森のなかの小屋
女は罪の人だった。
罪の人だから森で暮らしていた。森の奥深く、人里からずいぶん離れたところ、ひたすらに山道と獣道を歩かなければ辿り着けないところに女の住居があった。
女の住居は、掘立て小屋だった。建て付けの悪い小屋だった。夏には虫がわき蒸し暑く、冬には隙間風が吹き込んで寒かった。
周囲の森は、ぶなと栗の原生林だった。滝があり、川があった。
女はそこで一人で暮らしていた。罪を犯したから。
その森に男が入った。男は罪人ではなかった。
男は女の小屋を見つけて、その戸をあけた。すると罪の女がいた。男は戸のところに立ちながら
「お前はここに住んでるのか?」と言った。
「はい。罪人ですので、ここに暮らしています」女は返事をした。
「どんな罪を犯した?」
「とても人には言えないこと」
「人でも殺したか?」
「いいえ」
「盗みでもしたか?」
「いいえ」
「他人の旦那と交わったか?」
「いいえ」
「嘘をついたか?」
「いいえ」
「聖者を誹謗したか?」
「いいえ」
「では一体どんな罪を犯したんだ?」
「…」
「…」
「あなた様は何用でこちらに?」女は、男の質問に答えなかった。
「…」
「…」男もまた女の質問に答えなかった。
「おい、女」
「はい」
「名はなんという?」
「名はありませんの」
「なぜだ?」
「罪を犯したからです」
「そうか」
「旦那様のお名前は?」
「俺にも名はない」
「あなた様も罪を犯したからですか?」
「いいや。俺は罪など犯していない。ただ名前がないだけだ」夏の太陽の光が、じりじり男の肌を焼く。男は、耐えられなくなって、女の小屋のなかに入って、干し藁でこしらえた座布団のうえにどかっと座った。女は男の無作法を見ても何も言わなかった。
女はまだ若かった。男もまだ若かった。
「償いで、この森の、この小屋にいるのか?」男は言った。
「さて償いなのかどうか」女は言った。
「罰を受けているのか?」
「罰なのかどうか」
女の首すじからすぅぅと透明の汗のしずくがたれてうすい麻布の服に吸い込まれて消えた。茶色の麻布は、粗目だったから、日にあてられると、女の肌の黄色とまざって、栗色に見えた。男はふぅぅと一息ついた。
「茶をもらえぬか?」
「ええ。こちらにお茶なんてありませんの」
「茶もないのか」
「川にはいくらでも水がありますから」
「では水を汲んできてくれ」
「はいはい」そう言って女は桶を持って小屋をでて水を汲みに行った。
女の尻の座っていたところに、じっとり汗の跡が残っていて、すっと女の匂いが立ち込めた。男は深呼吸した。
水の入った桶を腕に抱えて、女が小屋にもどってきた。
「どうぞ、いくらでも飲んでください」女は言った。
「うむ」と男はうなずいた。
それから男と女は暮らすようになった。ふたりはただの同居人だった。決して夫婦にはならなかった。契りも、交わりもなく、ただ女の罪の赦されるのを、待ち続けた。
男と女の髪の毛に、白いものが混じりはじめたころ、女は立ち上がって言った。
「罪は消えました。私は小屋を去ります」
男は女に
「行かないでくれ。行かないでくれ」と言って泣いた。しかし女は振りかえらずに小屋から出て行った。男はひとり小屋に取り残された。
女が去ってからも男は罪のために小屋に居続けた。不思議なことに罪を自覚すると、男は、若返り始めた。男の髪の白いものは消えて、黒くなり、しぼんだ筋肉に張りが戻り、丸まった背中はまっすぐになった。
男は若い身体を持ちながら、罪を自覚して、その小屋に居続けた。いずれ、どこかの女がやってくるまで、おそらく男はその小屋と罪に囚われ続けることだろう。