カガリの山
カガリは、神の声を聴いた。夢のなかで語りかけてきた。
「カガリ、カガリ」
「はい」
「三日後の明朝に、火山が噴火します。麓にある、お前たちの村は、燃えて、人々は燃え死にます」
「はい」
「カガリ、火山が噴火するまえに、火山口に向かって、お前の身を投げ出すのです。そうすれば火山は噴火せずに、村の人々は助かります。犠牲になりますか?」
「はい」
「では、朝、目覚めたら、すぐに蔵王山を登って、火山口に向かいなさい」
「はい」
「もうひとつ」
「はい」
「お前が犠牲になることを、村人の誰にも喋ってはいけません。お前は、人知れず犠牲になって、村人を救うために死んでゆくのです」
「はい」
そこでカガリは目が覚めた。朝日のうつくしい朝だった。横には妻のヒスイと、息子のアガリが、まだ眠っていた。
カガリは、藁の寝床から起き上がって、粗末な家から出た。息子と妻を起こさないように、静かに、歩いた。
外に出ると、村人たちは、まだ誰も起きていなかった。カガリは、誰にも何も告げずに、蔵王山の樹々のなかに分け入ってぐんぐん進んだ。
悪霊が、カガリにささやいた。
「おい。お前だけ逃げれば助かるぞ」
カガリは、悪霊の言葉を無視した。
「命は一つだぞ。村人たちは、いつもお前を、デクノボウと言って、いじめていたじゃないか。そんな奴らのために自分の命を犠牲にするのか?」
カガリは、悪霊の言葉を無視した。森と山は、どんどん陰をふかめていく。
「息子と妻だけを連れて逃げ出してしまえ。あんな村人たちなんか死ぬにまかせてしまえ」
カガリは、悪霊の言葉を無視した。すると、山の中腹のひらけたところに出た。そこから、麓のじぶんの村がみえた。カガリは、もう息子と妻に会うことはないと思いながら、じっと村をみつめた。日は真上に登っていたが、山の気温はひくかった。
カガリは、どんどん歩いていった。やがて夕方になり、これ以上暗くてすすめないところで、体をやすめた。秋だったが、夜風がさむかった。しかし、もはや命を投げ出すことに決めていたのだから、このくらいの寒さで文句を言うのはよそうと思って、ただひたすら神さまのことを考えつづけた。
カガリは、神の声を聴いた。夢のなかで語りかけてきた。
「よく決断して、山をのぼりました。犠牲になって死ぬのは怖いですか?」
「はい」
「それでも私の言うことを聞きますか?」
「はい」
「なにか言いたいことはありますか?」
「私が死んだ後に、息子と妻が幸せに生きられるようにしてほしいです」
「もちろんです。カガリ、お前はすばらしい勇者です。私はお前をずっと見ています」
そこでカガリは目が覚めた。朝日のうつくしい朝だった。土と草のうえで寝たせいで、身体中が痛かったが、しかし、カガリはそんなことにかまわずに、どんどん、どんどん山頂の火山口をめざして、山を登って行った。三日目の明朝のまえに、火山口に辿りつかなければならないから、必死に歩いた。
二日目にも悪霊が、あらわれた。
「おい。理不尽な神の言うことなんか聞くな」
カガリは、悪霊の言葉を無視した。
「俺の言うことを聞けば、お前を、村おさにしてやるぞ」
カガリは、悪霊の言葉を無視した。
「お前は、見たこともない神を信じるのか?」
カガリは、悪霊の言葉を無視した。
山の険しいところにでた。ここからは、さらに大変な道のりになりそうだった。湧水のでているところがあったから、そこで顔をあらい、ごくごく水を飲んだ。つめたい湧水を飲むと生き返ったような気持ちになった。そこでカガリは、身体を休めることにした。
カガリは、神の声を聴いた。夢のなかで語りかけてきた。
「お前は本当に立派です。お前は、自分の命よりも、私の言葉と村人たちの命を、守っているのです」
「はい」
「お前はこれから闇のなかを火山まで進みます。お前の内がわから、恐怖という大敵があらわれます。山道も、樹々も、悪霊も、お前のゆく道を阻みます。覚悟を持って、私まで進みなさい」
「はい」
「よろしい。お前は私の言葉に『はい』としか言わなかった。見上げた信心です。さあ、私に向かってくるのです。夜の闇をこえて、命の恐怖をされば、そこが私の世界です。私まで来るのです!」
「はい」
そこでカガリは目が覚めた。三日目の朝日の昇る前、周囲は真っ暗闇だった。暗闇の支配する火山口に、明朝、噴火するまえに、身を投げ出さねばならない。大木も岩肌も、カガリが山頂に行くのを拒むように、そびえていた。足を草で切り、手のひらを岩で切ったが、カガリは、そんなことを一切気にせずに、力強くぐんぐん歩いた。
悪霊が言った。
「お前は本当に頑固者だ。どうなっても知らないぞ」
すると周囲の草木が、ザワザワ、恐ろしい音を立てて、嘶いた。熊や猪やカモ鹿が凶暴になって暴れはじめた。カガリに向かって獣たちが襲いかかってきたが、そんなものを物ともせずに、ぐんぐん、ぐんぐん、山頂に向かった。カガリ自身も、どんどん、どんどん、ぼろぼろになっていった。
そして、ついに山頂に辿り着いた。
夜の闇の中に、火山口のぽっかり空いた大口を覗きみると、炎が赤になり、青になり、さらに真っ赤になって、唸っていた。ぐつぐつと、赤土が、沸騰している。
流石のカガリも、その火の恐ろしく煮えている様をみると、ひるんでしまった。
「こんなところに身を投げ出すなんて!」考えただけで恐ろしくなった。
悪霊はやっと思い通りになりそうだと笑い出した。
カガリが動けなくなっていると、夜がやわらかく明け始めてきた。白っぽい朝の色が生まれて、いよいよ火山が、その火の身体を、外にだそうと、なおいっそう強く暴れだしている。
もう時間はあまりなかった。
はやくこの身を、火山に捧げなければ、町が燃えてしまうのに、カガリは泣きながら
「勇気をください。勇気をください」と言って神に祈った。
そして決意もできていなかったが、半ば無理やりに、何も考えないようにして、ただ心を神のところに置いて、火のなかに身体を投げ出して、落ちていった。
カガリが溶岩にのまれるまえに、熱気で肌のすべてが燃えて、呼吸するたびに、肺が焼かれて、彼の命は、大火のように赤く、強く、絶命した。カガリの骨肉を、溶岩が丸呑みにすると、湯煙があがって、火山がパアッと明るくなった。
明朝である。うつくしい朝のひかりが、蔵王山に降りそそぐと、おおきな虹が、山の峰いっぱいにかかった。
カガリが死んで、火山はやんだ。
村人は誰ひとりカガリがその日犠牲になったことを知らなかった。
カガリは悪霊に負けず、肉の身による恐怖にも負けず、ただ神の言葉に従った。神は、御魂になったカガリを抱きしめた。
カガリの魂は、天の御殿へと招かれていった。そこで幸せに暮らしても良いと、天界の住人であることを許可されたが、しかし、カガリは、もう一度、何度でも下界に降りて、神様のために働きたいと願って、蔵王の山を守る神々の一柱に生まれかわった。その神の名を、カガリノカミと言う。
カガリノカミは、蔵王の山を、おだやかな霊山として守りつづけ、末永く伊達の人々を恵みつづけるのだった。