jigoku 考察

《jigoku》という楽曲の考察をここに記しておこうと思います。
(これは日本語表現法という授業で使う資料でもあります。)


歌詞

Aメロ(1)

嫌い 嫌い 地獄へ
痛い 痛い もう もう
悲しみを乗せて
痛々しく

きらいらい
呪いを込めて
痛みを閉じ込め

嫌い 地獄へ
行こう 行こう いざ

Bメロ(1)

きらいらい
Bad ライム 言いなりになって
パントマイム 意味は無かった
Pulse 皆無 取り繕って
四六時中

何度だって 試したいんだ
ナイト描いて 曝して飲んだ
不安と泣いて 這い蹲って
地獄へ行くの

Drop(1)

[jigoku]

Bメロ(2)

Blood 吐いて 意識を焚いて
Hate 買って 地味な自分へ
フラッと Highへ 取り繕って
四六時中

Black Side 見えなくなって
Fu✖k 抱いて 消え失せたくて
Flack Out 這い蹲って
地獄へ行くの

間奏

Cメロ(Aメロの派生)

心を込めて
怒りを乗せて
恨みを込めて
地獄で会おうや

Aメロ(2)

期待しない 今夜も
不満 不満 恥晒し
無い 居ない 悲痛 Cry
せーので うぜぇ
きらいらい

Dメロ

きらいらい

きらいらい

きらいらい

きらいらい

Drop(2)

[jigoku]

Bメロ(3)

Blood 吐いて 意識を焚いて
Hate 買って 地味な自分へ
フラッと Highへ 取り繕って
四六時中

Black Side 見えなくなって
Fu✖k 抱いて 消え失せたくて
Flack Out 這い蹲って
地獄へ行くの

考察

曲構成について

曲の構成が一般的な型から外れているのは皆さんわかるかと思います。なぜこのようにいびつになったのかといえば、『表現』のためと考えるのが自然でしょう。少なくとも私なら、これ以外の理由では、曲の『アクセント(スパイス)』として以外ありえませんが、ここまでごちゃごちゃな感じにはしません。

また、唐突ではありますが、補足として、ここでDropについて軽く説明します。Dropというのは、J-popでいうサビの部分です。しかし、特徴として、インスト(歌なし)で構成されます。Dropのところを見てもらえばわかる通り、「[jigoku]」しか言っていません。

嫌い、痛い ↔ 辛い

Aメロ(1)では『嫌い』や『痛い』という言葉が使われていますが、なぜ『辛い』という言葉は歌詞に一切出てこないのでしょうか。私の考えからすれば、『嫌い』や『痛い』の言い換えとして、『辛い』という言葉は非常にマッチするケースが多いと思っています。私なら、歌詞中で同じ言葉をたくさん使いすぎたら、言い換えを考えて、『辛い』という言葉をすぐさまチョイスするでしょう。
しかし、『辛い』という言葉は使われていないのです。この理由は語感にあると考えました。『嫌い』も『痛い』も語感は『iai』です。対して、『辛い』は『uai』となります。これが大きな差となっているのでしょう。
ただ、韻を踏んでいるだけと考えるなら『○ai』で成立しているじゃないかと思う人もいるでしょう。違うんです。Aメロ(2)を参照すると、『期待』『しない』『居ない』という『iai』の形がしつこく使われています(ここでは『不満』はそもそも韻を踏んでいないので、見なかったものとします)。これは、『iai』型で一貫することでより強く一体感、リズム感を生んでいると考えられます。

また、『i』と『u』には音的な違いもあります。『i』は一般的に高い音と感じられ、『u』は対称的に低い音と感じられます。音色の観点からみれば、母音を発音する時、『ieaou』の順番で暗くなるとされています。これから、『i』と『u』が対称的すぎるので、『u』を含む『辛い』は違和感を生むと考え、意図的に排除された可能性もあります。

韻を踏んでいる、外している箇所

Bメロ(1)にて、『パントマイム 意味は無かった』とあります。周りは『言いなりになって』や『取り繕って』などというように、『e』で終わっています。また、Bメロ(2)ではすべて『e』で終わっています。つまり、『意味は無かった』を『意味は無くって』としたら違うと思わせる何かがあったと考えるべきです。これの大きな差は過去形にあると考えます。
『意味は無かった』⇒『もうすでに無意味に終わった』というとこでしょう。「何かをしたが無意味で、もう諦めてしまった」ということがここから伺えます。『パントマイム』は後で分析します。今は諦めたということを覚えておいてください。

もう一つ。Bメロ(1)にて、『何度だって 試したいんだ ナイト描いて 曝して飲んだ』とあります。これも同様に意味があるものと考えられます。『だ』という言葉は断定表現で用いられることが多く、断定表現以外であっても、『だ』という言葉は強い言葉のように私は感じられます。断定表現が強い表現であるのは当然として、過去形の『ナイト描いて 曝して飲んだ』というのも心なしか強い語句に聞こえます。私はこの『だ』に強い意志、能動性を感じました。逆にBメロ(2)では意志、行動とは関係なく、異常現象が起きているように感じられます。
また、Bメロ(1)で『不安と泣いて 這い蹲って』とありますが、ここでは『だ』という文字が使われていませんが、これは次への繋がり的にこうせざるを得なかったと考えるべきでしょう。

Aメロ(2)でも、『不満 不満 恥晒し』と、韻を踏まない部分がありますが、これに関してはあまりわからないというのが本音です。アクセントの位置の母音が一緒ということで実質的に韻を踏んでいると考えるべきなのでしょうか。

意図的にカタカナにしている

Bメロ(1)では、『ナイト描いて 曝して飲んだ』とあります。この『ナイト』というのは、nightであろうとknightであろうと容易に英語で伝わります。しかし、ここでは意図的に『ナイト』と書かれています。意図的だと解釈できる理由は、そのほかの箇所では基本的に英語で書かれており、英語なのにカタカナで書かれている『パントマイム』や『ライム』は英語で書かれても可読性を欠くので、意図的にカタカナを使っていると考えられるためです。さて、ここで『ナイト』をカタカナで書いているのは、『night』と『knight』という2重の意味を乗せたかったからであろうと考えられます。ただ、これが表す意味を考察するのは後でにしましょう。今では情報不足です。

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