見出し画像

心が不安定

「精神が不安定になる」という認識

 私はここ4年くらいで「自分は精神面が不安定だ」という自覚を持ちました。コントロールをしようとしたのはほんの1〜2年ほど前です。

 きっかけは大学生の頃出会った臨床心理学の先生でした(これについては、思い入れもあり、今も交流が続くながい話なので別の記事に)。初めてカウンセリングを受けて、それからも先生の研究室に通い、心理学というものに興味を持って初めて、私は「人は精神が不安定になる。そして自分は人よりも不安定になりやすい」と認識しました。ちなみに、認識するのに1年かかりました。

 冗談めかして「鬱だ〜」とか「情緒不安定ww」なんて数え切れないほど言ってきました。何度も何度も。でも、本当にそうなのか考えたこともありませんでした。とりあえず声に出して言っておけば隣にいる友だちは適当に同意を示してくれますし、考えるって面倒ですから。考えないほうが楽です。※脳みそを使わずに会話を成立させてくれる友だちを”悪”と言っているわけではないです。それだけ気のおけない友人がいることは幸せですから、大事にしてくださいね。

 では、考えないと何が起こるかと言うと、「何も起きない」のです。本当に。「なんとなく調子が悪い日だな〜、サイアクだし情緒不安定でマジ無理〜」って言う以上のことは何も(強いて言えば、調子が悪くて情緒不安定と知ることはできます)。とりあえず原因を検索エンジンに相談して「そんな日は無理せず自分を甘やかしましょう!」の文言を鵜呑みにしてきました。

 インターネットが普及して、何でも自分で調べられるようになりました。嘘か本当かは置いといて、情報はとても手に入りやすい時代です。しかし、それを自分ごとに落とせなければ、”知っているだけ”です。私は手癖のように「情緒不安定」、「虚無感」といった言葉を調べます。でも、ライフハックをどれだけ読み漁っても、私自身に「自分の精神は不安定になる」という認識がなければ意味がないのです。

自分を受け入れてみる

認識ができた時点で、とりあえず休憩します。ここまで辿り着くのに精神をすり減らしました。このことだけでずっと頭が一杯では無いのですが、ふとした瞬間によぎるとそれだけで疲弊します。息抜きしましょう。

「でも、本当に苦しい人は休憩なんかしない」「こんなことで休むなんて自分はなんて甘い人間なんだ」そうは言いつつもアニメを見たりゲームをしちゃうんです。「本当に苦しい人は趣味なんかどうでもよくなるんだ自分はそうじゃないから大丈夫なんだ」「ゲームなんかして駄目な奴」絵を描こう、なかなか上手くかけたな。「本当は不安定じゃないんじゃないか?人前でヘラヘラしてるじゃないか」「大丈夫じゃないふりなんだろ?」

このぐちゃぐちゃ感、不安定の入り口の気がしません?

 私はします。私はそうやって自分を責める材料を探して自分を攻撃してしまうからです(酷くなってくると、頭の中の誰かが攻撃的な言葉を言ってきます)。不安定なんだと認識したら、次はそれを受け入れる段階です。しかし、これがなかなか上手くいかないのです。これは思考の癖がついてまわるので、考えていることを客観視するのが難しい。無意識に曲がってることを受け入れるって簡単じゃない。でも、だからこそ、今まで認識できなかったんです。自分が不安定だって。

「最初から何でもかんでもできたら、おかしいでしょ?でも、やってみなきゃできないことだってわからないんだよ」

 この言葉は大人になってから言われました。自分を受け入れることだって、最初からできるわけではありません。私だってまだできていません。私が自分を受け入れるのは難しいと思うのは、自分を受け入れようとしてみたからです。そして、私は受け入れるためにこれを書き始めました。

 今まで試したことは、頭の中で大丈夫と唱えてみたり、いいんだよと優しく言ってみたり、HSPの本を読んだりしました。でも、頭の中だけでは、もうひとりの意地悪な誰かがいじめてきます。自分が自分のために、目に見える方法で手を施さないと、私は自分で自分の心を傷つけてしまいます。誰かを助ける時に手を差し伸べるように、自分にも手を差し伸べなければ現実は何も好転しないとやっとわかりました。

まとめ

「最初から何でもかんでもできたら、おかしいでしょ?でも、やってみなきゃできないことだってわからないんだよ」

 この言葉を私は思い出すように心がけています。すごく単純で、何気ない言葉ですが行動への恐怖を和らげてくれるクッションになってくれます。この言葉を私へかけてくれてありがとう、先生。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?