「ケーブルモンスター」開幕を前に 〜「諦めた」ヒヨコ達が前を向ける理由〜
こんにちは。ついに、ついに夏川さんの声出しライブツアーがやってきますね。
この時が来るまで、夏川さん、ヒ労組の皆さん、ヒヨコ群、皆で色々な事を乗り越えてきたと思います。このタイミングで、夏川さんのアーティスト活動、アルバム「ケーブルサラダ」についての感想を述べ、ライブの展望もしていこうと思います。長文にはなりますが、お付き合い頂けると嬉しいです。
※当ブログは、ケーブルサラダや夏川椎菜さんについての「考察」ではなく「解釈」のブログです。
「ふーん、ヒヨコの一羽はこんな捉え方してるんやな」って感じで受け取って頂ければ幸いです。
○未来ではなく今にフォーカスできるライブ 夏川さんは、ここまでソロライブを沢山やってきましたが、それらは全て「目指したい未来」にフォーカスしていたと思います。
プロットポイントは「なりたい自分への第一歩」、
Pre-2ndは「声出しライブを最高の状態で迎えるための修行(?)」、MAKEOVERは「進化する為の大変身、大工事」。
このような印象を自分の中で持っています。ケーブルモンスターは「溜まった膿、今こそ大爆発」みたいなイメージです笑。大爆発が出来るのは1stライブ、いやその前から一歩一歩先を見据えて歩んできたチーム夏川の努力あったからこそ。改めて、明確なビジョンを示し続け一つの完成となるライブまで辿り着いた夏川さんは本当に尊敬できます。ビジョンが明確だったからこそヒヨコ達もその意味を理解してここまで一緒に楽しみながら進んでこれたと思いましたし、成長した夏川さんのライブに参加できる喜びも倍増すると思います。
そんな楽しみなライブ「ケーブルモンスター」は、ご存知の通りアルバム「ケーブルサラダ」を引っ提げたライブです。なのでケーブルモンスターを語るには、このアルバムについて考えるのは必須。という事でケーブルサラダについての自分の解釈を書きます。
○ケーブルサラダは「提示」のアルバム
ケーブルサラダを一言で表せと言われたら、僕は迷わず「提示」と答えます。この解釈に落ち着くのに、小説「ラフセカンド」が大きな役割を果たしてくれました。というのも、「だりむくり」「ササクレ」の物語それぞれに一つずつ「提示」された物があったと感じたからです。この段落ではそれについて述べていきます。
まず「だりむくり」。ここで提示された物は「人間が大人になる中で失った物」だと思います。
大人の主人公は、子供の頃砂場で書いていたカブトムシを書けなくなっていました。それは自分が子供では無くなってしまっただけでなく当時の記憶すら薄れてきてしまった、カブトムシを砂に描くような子供ならではの人生の楽しみ方はもう出来ないんだという事です。
続いて「ササクレ」。ここで提示された物は「クソ喰らえ」な事だと思います。
簡単に要約してしまうと、「この世の中は真面目に生きてる奴より陽キャの方が楽しめる事がある」みたいな理不尽な事ですね。
じゃあ、ケーブルサラダはネガティブな提示をするだけの陰鬱なアルバムなのか?勿論そんな事はありません。この後の段落で、ここでの提示が重要になってくるのです。
○ラフセカンド、ファーストプロットから分かる「なりたかった自分」
このアルバム最後の曲はラフセカンドという曲。
皆さんご存知だと思いますが、この曲はファーストプロットと大きな関係があります。
この曲の作詞は夏川さん、作曲は田中秀典さん、編曲は川口圭太さんで、この顔ぶれはファーストプロットと全く同じ。
夏川さん本人も、ケーブルサラダのインタビュー記事でこの曲を「ファーストプロットのアンサーソング」と認めています。
ファーストプロット発表時期の夏川さんは、「"なりたい自分"像があり、そこに向かって長い目で一歩一歩進んでいこうとしている」という印象があります。(この頃自分はファンでは無かったので
詳しくは分からないのですが)
夏川さん本人もブログで「茶髪にした理由」について以下のように述べています。
「カラフルでダボダボの服を着て茶髪で明るい色のリップをした夏川」。ケーブルサラダのジャケ写の夏川さんと一致する所があります。この事から今の夏川さんが昔思っていた「なりたい自分」になれていると考えられますが、この「なりたい自分」とは具体的にどんな姿なのか。曲「ラフセカンド」を聴いて、自分は一つの結論に至りました。
それは、「ヒヨコ群の生きがいになる」なのではないか。
そう思った理由はいくつかあります。
まず、ハレノバテイクオーバー。色んな経験をしてきて強くなった夏川さんが、初めてハッキリと「人生」という歌詞を口にしました(当該曲の作詞は田淵さんですが)。
