UFOの見える丘

「UFO見に行こう」克也が言った。「今日の夜七時、高台の公園にUFOが来るから、きっと見に行こう」

そして僕らは、夜七時に高台の公園に集まった。夏の暑さがいつまでもしつこく残っていた。もう九月も中旬だというのに。公園の藪には、たくさん羽虫が飛んでいたから、隆は、
「ああもう。夜は虫がうるさいねえ」とぼやいて、虫どもを振り払うようにして、二、三度、顔の前で、手をぶんぶん振った。
「虫くらいなんだってんだ」光一が言った。「今から僕らUFO見るんだ。たとえ虫が飛んでたからって、そんなもの気になるもんか」光一はすこし興奮していた。夜七時に、家を抜け出して、こうして公園に集まったのは、人生ではじめてだったから、光一だけでなく、僕らの目は、らんらんとかがやいていた。
「なんかさ、花火したいよな。オレん家さ、夏休みに花火するって約束だったのにさ、結局できなかったんだよ」鍵っ子の直哉が言った。直哉は、花火ができなかったことを思い出して、かなしい気持ちになってしまったのか、ひとりで、聞き取れない声で、なにか不満をぶつぶつ言いはじめた。克也は直哉を元気つけるように
「花火なんかよりもずっとすごいぞ!今からUFOが夜空にやってくるんだから」と自信を持って言った。すると直哉もぶつぶつ言うのをやめて、ずんずん歩きはじめた。

僕らは、高台の公園の、小高い丘の上にある、東屋に行った。東屋までの道には、おそろしいほどの数の虫が、耳と顔のまわりをぶんぶん飛んでいて、うるさかった。東屋のところには、もはや街灯はなく、僕らの周囲は真っ暗やみだったが、東屋から見下ろす景色は、うつくしかった。仙台の市街地と、畑や森が、ずっと名取の海のところまでみわたせる。そのうえを見れば、星空だ。仙台の街は、やわらかく、人工的に、きらきら光っている。畑や森のところは、黒から紺へと、濃淡をえがいてひろがっている。海はどこまでも真っ黒だった。
「うおお。すっげえ。きれいだな。おい見ろよ。街全部が光ってるよ」光一が言った。
「うん。これはすごい」僕も言った。胸がドキドキするような夜景だった。仲間もみんな同じ気持ちだろう。大きな、かたまりのような光が、家々からこぼれて、街全体がまるで巨大な蛍のようだった。小さな灯りをたくさん照らして移動しているのは、自動車の群れだろう。道路はまるで血管のように脈打っている。これが僕たちの街の生き様なのだ。その先に海、真っ黒の海、海と夜空の切れ目も見えずに、大地と空と海が一緒くたになって、市街地を闇につつんでいる。そして、高台の丘の上のあずまやからみおろす、僕ら自身は、ひとつの街灯もないから、真っ暗闇の、影の生き物になって、黒々としながら、街の明かりのうつくしさに、言い知れぬ興奮を覚えながら、UFOを待ち望む、赤と黄色の好奇心にそまって、立ち尽くしていた。
夜の闇におたがいの顔はみえないけれど、みんな真剣なのがわかった。とくに克也が真剣なのを知っていた。
僕らは、東屋のてすりに身をよせて、じぃぃっと夜空をにらみつづけた。早く来い、早く来い、UFOよ来いと念じ続けていた。

