ボランティア (短編小説)
巨大な病院の敷地には本棟と一号棟、二号棟が、並んでいた。敷地のグラウンドにはポプラの木々が立ち並んでいて、中央にはモミの大木が立っていた。
二号棟の三階の教室の窓から、その全貌を見回すことができた。二号棟は、小児病棟として使われていて、病院に通院や入院しなければならない障害児のための養護学校と併合されていた。三階の教室は主に重度の身体障害を患っている子どものために、使われていた。
その子どもは、脊椎が生まれつき弱く、十歳になっても、身長は八十センチしかなかった。生まれてからずっと自力歩行をしたことがなく、ベビーカーを卒業すると、車椅子に乗るようになった。手足は短く、背骨は曲がり、顔は薬の影響でパンパンだった。三歳のころに四十度の発熱をして、生死の境をさまよったことで、脳の機能の一部が破壊されて、軽度の知的障害も抱えていた。彼の両親は、自宅で最後まで彼の面倒を見たかったが、担当医から、養護学校が附属している病院に長期入院すれば、「学校に通うこともできるよ」と説明されて、学校に通うことができれば、この子も友だちができるだろうと考えて、その子の長期入院を決定した。しかし、両親としては、成人までは生きられないだろう、寿命の短いこの子を、長期入院させるのは、さみしい決断でもあった。
子どもの名前は拓くんと言う。
拓くんの他にその教室には、四人、車椅子に乗った男の子が三人と女の子が一人いた。全員拓くんと同じように背骨が曲がり、身長が伸びず、車椅子だった。拓くんは学校に通えて喜んだ。友だちが四人もできたことを喜んだ。養護学校の教員も、全員優しい人たちで、拓くんは嬉しかった。
拓くんは、知的障害だったが、自分が長く生きられないことを理解していた。拓くんはまた、自分一人では何もできないことも理解していた。トイレをすることも、寝ているベッドから起き上がって車椅子に移ることも全て誰かの手を借りなければ、何もできないことを知っていた。他の子供たちのように、順調に成長して、生を全うしたいという思いがよぎって、不自由な身体に苦しんで、健康になりたいと強く願うこともあったが、それが叶わないこと、自分は一生誰かに助けてもらわなければ少しも生きられないことを、今までの十年の人生で学んでいた。
背骨の歪みから来る痛みが毎日彼を襲った。痛み止めを飲んでいても痛かったし、痛み止めを飲むと身体はだるくなって仕方なかった。
入院する前、両親は、拓くんに「みんなにいつもありがとうって言うんだよ。先生にも友だちにもいつもありがとうって言うんだよ。神さまにありがとうって言うんだよ」と教えた。拓くんは、両親のその教えを素直に深く心に刻んだ。
彼は、「ありがとう」の教えをいつも忠実に守っていた。授業中に鉛筆を落として拾ってもらえば先生に「ありがとう」と言い、食事の世話をされる時も介護士に「ありがとう」、病院のスタッフから入浴をしてもらう時も「ありがとう」、夜、寝られないほどの発作が起きて背骨の痛みで泣きじゃくっているときも神さまに「ありがとう」、特に何もしていないときも「ありがとう」と口にしていた。
その日、隅田博人は、ボランティアでその教室に来た。彼は神学校の学生で、クリスチャンだった。まだ二十歳の彼は、神の世界での野心を強く心に抱き、牧師として成功することを夢見ていた。神学校のある授業で、単位認定を受けるために、ボランティア実習をしなければならなかったから、彼は、その病院の養護学校に来ることになった。しかし、ボランティアと言っても、専門性のあることは何もできないため、障害のある子どもの側にいて、車椅子を押したり、話し相手になったりする程度のことだった。
博人は、ボランティアをするよりも、聖書を読んで次の試験に備えたいというのが本音だったが、キリスト教徒らしく人に仕えるのは大事だと思って、単位のためもあって、ボランティアに参加していた。
引率の教員に連れられて、三階教室に入り車椅子に座った子供たちを見ると、彼は子供たちの不具の姿にギョッとした。そして瞬間、どうして神はこのように不完全な形で彼らをお造りになったのかと心の隅で感じて、彼の顔は引きつった。すぐにその想いを恥じて博人は笑顔を作ったが、子供たちは、「ギョッとした」博人の表情を見逃さなかった。彼の心の裏を察して、子供たちは少しだけ悲しい気持ちになったが、博人は、そこは一人前の偽善者だから、にっこりと笑顔で子供たちに自己紹介をした。
「こんにちは。隅田博人です。みんな今日は一日よろしくね。お兄さんは、神学校でお勉強しています。みんなの生活のお手伝いをするために、ボランティアにきたよ」と明るい声で言った。先生が拍手すると、子供たちからも拍手がおきた。
朝の会が始まったが、隅田博人は、拓くんの車椅子の後ろに立って、手押しハンドルに手を休めて、ぼーっと、その朝の会を聞いていた。拓くんは担任の話を聞きながら、楽しそうにニコニコ笑っていたが、博人は、頭の中で、ルカ福音書の聖書内での位置付けに関する、友人たちとの議論を思い出していた。