この歌詞を初めて見た時、衝撃を受けたと共に、夏川さんはヒヨコ群の人生を心から応援のしてくれているんだなと感動したのを覚えています。
次にインタビュー記事・ブログです。
ケーブルサラダについてのインタビューのこの記事のサブタイトルは「"あきらめ"の先で笑う人生」。夏川さんのブログで、今回は結果的に「前向きな諦念」を歌った曲が多いと言及されていました。
ここで先ほど述べた2つの提示を思い出して欲しいです。これらは「諦めなければならない事」の提示だと捉えています。要点は2つ。
・一度大人になってしまったら、子供のころ味わった楽しい経験は出来ない
・クソザコナメクジだからこそ辛い事がある
この2つはネガティブな事実です。これらを諦めた上で前を向くという事ですが、なぜ我々は前を向けるのか。
それは、「夏川椎菜の存在があるから」なのではないでしょうか。
確かに我々はヤワな羽を持つか弱いクソザコナメクジ兼ヒヨコ、でも
ナメクジだからこそ夏川さんの背中を押してくれる曲の歌詞が刺さって前を向ける。
ナメクジだからこそ抱えたストレス、怒りを夏川さんの楽曲を聴いて発散できる。
ナメクジだからこそ夏川さんのバラードで涙を流せる。
ナメクジだからこそ夏川さんの歌詞がピンポイントに刺さって楽しめる。
夏川さんの音楽はナメクジであればあるほど刺さって楽しい思いが出来る。自分はそう思います。
そして本人もこう言っています。
次に1つ目の提示がなされた小説「だりむくり」。この小説の最後に「まんげつ」という言葉が出てきます。私はブログでこの言葉を以下のように解釈しました。
大人の価値観になった"からこそ"楽しめる、それでいて定期的にやってくる幸せ。
これって我々にとって、夏川椎菜という推しの存在そのものじゃないでしょうか。
満月という暗い夜空に差し込む一筋の光、ここから僕はナイトフライトライトという曲が想起されました。
この曲のコンセプトは、コロナ禍で暗い世の中の夏川さんが希望、「ライト」となる。的な感じだとCZかどこかで話していた気がします。
だから自分はこう思います。ナメクジだからこそ楽しめる夏川椎菜というコンテンツがあるからこそ、我々は自分達のナメクジ性格を肯定して、前を向いて生きていけるんじゃないでしょうか。
そして大人になった我々は「カブトムシを書けなくなった」代わりに、夏川椎菜の音楽を楽しむ事が出来るようになったんじゃないでしょうか。
そして、ラフセカンドの歌詞では夏川さんのコンテンツを楽しめるヒヨコと夏川さん自身を「愉快だなぁ 我らの"人生"」と語っています。
"人生"という言葉を使ったのは、コンテンツが我々の人生そのものをポジティブに思ってくれる事を期待してるからだと思います。
夏川さんは成人した群向けに長文のメッセージ(アドバイス)を送ってくれましたし、
TwitterをジャックしたからといってずっとTLに張り付いてると、ヒヨコ群を注意してくれます笑。
夏川さんのオタクをしていると、ヒヨコ群に人生を楽しんでもらいたいという思いが伝わってくる事が沢山あって、その度にとても感動します。
自分の影響でナメクジな他人の人生を好転させる。こういう存在になりたいと、あの人は昔から考えていたのかなと思います。そして自分の活動を通じてファンに自分の人生を楽しいとまで考えさせる、いわば「生きがい」になることの重さも理解していたと思うので、本当に大変だったと思います。それでもあの人は一歩一歩歩んできました。色んな苦難があったけど、その遠回りですら「痛快」だと言えるほど成長してここまできました。
自分自身、夏川椎菜さんを応援し続けられるのはまさしく生きがいです。
ラフセカンドは長い物語に終止符を打つ曲。でも夏川さんの活動がこれで終わるわけではありません。この曲の歌詞最後の一節は「愉快な人生(サキ)を共に歌う」。これからも夏川さんのおかげでポジティブに捉えられる人生は続いていきます。
「これからも愉快な人生を共に歌わないか?」というのがこのアルバム最後の「提示」な訳です。
ケーブルサラダは、諦めて抗う事をやめた大人にぶっ刺さる。そしてそんな「他人の人生に刺さる音楽」を作れる存在になるのはファーストプロットの頃からの夏川の願いであり、このアルバムの実現は彼女の果てしない努力に裏打ちされている。
自分の「ケーブルサラダ」観を要約するとこんな感じです。
そして共に歌う機会、それこそがライブツアー「ケーブルモンスター」なんですよね。
○ライブの意気込みは小説「passable:(」にアリ?
