小説「ササクレ」読書感想文

こんにちは。当ブログは夏川椎菜先生執筆小説「だりむくり」の読書感想文ブログの2回目(最終回)です。「だりむくり」の感想を綴った前回のブログはこちらからご覧ください↓

それでは「ササクレ」の感想に入ります。


小説「だりむくり」の主人公は、原曲の歌詞の深掘りのような役割を持っていました。原曲の二次創作?みたいな形でしたね。(本人が書いてるんだけど)
「ササクレ」も同じような感じなのかなと思っていましたが、読み終わった後、僕は「ササクレ」は「だりむくり」とは全く違う構成のお話だと感じました。
そもそも、原曲が公開された背景がこの2曲は全く違うと思うんです。
自分は以下のツイートのように、だりむくりを「聞き手の人生を歌った曲」と受け取っています。(本人がリリイベでもそんな事言ってた気がする)

それに対し、ササクレは初披露がMAKEOVER追加公演であり、私個人としてはあの曲を「MAKEOVER完走時点での夏川さん自身の心境を歌った曲」と解釈しています。夏川さん本人も、

ターニングポイントには「クラクトリトルプライド」(2021年1月発売の5thシングル表題曲)だったり「ササクレ」だったり、自分の考えを表明するような楽曲を置いていた

夏川さんのアルバム「ケーブルサラダ」インタビューより引用。当該記事リンクは↓

と、ササクレは自分の考えを表明する曲だと言及しています。
これは別の人の人生を歌うだりむくりとは真逆。だから小説の構成も違って感じて当然だと思いました。
そして原曲と小説内のストーリーは少し違う箇所があるとも考えていて。
原曲には「馴染むとこにだけ何となく染まった」とありますが、小説の主人公(黒髪)はサークルに馴染めずすぐ辞め、物語の終了時点で2人の音楽は始まったばかり。「馴染む」という言葉を使うにはまだ遠い気がします。
上の歌詞は、原曲発表当時に夏川さんが抱いた自分のソロ活動への解釈を表したものだと自分は思っていて、だから夏川さん自身でない人物が主人公のこの作品の状況とは相違ったと考えています。
じゃあ小説「ササクレ」に出てくる2人の登場人物の役割は何なのかという話ですが、
自分は「夏川さんのこの社会に対する価値観を伝えるための代弁者」だと思っています。
それを補強するのは小説に出てきた「駅の銀色のピーナッツのモニュメント」です。調べてみた所、銀色では無いですが千葉県の八街駅にピーナッツのオブジェがあるそうです。(千葉駅などにも小さなピーナッツのオブジェがあるらしい)

八街駅のモニュメント。画像引用元↓


夏川さんは千葉出身ですから、本人がこれを実際に見た事があるのかもしれません。これは夏川さん本人と小説を繋げる要素になると捉えました。(少し強引ですが...)
続いて本題の、小説が伝えたかった「夏川さんの価値観」とは一体何なのか?という話に移ります。
小説前半にはこの世の「クソ喰らえ」な所が沢山出てきました。陽キャ(?)達の「きしょい」飲みサー、そしてそいつらが就活になるとその経験をガクチカなどと言ってアピールして、それが通るかもしれない社会。それを主人公は「胸糞悪い」と言い放っています。
律儀に退会申請書届けを出した主人公を"総長"があざけ笑ったように、バカ真面目なだけじゃ評価されない、それどころかその真面目さをバカにするような奴が評価される世の中。その理不尽さがリアルに描かれています。

そして主人公2人はその理不尽に対する感情を、それぞれ違った形で音楽にしています。2人の中で「この世の中はクソ(な所がある)」という解釈は一致しており、悔しさや悲しさという感情を記録したのが黒髪、世の中に反抗するようなロックを作っているのが金髪。
そして夏川さん本人も、皆さんご存知の通りソロ活動で沢山の楽曲を発表しています。
その中で黒髪の「自分の抱くネガティブな感情の記録」としての音楽は、パレイドなどの楽曲のコンセプトに合致すると思いますし、金髪の「クソ喰らえを叫ぶ」コンセプトは最近の夏川さんの音楽に近しいものを感じます。
金髪は一般人の前で路上ライブをしましたが、あれは「自分たちの敵」である一般社会に自分達の音楽を「ぶつける」事が肝なのかなと考えています。だからこそ、「敵」である一般人に懐柔されるように流行りの曲のカバーなどをした前のコンビとは音楽の方向性が合わなかったのでしょう。それに比べて黒髪は貰ったお金を募金、苦手なFコードから逃げず不恰好でも自分の感情の吐露を優先した曲を作りました。更に「先輩クソッタレ」という獰猛に歯向かっていく感情のオマケ付き。ナイスコンビですね。
夏川さんの楽曲もまた「一般社会は敵」または「大人達はつまんねぇ」みたいな価値観の歌詞のものが多いと捉えています。

夏川さんのライブは同じ考えを持ったヒヨコ達が集まった場という金髪とは真逆な環境で行われますが、一般社会から離れた同胞達が集まった場で、ナメクジが抱くネガティブな感情に寄り添ったり、ナメクジなりの生き方を提示してみたり、ナメクジを戦いの場、一般社会に勇気を持って送り出したりする為の曲達を同胞達に浴びせる。それはライブ会場を出たヒヨコ達が、金髪のように夏川さんのスピリットを胸に「一般社会と戦う」事に繋がる。

ぐっちゃぐちゃでも、きったなくても、「クソ喰らえ」と感じる自分の価値観を叫んでネガティブをポジティブに変えて、ヒヨコ群を(またナンちゃん本人も?)一般社会と戦わせる原動力にする。その音楽の方向性と、その方向性に至った原因である現代社会の様を言語化した作品こそ、小説「ササクレ」なのではないでしょうか?これが僕がこの小説を読んで感じた気持ちです。

以上で「ササクレ」の感想を終わります。
1作目とはかなり違ったタイプの感想を書きました。かなり頓珍漢な事を言っているのかもしれませんが、あくまで感想文なので、感じた事を素直に書かせてください笑
「passable:(」の感想は書けなかったですが、明日投稿のブログでこの小説について少し触れます。そちらも是非ご覧になって頂けるととても嬉しいです。
長文になりましたが、ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました!
それでは。

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