いじめについて
ぼくは、「人権」についてよく分かりません。なので、じ書で調べました。
「人権」とは、人間が人間らしく生きるために当然なこととして、みとめられている権利。自由や平等などの権利。と書いてありました。それでも、よくわからないので、家族に聞きました。
「差別やいじめをしないことだよ。」
と、お母さんが言っていたので、「いじめ」について考えました。
ぼくは、いじめたり、いじめられたりということがどういうことかよくわかりません。
今までも、ようちえんや学校で、友だちにわる口をいわれたり、物をかくされたり、わざといやなことをされたりすることがなかったからです。でも、一年生の時に、けしゴムを切られたことがありました。それがいじめだったかは、わからないけれど、けしゴムが小さくボロボロになってこまったことがありました。
ぼくは、ぼくの家族にも
「いじめられたことある?」
と、聞いてみました。
お母さんは、
「小学校の時に、友だちにある日とつぜん口を聞いてもらえなくなって、かなしい気もちになった。」と言っていました。
おばあちゃんにも聞くと、
「学生のころ太っていたので、ブタと言われたことがあって、かなしかった。」
と言っていました。
おじいちゃんは、
「なかったよ。」
と、言っていたので、よかったと思いました。
ぼくは、みんなの話を聞いて、いつまでも、どこでも「いじめ」はあるんだなと思いました。
「いじめ」は、ぼくがいじめてるつもりはなくても、友だちがいやな思いをすれば、いじめになってしまうと思います。なので、もしかしたら、知らないうちに友だちをきずつけてしまうことがあったかもしれません。でも、わざとしたことは、ありません。
ニュースでも「いじめ」になやんでしんでしまう人もいると知って、とてもこわいと思いました。
ぼくは、「いじめ」がなくなるといいと思いました。だから、自分がされていやなことは友だちにもしない。こまっている人がいたら、「大じょうぶ?」と声をかけられるような人間になりたいです。
櫻井翔吾 埼玉県 幸手市立幸手小学校 3年(令和元年度当時)
本稿は第19回作文コンクール「心あたたまる話」の受賞作文です。原文のまま掲載しています。(主催・一般社団法人人間性復活運動本部)
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