水龍と刀鍛冶(現代編)
車を走らせていた。隣には、かつてキミネだった人と、クザンと呼ばれた犬がいた。そして、車を走らせている私は、かつてのハルマヒコだった。
「どうしても木を見せたい」
「うん」
我々は、断片的な記憶、断片的な深みにふれながら、神社の駐車場に車を停めた。
「ここにあると思うんだよね」
「うぅん」
クザンとよばれた犬は、一生懸命、歩いている。散歩だとおもって、楽しそうだった。神社は、高台の山のなかにある。仙台の街全体を、見渡せる場所だった。ゆっくりと目的の場所に我々は歩んで行った。
クザンは、巨大な狼のような犬だった。石灰色の毛並みが、ごわごわとしていて、ちからづよく、ハルマヒコとともに、キミネの護衛をしていた。現在のクザンは、ちいさな芝犬だった。
神社のお社になっている大木まで、しばらくあるいていると、すっとそこに辿り着いた。
するとキミネだった人は、杉の巨大な大木をみて、涙をながした。
「どうして泣いているの?」
「わからない」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「わからない。わからないけど。涙があふれてくるの」
それから我々は、神社の周辺をぐるりとしてから、銀杏の大木のところまで歩いた。そのときにはすっかり私はハルマヒコになっていた。小型の芝犬も、颯爽と、前を歩いている。まるで、あのころのような、忠実な狼だった。
ハルマヒコとクザンは、かつてキミネだった人を護衛するように、付き従った。ハルマヒコは、神聖に義務を果たしていた、あの頃を思い出し、キミネの影さえ踏まずに、犬の綱を持ちながら、歩いた。
銀杏の大木のところに着く。
キミネだった人は、銀杏の大木を見ても涙をながした。そして、かつての樹々を祝福する儀式をはじめた。ハルマヒコである私と、クザンは、その様子を、少し離れたところから見守った。私はひざまずいて、その様子をみつめていた。
現代の意識が押し流されて、縄文のころのふかい意識が、全面にあがってきた。いったい、私たちはなにを忘れてしまったのだろう。
涙だけがあふれてくる。しかし、忘れたものを、キミネは、まだ思い出せないままでいた。
あの森林と、人々が一体となって暮らしていた状況だけが、時たまこころのなかで木霊するだけだった。
人々は、栗やどんぐりと言った木の実だけを感謝して食べていた。肉食はせず、木の実さえも取りすぎることは禁忌であった。人々は、太陽や風や大地や森やその世界のすべての慈しみ、そして精神の海から、肉体とこころを活かす力を、与えられていた。それら全てを、総括して活かす力は、ミナカヌシでありアマテルだった。
ハルマヒコは、水龍のことも、キミネのことも、忘れてしまったことを、そこの場にたって、はじめて、あの頃を想い出すのだった。
じぶんが仕えていた方が、現在では、友人として再生している。立場をかえて、距離をかえて、設定をかえて、別々の在り方で、まなぶように、配置されている妙理に、私はおどろいた。
やわらかい陽射しが、神聖な神社の雰囲気を、かろやかになごませている。この、巨木たちは、ハルマヒコの時代には、小さな小さな種だったのだ。それを、キミネが祝福していたのだ。そして、現代になって、もういちど、かつての名残りにあいさつするように、キミネだった人は、もういちどそれらに祝福をさずけ、また私たちも、祝福された。
かつての森と人との関係のように、おたがいを慈しんでいた。
胸いっぱいになった、あのキミネからの涙が、すぅーっとこころの奥から、あふれてくるだけだった。
それから我々は、車に乗って帰った。
「あの不思議な涙はなんだったんだろうね」
「わからない」
「・・・」
「でも来てよかった」
「また別の場所で、ほかの杉が呼んでる気がする」
「うん」
そんな話を車内でしていた。