続•ブレンディのエスプレッソオレ微糖は美味い
おはようございます!6:32。今日は洗面所を使う順番を逃したので、朝食だけ食べて今書いています。ちょっと眠いのと、顔が浮腫んでいる気がします。どちらかというと、顔の表面だけ昨日の空気に覆われているような気分です。これを洗い流すことで、実質的に僕の一日は始まっているのかもしれません。それでもブレンディのエスプレッソオレ(微糖)は美味い。新しく始めたバイトがかなり熱心な方のコーヒー屋なので、うめえエスプレッソを割ったうめえカフェラテを飲める機会が多いのですが(ありがたい)、それでもブレンディを飲めなくなるとかはないです。あるいはこちらをカフェオレの入り口にしたことが大きいのかもしれません。今日は水曜日か。この前は母親が木曜日を水曜日と勘違いし、僕もなぜかスマホやらで確認することをしなかったので、蒸しあちさの最中で生ごみを捨て損ねるという凄惨な事件がありました。もう同じ轍を踏むことはしないと、断言します。あのやるせなさったらないです。そりゃ母が曜日を勘違いしている割に(あるいはだからこそ)溌剌と「今日水曜日だから明日ね!」と言っていたことは引っかかりますが、どう考えてもその後ゴミ捨てまで3、4時間あったのに一度もその引っかかりに向き合うことができなかった僕のところで滞っている。正直思い直すのに十分な時間があったかどうかというのは、傍目から見るより重要ではないとも思うが、それにしても思い直す必要さえなかった。パッとその場でスマホを見ればよかっただけである。しかしその時は起きて数十分、スマホを常に身につけているわけでもない。どうしても口頭での会話を噛み砕いて吸収してから、カレンダーなりスマホで確認するという流れになる。この場で解決するというより、文章を書き終えて少し休憩したのち、念の為ごみについて今一度確認してみる、という流れの方が現実的だったかもしれない。朝は時間だけではなく、すべての流れが早い。正確には、一度流れに乗ってしまうと、それに無自覚になる。少し早く起きて、一人だけの時間を過ごしているときはひたすらに静かで、その流れは非常にゆっくりだと感じることすらある。でもそこに他者が一人加わり、その意図を汲み始め、対話が始まったりなんかすると、流れは一気に加速する。それが嫌なわけでもないが、それに気づけていなかったことは少し怖いなと思う。たとえば母親が起きてくる音が聞こえた時、生まれるのは「一人の時間が終わってしまう」というぼんやりとした残念さではない気がする。僕の場合はもっと鮮明に、「ゆったり過ごそうが、何から手をつけようが、気分のままに、脈絡なく行動することができなくなってしまった」というような残念さである。でもそうやって中断された時間を、ここでなら近い形で再現できる。家族が起きてきていても、満員電車に詰め込まれていても、放っておいてもらえさえすれば、そうしていてもいい立場さえ確保できているのならば、あの緩やかな時間の流れを思い出すことができる。僕はその時間の中でなら、純然たる豊かさを見出すことができる。
ぼちぼち書いたんで、一旦出しときます。書き足せたら書き足そうと思います。それでは皆さん、今日は久々に涼しいので気持ちの良い1日を。
2023年5月31日 ワイシャツ一枚、風邪ひきそう
追伸 木村くんの家にスマホ忘れて連絡取れないんで、見てて可能な方いたら明日8時半に取りにいく、具体的にはインターホン押すと伝えて押してください。では、おやすみなさい。