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満州からの手紙#160【追憶の記】幼い頃の思い出より

お母さん
私の幼い頃の思い出を
覚えているだけ
このノートに書き留めておきます。

満州からの手紙#160「近永」

お母さん
私が好藤の村にいる間に、近永へいったのは前後に二回のみです。

一度は殼さんが耳を悪くして近永の病院へいった時、私も男士さんに連れていって貰ったことがあります。
それからもう一度は、お父さん達と磯叔父さんの家へいって、すぐそばの家へお客に呼ばれていった時だったと思います。

呼ばれていった先は確か今の清池の近所だったと記憶しています。
それから後、中学の三年生に成る迄、かつて近永へいったことがありませんでした。

私は、近永!!と云う處をおとぎの国のように懐しくあこがれていました。それは幼い私の頭の中に残されていた唯一の未知の国のように考えられていたからです。

中学三年の時、夏休みにいって十日ばかり遊んでかえりました。
それ以来お母さんも知っておいでのように鬼門に成った近永です。
もう、おとぎの国でもありません。

【投稿者より】
この追憶之記に記されている近永という町は、現在の愛媛県鬼北町近永という小さな田舎町です。
私が生まれ育った故郷でもあります。
忠勝さんが夏休みに遊びに訪れていたのは私の祖父の家で、忠勝さんのお父さんの弟である磯太郎の家だと思います。
私が生まれた時にはすでに祖父は亡くなっていたので、どのような人物だったのかは記憶にはありません。が、遺影から推測すると、かなりのむずかしい頑固じじいだったようで、眉毛が逆八の字で苦虫かみつぶしたという表現がピッタリ!!の近寄りがたい人物だったようです。
忠勝さんが鬼門としてしまったのも納得できます。天真爛漫で育った忠勝さんには唯一の苦手だったのでしょう。
ただ、私が育った近永は清らかで温かい町でした。ある時、電燈には天使が飛びかい、ペガサスが訪れた事は書き加えておきましょう【#151】。
でも、これは私だけが見る事の出来た奇跡なのかも知れません。



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