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◇特集「日本の食料自給 本当の話」

【農業人口:170 万人】【他の産業人口:6,454 万人】 
【食料国内総生産額 :約117.3兆円】【食料輸入総額 :約8.7兆円】

*食料危機が来るという噂話

受け止め方しだいで日々の生き方が変わる
まさか?と思われる事態ですが、
それでも備えておきたいことがあります。

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自然に恵まれた国だから食料難も乗り越えて来ました

 日本人にとって「食料危機」というのは、非日常的なことで、考えも及ばないことかも知れません。75年前、空襲に遭い住む家を失った人々が大勢いて、食べる事にも困り、麦ご飯、すいとんを食べて空腹を満たした経験をしています。

 そのような時でも、「食料危機」とは言わず、「食料難」と言って来ました。四方を海に囲まれ、海の幸、山の幸を当然のように食して来た日本人です。四季があり、降雨もほどほどにあって、大自然に恵まれていることは、世界は広いと言っても、日本に匹敵する自然環境に恵まれた国は、それほど多くないのではないかと思います。

 日本の食料自給率の低さは、世界の農業生産国と比べると格段の違いがあります。だからと言って、国民が食べられないことになっていません。それどころか、食べ残して捨てる量が世界で6番目に多い国になっていることのほうが考えものです。一軒の家庭では、1カ月に20㎏程度、食べられる物を残ったからということで、そのまま捨てていることになります。

 このようなことは、食料難であった時代では、あり得ないことです。まだ食べられる物を捨てるのは、別の食べ物がすぐ手に入ると思うからです。

 昭和30年代以降に生まれ育った人たちが、現在の日本人の多くを占めています。日本の歴史上、最も食べ物に恵まれた時代に生まれ、育って来たのです。食料難のことはもちろん知りません。イメージすらできないことでしょう。

 昔の人は、「衣食足りて礼節を知る」と言い、人間性向上に勤しんだと言います。現在では、衣も食も足りていますが、どちらもぞんざいにして、人間性向上に気持を向ける時代ではなくなっています。

食べること食べないことで生きる目標に違いが出ます

 こうした現象は、お腹が満たされているから見られることで、このような傾向を長年放置して来たのは、ひとり一人の自覚だけの問題ではありません。試しに、わが子でも、わが子の友人にでも「将来、なんになりたい」と聞いてみてください。すぐに答える子は、めったにいないと思います。

 その点については、麦ご飯、すいとんを食べていた時代の子ども達のほうが、生きる目的、目標をはっきり自覚していました。そうしなければ、生き抜くことができないと思っていたからです。

 今、若者たちの中には、海外ボランティアとして、選んで飢餓(きが)地帯と呼ばれる地域に行く人がいます。家族にとっては、止めてほしいと思うことでしょう。第三者には、向こう見ずなことで、若気の至りだと思う人もいるでしょう。

 学校教育では、ボランティア活動を奨励しています。世界の飢餓地域でのボランティアは、その延長戦上にあると言ってよいことです。現地で体験することは、食べられないことが当たり前の毎日を生きる人たち、子どもたちの姿に接することです。

 そのような大人と子どもが、地球上に8億2000万人以上います。その政治は、日本人が知る「正直さ」、「利他精神」を尊ぶ政治ではありまん。賄賂と利権が絡む植民地時代の政治から脱することができないまま、民衆の生命を守ることより、利権と財を得ようとします。その地域に、善意の救援物資を送っても、飢えている人の口に入るとは限りません。飢餓地域では、善意が通じない場合があります。このような事態が発生したのは、5年やたちです。食べる物がなく、生きることに窮しているのです。

 同時代の同じ地球上に生きながら、8億人以上の飢餓地域があることは、昨日、今日のことが原因ではありません。200年以上前の植民地化が尾を引いていることで、飢餓地域の政治だけで改善できることではありません。

 その政治は、日本人が知る「正直さ」、「利他精神」を尊ぶ政治ではありません。賄賂と利権が絡む植民地時代の政治から脱することができないまま、民衆の生命を守ることより、利権と財を得ようとします。その地域に、善意の救援物資を送っても、飢えている人の口に入るとは限りません。飢餓地域では、善意が通じない場合があります。このような事態が発生したは、5年や10年前ではありません。日本人が美食を礼賛し、グルメツアーを盛んに行なっていた頃もそうでした。

