水龍と刀鍛冶(断章②)
イガルギの爺さんはケチだった。村人たちは「ケチはやめろ。つまらんぞ」と言うのだが、聞こうとしない。
「栗、どんぐり、枝豆、青豆を、ワシは貯えているんだ。長い冬を越すためにな」と爺さんは言った。
その様子を見兼ねて巫女のキミネは、
「イガルギさん、冬に備えて、夏のあいだ、若い衆たちは、十分な貯えをしましたよ。それ以上自分の倉に貯えるのは欲になりますよ。森の神々も、そんなに実を獲ったら、お怒りになると思いますわ」と言った。
しかしイガルギの爺さんは
「ふん。甘いことを言うなラ!ワシは飢えるのは嫌じゃ。死ぬのも怖いんじゃ」と言ってゆずらなかった。
村人たちも
「冬のあいだも、なんとか生きられるだろう」
「飢えるようなことにはならないだろう」
「村長やキミネに従っていれば大丈夫だろう」と思っていたが、爺さんの不安で欲深な様子をみていると、だんだん不安になってきた。村全体に飢えへの不安と恐怖が広がった。
「もっと貯えないとまずいのではないか」
「しかし、そうすると森の神様も、キミネ様もお怒りになるぞ」
「だが、ウチには小っちゃい子どももいるんだ。森の神様よりも、まずは俺たちが生き残るべきだろう」
「おいおい。森と俺たちは一つじゃないか。どうしてそんなひどいこと言うんだね」
こうして人々の心が揺れていった。キミネは、村の人々の心が揺れているのを見て、道理を説こうとしたが、村人の心に言葉が入っていかなかった。そこで、心を真っ直ぐにして、天に祈った。
すると彼女の祈りが天の神々の一柱に届いた。天の神は、キミネのところにやってきて、言った。
「欲をかけば足りなくなる。満たされれば足りる。物よりも心の在り方が先なんだよ」
「はい。その通りです」キミネはこたえた。
「うん。そのように人々に伝えなさい」神様はやさしく言った。しかし、キミネは、それではダメなのだと思い、反発して
「しかし、その道理が人々に伝わらないのです。とくにイガルギの爺さんのせいで…」と文句を言い始めた。するとその瞬間、やさしかった神様の口調が変わって
「心の在り方が先、と言うのは、お前のことを言っているのだ。お前は、イガルギに怒りを抱いている。お前の怒りが、村全体の不安に繋がっているのだ。お前の心が、満たされれば、村人の心も、冬の貯えも、満たされよう。お前の心が不足すれば、村人の心も不足する。そして、本当に冬を越せないほどの飢饉になるぞ」と厳しい調子で神様はキミネを諭した。
そう言われてキミネはハッとして反省した。
「たしかにその通りでした。私はイガルギの爺さんを責めていました。心のなかで、彼のケチに怒っていました。村人は、私の心をうつす鏡のようです」
「そのとおり。人は鏡だ。お前はお前自身を正さなければならない。人の心にあるものは、お前の心にもあるのだ」そう言って天の神々の一柱は去っていった。
キミネは、祈りのなかで、アマテルに心から謝り赦しを求めた。そして祠から出て、ふたたび村の広場に行ってみると、嘘のように村人たちは、静かになっていた。キミネの心に不安も不満もなかったためである。
全て心が先で、物は、心の在り方の反映であると、キミネは学んだ。また、道理は、人に当てはめて責め裁くためのものではなく、自分自身を正す物差しにしなければならないと、知った。アマテルに大きく詫びて、感謝した。
その年の冬、その村は飢饉になることもなく、平和なまま春を迎えた。イガルギの爺さんのケチは相変わらずだったが、村人たちは、爺さんのケチを見て、おおらかに笑うだけだった。