そんなケーブルモンスター、我々はどんな気持ちで臨むべきか。そのヒントは小説「passable:(」にあると考えます。
素晴らしい小説なので好きな所を一つ一つ語りたいのですが、ここでは内容をざっと話してこのブログに関連する所にのみ言及します。
内容は、「劇団の脚本の仕事をしている主人公の父が、少年達が主役の映画を観て涙していた。その父の表情が理解できなかった主人公だったが、紆余曲折あり今まで安牌な策を打っていた劇団で新しいチャレンジをする事を決めた時、今の自分の表情が父のソレと似ている事に気づく」というものでした。
主人公の表情は「青春の謳歌」で、父の表情はそんな青春を懐古する表情だと思います。そして懐古の気持ちは、何年経っても色褪せない素晴らしい経験をしたからこそ生まれると思います。
さて、小説内で主人公が新しいチャレンジをする事に決めたのは、まだリスクを顧みずやりたい事を積極的にやっていた若い自分たちの写真を見たことがきっかけ。当時の自分たちの、全力で創作を楽しめてるからこそ出た笑顔に感化されたのです。
この「写真撮影」が自分の頭に引っかかりました。ここでケーブルサラダ1曲目の1番最初の曲を思い出してください。
メイクストロボノイズ!!!の「say cheese!!!」です。
ここから自分は
「ケーブルモンスターは、今楽しめるだけでなく、将来この瞬間を見返した時に懐古できるような最高のライブにしていこう。せっかく成長して今にフォーカスできるライブ出来るようになったんだから。」
こんな少し強引な解釈をしました。
この小説の最後には
とラフセカンドの歌詞に似た内容の一節が挟まれます。
小説の主人公の発言内容を著作者の考えとイコールで考えるのはタブーに近いのかもしれませんが、バカな振りをしてがむしゃらにチャレンジを続けていくという意思表示にも捉えられるなと思いました。
○夏川椎菜は「幻想」を見せてくれない
ここ数年で「推し活」なんで言葉が流行後になりつつあるように、最近は推しという存在を持つ人が増えて、多種多様なタイプの推しがいると思います。
結構多いのは、辛い現実とは別の楽園的な存在を作って、幻想みたいな物を見せてファンを笑顔にするタイプです。自分もこういうタイプの推しはいます。最高です。
ただ夏川さんはそういうタイプではないと自分は思っていて。あの人はファンの現実そのものを楽しい物にしようとしてくれている。
だから自堕落で楽しくない生活を送ってる時にハレノバとか聞くと辛い気持ちになります。推しの音楽を聴いて心が辛くなるなんて本末転倒です。
私は、夏川さんの音楽は人生が楽しければ楽しいほど刺さると思ってます。
だからこそ、自分も自分の人生が愉快だと思えるようにライブ会場を出た後努力をしなければなりません。その為にはパワーが必要。
だからこそ沢山声を出して沢山笑顔になって、苦しい現実を楽しいと思えるようなパワーを貰いたい。
そして声を出したい目的はもう一つ。
コロナ禍になってから苦しい時間があったけど、それを乗り越えた夏川さんに、コール曲で大きな声で楽しそうに歌ってるヒヨコ群の一羽としての姿を見せて、あの人に「自分のとてつもない努力は間違っていなかった」と改めて肯定させてあげたい。
色んな事が達成できる最高のライブが近づいています。夏川さんと共に愉快なサキを歌える瞬間が本当に楽しみです。
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