バスのおじさん
ぼくには、今でも忘れられない幼稚園の頃の心あたたまる思い出がある。その思い出は、忘れるわけもなく、また、忘れたくもない思い出だ。
それは、ぼくが幼稚園に行くバスの中のことであった。そのバスの運転手は、いつもやさしく声をかけ、微笑んでくれるおじさんだ。ぼくが初めて幼稚園に行ったときからの付き合いだ。
ぼくは、いつものようにバスに乗り、席に座り着くのを待っていたときだ。そのとき急にバスが交差点の端に止まったのである。こんな所から乗る人はいなくて、いつもは止まることのない所で止まったのだ。
すると、おじさんはバスの扉を開け、外に飛び出した。おじさんは歩道の方へと走っていった。そこには、電動車椅子のおばあさんがいた。よく見ると、車道と歩道の境のブロックに乗り上げ困っていたのである。自分の力では戻すことができなかったのだろう。
おじさんは車椅子を持ち上げ、歩道に戻した。おじさんはいつもの微笑みを見せ、すぐにバスに戻ってきた。あまりお礼を言うことができなかったのか、おばあさんは名残惜しそうにお辞儀をしていた。
おじさんは、いつものように、背中をぼくに向けて座るとエンジンをかけた。その背中は小さなぼくにはいつもより大きく見えた。この数分の出来事がぼくにとっては衝撃であり、忘れてはいけないと思った。ぼくはいつもぼくたちを心配してくれるおじさんにとても感動した。
そのおじさんはぼくが小学生になっても、ぼくの近くをバスが通る度、そのおじさんは手を振り、微笑みかけてくれるのだった。
6年になったある日、突然、そのおじさんに会った。相変わらず元気でやさしい口調だった。おじさんは、6年たった今でもぼくの名前を覚えてくれていた。
「中学校にいってもがんばれ」と言って、ぼくの肩にそっと手を置いた。それが最後におじさんと会った日となった。たぶんおじさんは今も元気にバスを運転しているのだと思う。
ぼくは、おじさんのように誰に対しても優しく接し、人を幸せにすることができる人になりたいと思った。おじさんはぼくに感動を与えてくれ、人間としての本当のやさしさというものを教えてくれた。
ぼくは、大人になったら、そんな大人でありたいと思った。ぼくはそのおじさんに会って、「ありがとう」の一言を伝えておけばよかったと思った。ぼくは、このおじさんと会うことで、やさしさというものが分かったような気がした。幸せを周りの人に提供できるそんなおじさんがぼくの考え方を変えた。
そんなおじさんのことをぼくはずっと忘れたくないなと思った。
宇田 光 鹿児島県 ラ・サール中学校 1年(令和元年度当時)
本稿は第19回作文コンクール「心あたたまる話」の受賞作文です。原文のまま掲載しています。(主催・一般社団法人人間性復活運動本部)