 2020年になって、にわかに地球上の国々が、程度の差はあるとしても、飢餓地域に似た状態になる可能性が出て来ました。食料輸入国の日本も、例外というわけにいきません。

 新型コロナウイルス感染者が増加すればするほど、各国で農産物の生産、輸出入の流通が止まってしまうことになるからです。日本として気にかかることは、最も食料輸入量が多いアメリカの感染者が、世界で最も多いことです。現在は500万人規模の感染者ですが、もし5000万人台になれば、食料輸出業は滞り、これまでと同じようなわけにはいきません。そうなれば、普段の食べ物が不足します。これまでのように残した食べ物を、そのまま捨てるようなことは自然となくなります。

 一気に、麦ご飯、すいとんが主の食事になることはないと思いますが、今から国内生産の農水産物だけの食生活を想定した暮らし方をして行くほうが、肉体的にも精神的にも健康で充実し、いざという時に狼狽(うろた)えることはなくなります。

今の食べ物なら腹八分でなく腹五分で間に合います

 健康には腹八分が良いということが定説になっています。この説は、江戸時代の医師、貝原益軒が遺した著書に「珍美の食に対するとも八九分にして止むべし」という件があったことから、それが基になっていると言います。正確に言えば、腹「八分」ではなく、「八九分にして止むべし」になります。

 この説は、それまで朝と夜の2食が一般的であったものが、朝、昼、夜の3食の食習慣になった頃に言われたことです。日に2食だった食事が3食になったのです。食べ過ぎは身体によくありません、ということを伝えたかったのだと思います。

 もう一つの考えは、300年前の江戸時代に、ご飯と味噌汁、漬物、おかずの鰯(いわし)一皿の「一汁一菜」が定食だった時と、現在の食生活の内容が同じなら、八九分にして止めることもあります。1食のカロリーがまるで違うので、八分でも、八九分でも、逆に健康を害してしまうことは、生活習慣病の人が約1700万人、入院と通院者数の約850万人に現れています。

 その他、高齢になれば病気をするという定説は、カロリー過多の食生活を30年も40年も続ける現代人の特徴であると言えます。食べることについて、何はさておき「栄養」が第一で、食べ物、飲み物が内臓に負担をかけ、老化を早め、内臓が強くない人は病気になることを考えに入れない食生活を、理想のものとして来たように思います。しかも、現在のような食生活が永遠に続くと思っている人が大半です。

 ものは試しに、江戸時代の人たちのように、ご飯と味噌汁、漬物、おかずの鰯一皿という「一汁一菜」を1週間ほど続けてみることをお勧めします。そして、1カ月に一度は、日を決めて朝、昼は食べずに夜だけにするとか、慣れて来たら朝、昼、夜の3食を食べない1日を過ごしてみてほしいものです。

 食べることができるのに食べないという体験は、それだけで生きていることを実感し、人生観に変化が現れます。そして、家族のことだけではなく、同じ地球上に食べられない人たちが8億人以上いることに、心の眼が向くことになります。

 その8億の人たちは、食べるために生まれて来たわけではありません。地球上の人間は皆、ひとり一人に成すべきことがあるので生まれ、成すべきことを成すために食べるのです。

 自分が成すべきことを知るために生きることを、「人生」と言います。それには、身体の丈夫さ、心の強さが伴わなければ躓(つまづ)いてしまうことになります。

 人生の原動力の一つが食べ物です。腹八分ではなく、3食を食習慣としている現代人は、腹五分の食習慣を身に付けることで、地球規模の食料危機が到来したとしても、食べ物を巡って争う人間になることもなく、他を思い遣る精神を持ち続けられる基盤になります。

 食べること、また、食べられないことは、人間の心と行動を大きく左右します。もし世界で食料争奪戦が起きる時がくれば、その危機を食い止められるのは、腹五分の食習慣で生きている国の人たちです。
                          (本誌・特集班)

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