オタクだけど、アラサーになったらアニメが見られなくなってしまって、悩んでいる。

私は、そろそろ27歳を迎える。年齢としてはアラサーなので、諦めてアラサーと自称している。
この歳になってみて初めて、「アニメを見ることができない」ことにものすごく悩んでいる。
時間がないとかじゃなくて、なぜか精神的に辛くて見ることができないのだ。
答えがあるわけでもないので、ただ、悩みをここに吐き出していく。

もともとアニメは好きだ。

アニメは、小学校に上る前からいくらか見ていた。要はポケモンとか、名探偵コナンとか、そういったところの普通の作品を好んでいたと思う。
自分がオタクだと認識したのは中学生の頃からで、2つ上の兄の影響で深夜アニメなども録画したものを見ていた。当時だと、例えば『.hack 黄昏の腕輪伝説』とか、『MADLAX』なんかがやっていたと思う。後は『AVENGER』なんかも好きだった。この記事を書くために調べていて知ったのだが、これらは総て監督が真下耕一だ。
深夜じゃないところだと『ツバサ・クロニクル』も好きだったし、影響で『HOLiC』も見た。ほぼほぼ当時の少年少女の教養と言っても差し支えないだろう、『鋼の錬金術師』もとても好きだった。
なので、私はもともとアニメは好きなのだ。
だが、26歳を迎えた今、異変に気づいた。
新しくアニメを見られないのだ。辛くて。

アニメを見ようとするととてもつらい。

例えばAmazonのPrime Videoで新しいアニメが無料配信されていても、それを見ることができない。
見ていると、段々心細くなってきて、プレイヤーを消してしまう。
見たことのないものを受け入れることができないのかもしれないと思って、見たことのある別のタイトルで試したものの、だめだった。
試したタイトルはリアタイで見た後に借りてきて2周までした『輪るピングドラム』で、今でもたまに考察ブログを見たりするくらい好きだ。
だがそんな大好きな作品でも、1話を5分ほど見たあたりでそわそわし始め、一気に18分時点くらいまで飛ばして、心の片隅がモヤモヤとして「早く終わらないか」と思いながら1話を最後まで見て、2話に行くことなくプレイヤーを閉じてしまった。

なぜ私はアニメを見られないのか?-「共感性羞恥」なのでは編-

「早く終わらないか」と考えるところは、かつて「共感性羞恥」に対して敏感だったときと似ていると思う。見てられない、見てるとこちらが辛いと感じるので、そこを見ることができない。
仮に同じように感じているなら、つまり私は、アニメを見ている際に何らかの「羞恥」を得ているのではないだろうか。
アニメも映画も起承転結だ。主人公の日常が、非日常に切り替わる瞬間も来る。『輪るピングドラム』で言うなら、主人公の晶馬は「日常→非日常にうまく適応できていない人物」として長く描写されるので、そういった感情を呼び起こすのかもしれない。
見たことがない作品も全く見ることができないのは、「非日常でカタルシスが発生するかっこいいシーンになる前に、そういう共感性羞恥を刺激されるシーンがある」ということをなんとなく予見していて、それが来るのか、来ないのか、いつ来るのかと余計なことを考えてしまうからなのかもしれない。
よく考えればアニメだけでなく映画も見ることができなくなってしまったので、もしかしたらこれが近いのかもしれない。

なぜ私はアニメを見られないのか?-受動的なメディアが苦手なのでは編-

次の理由としては、そもそもアニメというある意味ものすごく受動的なメディアが苦手なのかもしれない。
私の一番大きな趣味はゲームで、よくグラブルをプレイしているのだが、ゲームはものすごくインタラクティブなメディアだと思う。自分から働きかけて、やりたいものを選択してプレイする。一つ一つの単位は短い。ところが、アニメだとそうもいかない。音だけ流していてもあまりわからないし、結局目と耳のリソースを両方アニメに向けないと見ることができない。
もしかしたら、そんな風に「黙って座ってアニメを見る」ということが苦手になってしまったのかもしれない。
そう考えると、私が漫画を読むことなら普通にできるのは、ある意味得心が行く。漫画は自分のペースで速く読んだり、じっくりとページの背景などを見て脳内補完したりすることができる。アニメ側に、自分が物語を摂取する速さを縛られたくないのかもしれない。
これもこれで、結構説得力があるような気がする。

まあ、結局わからないんだけど。

仰々しく連ねてみたものの、まあこれが本当にわからない。ただ、アニメも映画も、辛くて見ることができなくなってしまった。年齢のせいなのか、私がノイローゼだからなのか、上の理由からなのかはよくわからない。
もし同じような経験をしている人がいたら、共有してほしいと思う。

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