芋煮食いに行く
おはようございます!と切り出してからいったん今日の電車の時間を調べます!8:08の電車に乗って行って参るぞ!ということは今6:45だから、家を出るのは7:55過ぎとして、いや13分を切ってくると多少小走りが必要になってきてしまうから50分目標として、もう準備した方が良くないっすか!?というのは僕のあるあるです。早めの時間に集合する休みの日のあるある。勝手に休みだから朝にはふんだんに余暇があると思い込んでしまうんですね。うーんそしたらどうしようか、家を出るまで。今日はなんと二子玉川の方まで行くのでほんの少しキッカケを作って取り掛かりやすいようにだけしてあげれば、1時間45分とかありますからほぼほぼ書ききれちゃうと思うんです。とすると今やっておくべきはもう一つの絶対的日課、絵を描くことだろうか?これも怪しいところだ、たしかに今はお絵描きするぶんには全然やりますよ、という声が聞こえてくるぐらいには乗り気でいるが、ただあれが一日の終わりにあるというのを僕が一つ楽しみにしているというのもまた事実なので、ただこれって文章を早めに書き切ることにビビっていて(今はサクッと書ききれたらそれが一番いい、いやそうでもないか、ただ気が楽になるのはたしかだ)、ようするに埋めなきゃいけない余白を確実にうむくらいだったら、惰性でもなんでもずるずる一日が埋まっていた方が考えることが少なくて楽だと思っていたときの考え方に似ていて、だからまあ余白を自分なりに埋めていく技術に乏しいなら仕方ないし、若干身についてきたなと思ったら少しずつさっさと切り上げて隙間を生み出すことにトライしても良いサインだと思うのだ。もっともお互いがお互いのサインになっているから、どちらをクリアしたからこの段階に入れる、ということではないような気がしているのだが。ではどこから察知すればいいのかというと、それは身体の強張りに敏感でいれば自然と流れていくものだと思う。さきほど余白を埋める作業をするには現段階では心もとないなと思ったら仕方ない、といったが、体を楽にするためには惰性にも時に身を任せた方が良いのではないか、つまり仕方ない、ではなくそちらの方がよい(ときもある)というべきではなかったか。僕はそうではないと思う。なにかきっと、絶対的に向かうべき方向というのは、他人のことはわからないが僕のそれは明確に定まっている。ピカッと見える日の出のような眩しい光に向かって、蛇行しながら、立ち止まりながら向かっている感覚がある。その時僕は時間に沿って歩いていない。僕の好奇心、幸福に向かって流れる川のような、あるいはそのせせらぎが奏でる音にそって歩んでいる。今のところは流れに身を任せて、ぷかぷか浮いているというよりは川を目印に、自分の足でなんとか歩いている。きっとどの流れが信頼を置く足るのか、悩んでいる。そんなもの答えはない、正しさなどないといってしまえば言ったもん勝ちだが、それでは全ては相対的であるとかなんとかそりゃそうだけどよという論理で持って人を打ち負かすことばかり上手くなったソフィストたちと一緒ではないのか。あるんだよ多分、俺たちが人間に生まれてしまったからには、本能だけでも語れない、効率だけでも語れない、意味のない、しかし僕たちを活かしてくれる強烈なエネルギーが、それを真理と呼ぶのか僕にはわからないが、とにかく目の前に解き明かしたいことがしきりに現れるもんだから、それをいちいち立ち止まって、最近だと歩きながらついでに、でも止まってる時もあるな、つまりこういうことかと一応いっちょまえな形で文字に起こしたり絵にしてみたり、友人との交換ノートを再開してみたり、それでもいくらかは宙に霧散していったりするわけだが僕はその中でたしかに、未来ではないどこか、というか未来を直線的な時間を歩んでいったときに見える一地点としてみるのでなければ未来とも言えるかもしれないが、そこに向かって何歩か歩みを進めたのだなと、この身体を通した喜びを感ずることができる。時間は流れゆくものではなくて、いまも見渡せばそこかしこに滞留するものだと坂口恭平さんや千葉雅也さんはいうが、僕にはそれがわからない。たまに千葉さんのツイートを見てわかった気になる時がある、というかその瞬間いちどわかって、すぐ忘れてしまう。もしかしたらその時の感覚は、いつかの日記に書き留めてあるかもしれない。ただぼくが肌で感じることといえば、時間に沿って歩いたのでは喜ばしい未来になどたどりつきようがないということだ。根拠は曖昧なのだが、だって人間はそういうふうにできていないもんな、ということであるという点では明瞭だ。