しかし一時間経ってもUFOは来なかった。僕らはそのあいだ、夜景のうつくしさへの興奮も冷めてしまって、身体中を藪蚊に刺されてしまっていたから、鍵っ子の直哉はたまらなくなって
「もうUFOなんか来るもんか。絶対に来ないよ。オレのうちにお父さんとお母さんが帰って来ないのと一緒だよ。オレは帰るよ。蚊に刺されるのも、もうこりごりさ」と言った。直哉がそういうと光一も隆も、帰りたそうな雰囲気をだした。
「オレも虫刺されやだよ」隆が言った。「オレ、アレルギーだから、虫に刺されるとひどいんだ。UFO見たいけど、そろそろ帰んなきゃ、お父さんとお母さんに怒られるかもしれないよ」そう言って隆は汗疹のできた膝の裏をぼりぼりかきむしった。こんなに痒いんだから帰らせてほしいと抗議しているようだった。
「うん、オレも塾に行くって嘘ついてきたから、そろそろ帰らないとまずい気がするよ」と光一も言った。さっきまでの威勢はどこにもなかった。
「ちょっと待ってよ。まだ一時間しか待ってないじゃないか」と僕は言った。
しかし、克也は、みんなにはお構いなしに、熱心に夜空を睨んでいた。みんなは、克也が黙って夜空を見上げ続けているから、仕方なく、もういちど、UFOがくるように念じはじめた。だけど、直哉も隆も光一も、もうUFOなんてどうでも良くなってしまったことが、僕にはすっかりわかってしまった。
僕は、克也がみんなから裏切られたような気がして、かなしくなった。だけど僕自身も、克也をうらぎらないためだけに、UFOが来るように念じているだけで、ほんとうはUFOなんて気やしないだろうということは、もうわかり始めていた。

八時半になっても、UFOはこなかった。
直哉は
「オレはもう帰るね!UFOなんて嘘だったんだ。克也に騙されたんだよ。じゃあな」と言って、東屋から離れて、さっさと丘をおりて、闇のなかにまざって、帰って行った。
「おい直哉まてよ!」隆が、闇のなかにいる直哉に声をかけると
「お前らも親に怒られるまえにさっさと帰れよ。まあ、オレん家の親はまだ帰ってないだろうけど…」と直哉はぶつぶつ返事をした。そして闇のなかに紛れて、二度とは東屋に戻ってこなかった。

「なあなあ。直哉帰っちゃったよ。光一、オレたちも帰ろうよ。なあ」隆が言った。
「直哉なんてほっとけよ。僕は克也を信じるね。もう少ししたらきっとUFOが来るんだ。ずっと信じて待ってた人のところにしか来ないんだぞ」と僕は言った。
克也は、それでも黙って熱心に夜空を見上げ続けていた。克也は本気でUFOが来ると信じているんだと僕はおもった。僕にとって、克也が親友だった。親に怒られるかもしれないが、親よりも親友を優先したかった。親友を裏切るわけにはいかなかった。誰よりも克也が好きだった。
光一と隆も、仕方ないと言った風に、いっしょにUFOを待ち続けた。だけど、もうUFOが来るようにと念じることはせずに、学校の話とか、塾の話をし始めた。彼らは、もうUFOよりも、おしゃべりに夢中になっていた。

九時になっても、UFOはこなかった。
「さすがに親に怒られるから。帰るね。ごめんね。でもここまでいっしょにいたんだから、許してくれるだろ。な、克也、許してよな。ごめんな」そう言って隆も帰って行った。そして闇のなかに紛れて、二度とは東屋に戻ってこなかった。
克也は返事もしないで、夜空を見つめ続けていた。

九時半になっても、UFOはこなかった。
「オレも帰るね。ごめん。裏切るわけじゃないんだ。UFOがくるって言うのも信じてるんだ。だけどお母さんとお父さんに怒られたくなくて。ごめんな。許してくれるだろ。な、克也、許してくれよな。ごめんな」そう言って光一も帰って行った。そして闇のなかに紛れて、二度とは東屋に戻ってこなかった。
克也は返事もしないで、夜空を見つめ続けていた。