一限目の授業がはじまった。算数の時間だった。簡単な計算問題が黒板に書かれて、先生がにこにこしながら児童たちに教えている。博人は拓くんの後ろにいながら、面倒臭そうな顔をして、小学生の授業を聞いていた。こころの中で、ギリシア語の名詞の変化をそらんじて、暇をつぶしていた。
「これ、この問題わかる人ー?」先生が言う。障害のある子どもたちは、手を挙げるのも一苦労に見えた。拓くんは相変わらずにこにこしている。この子は知的障害もあるから、このように授業を受けていても理解できないだろうに楽しいのだろうかと博人は思った。博人は自分が小学生の頃を思い出した。いつも成績は上位だった。運動もできた。なんでもできた。
何もできない人々を見て、自分が救ってやる立場にいることを自覚して、牧師になろうと思った。博人の親は金持ちで、クリスチャンだったから、彼が牧師になりたいと言ったら両親はとても喜んでくれた。拓くんを見ると、しかし、自分にできることは何もないように感じた。
この子らは、病気の特性上長くは生きられないのだ。イエス様だったら病気を癒やされただろうか。博人は、なんとなくヒロイックな気分になって、俺もこの病院と学校に資金援助でもしてやろうか、俺の親は金持ちだから、頼めば少しくらいは出してくれるだろう、と計算して、この障害児たちに、高みからの憐れみを向けた。
二時間目も三時間目も何事もなく過ぎていった。拓くんは、博人に何度も何度も感謝して「ありがとう」と言った。博人が車椅子を押せば、「ありがとう」、話しかければ、「ありがとう」、落としたよだれ拭きを拾ってあげれば、「ありがとう」、何度も何度も「ありがとう」だった。また、拓くんは、博人だけでなく、先生にも誰に対しても「ありがとう」を言い続けていた。病気でぱんぱんになった顔で、口を動かすのもむずかしいなかで、「ありがとう」を何度も伝える小さな子どもを見て、博人は少しだけ、胸の奥に、何かあたたかいものを、彼の本当の信仰に訴えかけるものを、感じていた。
さて給食の時間になると、博人は休憩をもらって、病棟の待合室で弁当を食べた。他の実習生も数名来ていたが、みな初対面でお互いに知り合いでもなく、別の場所に配属されていたから、とくに話すこともなかった。博人は淡々と弁当を食いながら、人の救いについて観念的に考えた。拓くんを癒やしてやりたいものだとニヤリと笑った。(ふん。もしも拓くんがキリストの栄光で癒やされたら、あのぼんやりした笑顔をしながら、俺に「ありがとう。ありがとう」と言うんだろうよ)と博人は少し冷笑的な憐れみの心で拓くんという隣人を愛した。
弁当を食い終わって四時間目の授業を待った。先ほどのように拓くんの車椅子の後ろに控えて、博人は大きくあくびをした。さっさと帰って聖書を読みたかった。こんなところで暇を潰しているわけにはいかなかった。
すると突然車椅子が揺れ出した。博人は何事かと思って、拓くんを見ると、全身をこわばらせてガタガタ震えはじめていた。
拓くんは、突然発作に襲われて、身体もこころも言うことを聞かないほどの激痛が全身をかけめぐった。身体が捻じ曲がった。「ぎゃーぎゃー嫌だ嫌だ。痛いのヤダ」と大泣きした。博人は驚いてすぐに「大丈夫?」と言ったが、声が聞こえないほど拓くんは痛みに泣いていた。普段の発作よりもひどく痛がって苦しんでいるのを見て、先生は、すぐに医者を呼んだ。博人はその間教室に残されて痛がる拓くんと一緒にいた。
拓くんは痛みのなかでも自分を取り戻して、「神ざまありがとうござえまず。がみざまありがどごぜまじゅ」と言い始めた。博人は「こんな時にもこの子はありがとうを言えるのか」と驚いた。拓くんの元々腫れぼったくなっていた顔が、今では真っ赤に熟れたドリアンのように血管が浮いて、膨らんでいた。「ぐぅう、ぐぅう」という苦しい呼吸の合間から「ありがど」「あ…りがど」と繰り返していた。拓くんは苦しみのなかで神を見つめようとしているようだった。
程なくして教室に医者がかけつけて、その場で安定剤を注射した後、拓くんは、すぐに処置室に運ばれていった。教室は嵐のあとの静けさで、他の子供たちも博人も先生もしばらく静まり返っていた。
その後もボランティアは続いたが、博人は上の空だった。ずっと「ありがとう」を繰り返した少年のことばかり考えていた。自分の信仰とはなんだったんだろうかと思った。「なぜ俺は牧師になりたいのだろう。あの子の半分も信仰のない俺が」と思った。
ボランティアが終わり一週間が過ぎた。試験期間がもうすぐ始まる時期だった。彼はすっかり拓くんのことを忘れて、試験で良い点を取ろうと向上心に燃えていたが、家に帰ると一通の手紙が来ていた。それは養護学校の先生からだった。手紙には「拓くんはあの後、徐々に意識不明になり、三日間がんばりましたが、一昨日亡くなりました。意識のある時は拓くんの口癖『ありがとう』をずっとつぶやいていました。葬儀の日程をお知らせします…」と書かれていた。
博人はその手紙を読んで、ブルブル震えた。テスト勉強をほっぽって、神さまを思って祈った。その方が牧師になるよりも大事だと思えた。