在意識も、そろそろその深いところ、ガツンとやってもいいんじゃない? と、許可を出したのだと思う。
とにかく、酸いも甘いも全てが私にとって必要なプロセスだ。(まだまだ途中)
必要なことしか起こらないとつくづく思う

それで、その癒し、セルフケアをしながら、いらない思い込みや観念も剝がした。
正確には、何かが癒されると、そこに紐づいている観念や思い込みを剥がすことが出来る。
そして、癒されたその部分は、もう嘆いたり怖がったりはしないから、私自身が「おそれ」や「不安」に囚われたり、そこから行動を起こすことはなくなっていく。

そんなわけで、私の脳内も静かになったのではないか。
あ、超短時間の瞑想みたいな事も緩くしている。

観念や思い込みは、もともとは自分のオリジナルのものではないし、そういうものがその人のセルフイメージを作っている事もあるから、これを手放したら〝純粋な素の自分〟に戻っていく。というのが私の論理だ。

もう一つ体感しているのは
「今のそのままの自分」
そこに寛いでいる状態の私がいる、ような気がする。

この一年で何か凄い事が出来るようになり、成長したとか自信満々になったというわけではなく、何かを達成したり、成功体験を積み上げたわけでもなく、人に愛されまくる素晴らしい人になったわけでもない。
何かそういった原因があり、安心を手に入れたわけでは決してない。
私はずっと変わらず私のままだ。

でも、気づくと、最近は「そのままの私」を居心地悪く感じることがないなぁって。
それは、自分で自分をジャッジしたり、急かしたり、否定したりする声が頭の中からかなり消えたことが理由の一つだと思う。

「非のうちどころのない私になったから」責めるところが無いのではなくて、一年前と変わらない「今のそのままの私」に対して何か言う声が聞こえない。

とにかく、脳内(自己)の声から解放され、思考(観念とか)に急き立てられることもなく、自分に責められることもなく、平和な状態だ。
しかも以前とは比べものにならないほどに平和。
私はどれだけ自分自身に厳しかったのでしょうと思う。

自分のど真ん中を生きるとは、
今のそのままの自分で
自分に素直に
本音を生きるということかもしれない

それは、心と体と意識が
ブレなく合致している
調和している
思考や外の声に支配されていない
純粋なその人の状態なのではないかと思う。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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