8:37、とりあえず新木場に向かっている。そこから何線だかに乗り換えるらしいが、僕にとって重要なのはあくまで新木場を経由することだ。高校生のとき、通学に通勤快速を使うことも多かったのだが、使うといってもひと駅で乗り換えなければならず、何かに熱中していると乗り換え損ねてたちまち30分電車に揺られっぱなしということを何度か経験した。その際たどり着くのが新木場駅であった。これは不思議と僕の心に良き思い出として、それもあのときは辛かったけど、怒られて酷い気分だったけど振り返ってみるとあれも、というニュアンスではなく、ただ一貫して楽しかったし、今そこに向かっていてもまた楽しい。ああしまったと一瞬心臓をバクバクさせてから、まあ乗っとくしかないしなとクラスメイトで構成されているグループチャットにすみませんミスってこれから新木場なので遅刻しますと送信する。別に仲のいい友人に個人的に連絡してもいいのだが、せっかくこんなに面白い話があるんだからたくさんの人の前でしたかった。面白いひとだと思われたいのもあったし、その場がおもしろい空気に包まれうることそれ自体が僕にとっての希望だった。もしかしたら当時気になっていた女の子がそこに含まれていたのもずいぶん影響したかもしれない。新木場ときくと、パンパンに人のようなものの群れが車両に押し込められているときのあの窮屈さではなく、突き抜けるような、なにものにも変えがたかった爽快な風、僕の頭の中にあるほこりごとはらってくれるような突き抜ける奔流が思い起こされる、というか今でもそれを感じ取ることはもちろんできる。
ちょっと車内の空気が滞ってきた、新浦安か。新木場まであのどのくらいだろう。あと二駅、10分だった。いま新浦安をでて、舞浜を通過したらすぐそこだ。なんとなくこの辺の駅のホームはすべて新木場を感じさせる。新浦安駅をまじまじと観察したことはないが、舞浜駅は以前、ホテルで働いてみようと思い立ったときに住んでいるあたらで一番条件が良さそうだったディズニーリゾート付近の、でも提携ホテルの最前線ではないようなホテルの説明会を受けにきたときに、ああ舞浜って新木場っぽいなと感じたのを覚えている。坂口さんの牛深ハイヤが騒がしい。昨日イヤホンをつけずにPCから流していたときはなんの作業をしていたか、もうちょっと静かな歌に変えようとなったのだが今はなんとなく聴いていたい気分だ。うるさいっちゃうるさいんだけど、変えたいかといわれると、まあちょっと変えたい。さあどのアルバムを流そうかと選んでいるうち終わってしまった。後付けでもあるが、今日はこんな感じになるんだろうと思っていた。次に聴く曲を選ぶのに、僕は悩む必要があった。いつも、ひとまず音楽をかけ始めるかというタイミングでなんでもいいから再生ボタンを押しているときとは異なって、意思におされながら新たな歌を選ぶことなしに僕はあの牛深ハイヤを止めることができなかった。というと少し格好つけすぎか、止めることができなかったというのは、少なくとも今書いたものに限っていえば状態を言葉にしただけだ、他意はない。だからカッコつけただけだ、今のは。
有楽町線に乗り換えた。永田町までこれに乗る。そこからまた何線だかに乗り換えて、最後が田園都市線だということだけ覚えている。というのも二子玉川に住んでいる、というかその前に用賀に住んでいた友人がいて、彼と飲みに行った帰りに俺は田園都市線、と言っていたのをよく覚えているから、いまだに言葉としての印象が強かなんだろう。一度見ただけで今日はこれに乗るんだなと脳にこびりつく。豊洲に着いた。築地と豊洲の関係がわかっているようでほとんど何もわかっていない。市場は今豊洲にあるんだっけ?そういうわけでもないのかな。ちょっと調べてみます。2018年の10月6日に築地が安心安全な取引、迅速な流通を担う市場のしての役目を終え、2.3キロ離れた豊洲にバトンを渡した格好みたいです。