僕と克也だけが、公園の東屋に残り続けた。もう十時になっていた。きっと僕の両親も心配しているはずだった。だけど僕には克也を見捨てることはできなかった。
「ねえ。もう十時だね」と僕は言った。
「帰りたいなら帰っても良いよ」克也は夜空を見上げながら言った。仙台の街の明かりは、だんだん暗くなってきたようだった。みんな眠りはじめて灯りを消していっているのだろうか。
「そんなんじゃなくて。でもUFOは」
「UFOは絶対に来るよ。まるで盗賊が来るときのように、そっと忍びこんで、とつぜん、やってくるんだ。だからオレたちは、目を開いて、眠らないで、UFOがくる時を待たないといけないんだ」
僕らの身体は、蚊や虻に刺されて、ひどいことになっていた。腕や足だけでなく顔も首も胴もさされていた。痒くてかきすぎて、蚊に刺されたところから、血が噴き出ていたが、克也は、克也だけは、そんなことには一切頓着しないで、ただ一心に空を見上げ続けるだけだった。僕はまわりの闇がおそろしくなっていた。
「暗くてこわいよ」僕は正直に言った。
「空を見ろよ。闇にまけないで、月と星がかがやいている。太陽が星々をかがやかせているんだぜ。闇は、光のまえには敵わないんだよ。光があらわれるだけで、闇は消えていくんだ。さあ、もうすぐオレたちを迎えにUFOがやってくるぞ」克也は、確信をもって、そう言った。
僕はなぜだかわからないけれど、克也がとても遠くに行ってしまったような気がした。僕がUFOを信じてないせいで、克也を一人ぼっちにさせてしまったようにかんじた。すると突然
「良いんだよ。オレがUFOに乗っていくのを見てくれ。それだけで良いんだ」克也はそう言った。
「え?」と僕は言った。克也がなにを言っているのかよくわからなかった。
「わからなくても良いんだ。ただ見たままを、そのままを、語ってくれれば良いんだ。きみは、オレとUFOの証人になるんだよ」
「なんのこと?」
「今はわからなくても良い。いずれきみにもわかるときが来るから」
克也がそういうと、夜空が突然ひらいた。カッと、栄光にみちた、ひかりの塔が、僕らのいる東屋に降りそそいだ。真昼よりもあかるかった。影を生まない、不思議なひかりにみたされて、とつぜん、鳩のような、まるいたまごのような、無機質では決してない、地上の生命以上にあたかみのある、うつくしい円盤が、すーっと目のまえに降りてきた。その円盤が、とびらをひらくと、中から、無数の生命体が、ある者は種の状態のままで、またある者は若々しい姿で、またある者は、ひかりかがやく幼子の姿で、生き続けているのが見えた。それらは、半透明に、虹色に、想い想いの色とりどりに、発光していた。
僕は、唖然としていた。ほんとうにUFOがやってきたのだ。
克也は
「じゃあな。今までありがとうな。きっとオレのこと、みんなに伝えてくれよ」そう言ってUFOのなかに溶けて消えた。
克也がUFOに溶け込むと、空はさらにまぶしくなって、東屋をつつんでいた、ひかりの塔は、球体にひろがって、仙台中をひかりにみたすドームになった。僕は、すべての生命が、キラキラと躍動しているのを見た。そして、そのドームは、突然、縮小しはじめて、どんどん小さくなっていって、肉眼ではみえないくらい、髪の毛先よりも、ずっとずぅっと小さくなって、夜空のなかに飛んでいった。鳩のように、たまごのように、夢のように、ほんとうの現実のように、UFOは消えて、克也も消えた。

僕は、信じられないような光景を目撃してしまった。蚊に刺された傷はすべて治っていた。周囲にはもはや邪悪な虫は一匹も飛んでいなかった。ただ秋の虫たちが、歓喜の歌を歌っていた。
僕は、よろこびでいっぱいになって、家に帰った。
「お父さん、お母さん、UFOを見たよ。UFOを見たんだ。僕は、証人になったんだよ!」

僕は、生きているかぎり、克也とUFOについて、話しつづけるだろう。すべての人に克也のことを、伝えていくだろう。克也と約束したんだ。いつまでも、すべての人に、克也のことを、伝えつづけよう。

きっと、大人になっても、ずっと、ずっと。

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