移転の理由は施設の老朽化、またスペースとして手狭になってきたことがあげられるらしく、2001年には石原慎太郎都知事が移転の決定を下していたみたいですね。2020年の東京オリンピックには築地市場の解体を終了できるように日程が組まれていて、オリンピックの一年延期を受けてもなお7月には完了したと。ほんでこれだ、断片的に覚えているのは、移転にあたっての土壌汚染問題。候補先の東京ガス施設の跡地のそれが問題視された。その辺の検討が長引いたが、小池百合子都知事が2017年に豊洲移転を最終決定、2018年10月11日に新市場の会場を定める。それに先立って築地市場は先ほど書いた6日に閉場。ツギノジダイってサイトの記事をほぼまるまる写したが、そこには一緒に、物語の終幕に感極まって目頭をおさえるじいさまの写真も添えられていた。ニュースの見出しでしかろくに覚えていなかったから、ほんの字面でも知っていることが増えてよかった。それにしても新木場を見て突き抜ける風を感じたことではないが、ちょっと前からニュースで取り上げられている処理水の海洋放出、構図が似ているのはもちろんそうだが、なにより陰謀めいたものが裏にあるんじゃないかと疑う声が耳に届くという点でも似通っている。いや、陰謀論だけではないか、ただぶつける場所を見つけかねているような怒りを目にすることが多い。署名活動、いまだったらSNSでとりあげることそのもの、こうやって下から権力に圧をかけていくことで歴史は変わってきた、そういう言い分でのデモ活動があるが、見ていて気持ちのいいものではない。デモとはそういうものなのかもしれないが、もうちょっと、じゃあデモではない形で抵抗していけないのかなと思う。どこにも陰謀はないとして、ただ思慮の不足が重なっているだけなんだとしたら?しかしその流れ、というか澱みは底が深く、池の水を全部抜くみたいにはいかないんだとしたら?抗っても仕方がないとそこを諦めてしまうのはたしかに違うんだろう、その形を個人の単位で考える必要がある。それはきっと見るからに環境にいいごみ拾いから、というだけでもないのだろう。たとえばいま僕は日々の創作を通して、あるいはただの生活を通して芯からおもんないやつを介入させないような、というと不要そうな角が立つが、俺とその動き方を一部分でも面白いと思ってくれる人たちが一点の曇りもなく面白い楽しいと思えるような時間、瞬間というレベルのささいなところからでいい、あるいはそこに永遠の広がりが潜んでいる場合があるからやはり順序や段階の話ではないのだがこれも、とにかくオーダーメイドのコミュニティを僕も作ろうと頑張ってみているわけだ。僕も、というのはそういう人たちを最近よく見つけられるようになってきているて、勝手にそういう人たちを私淑しているからそう言った。私淑という言葉を郡司ペギオ幸夫さんの「創造性はどこからくるか」で知ったが、この言葉に勇気づけられている。師匠と声高らかに示せるような直接の繋がりはすぐにもてそうにないしビビリだから、でもこれだって私淑からでいいし、また順序の話ではないんだろう。私淑から師事へ、とは限らない。そもそも坂口さんがいうところの建築とは、建てない建築、言語であり声の集合体である、肉眼でその姿をいかに近くで捉え続けうるかということをその成立要件に据えていない。ただ手の温かさが人を癒すということも同時に言ってはいる、それもめちゃくちゃ大切だ。このまえ駅から家までの帰り道で猛烈に腹が痛くなって、経験則からするとこれはもうトイレが近づけば近づくほどしんどくなっていくものだろうと思ったのだが、そういえば手で冷えたところをあっためること、それだけで治療というかそれが治療なのだという坂口さんの言葉を思い出して服の上からだが手を当て続けたら、なんと痛みが和らいだ。すげえ!という興奮とは裏腹に、まああまりテンション上げるとお腹に響くというのもあるが、それで良くなることは知っていた、忘れていただけで、というか思わないようにさえしていた気がする、と感じた。やべ、もうふたごしんちに着きます。大学時代の先輩や友人と芋煮を作ってきます。なんてったって我々、東北の民ですから。