おやすみになった2日目

1日目、とは言ってみたものの、今日は行くかどうか悩んでいる。ひとことめに目を引くようなことをしなくていい。まだなにも立ち上がっていないからだ。相手の顔を見ながらしゃべらないと、相手が誰なのかわからない。すでに見失っている、俺は彼女のことを彼女で、俺を愛している、そうは見えないときも、ないか、だからというわけではないがそこに疑いをもったことは本当にない、彼女って呼び方なんやねんとは思うことがあるけど、それを見失ったことがない俺が、すでに見失っている状態からのスタート。当然やってことがないので、困りまくる。なんだ、なにをしたらいいんだ、彼女じゃない子とじゃあ喋ってるとして、なにかしらやりたいことがあるからあって喋っている。という会い方しかしたことがない、というと甘酸っぱい20そこそこの、エッチな思い出のことを話しているようにも見えるしそう見えてくれる分には全然ありがたいが、そうではない。
もうちょっとダラダラ書いてみる?でももう飽きたぜ、別のことやりたい。Twitter見るだけじゃん。これが癒されんだよ、やな感じの言葉をみてやな感じだとそこまで思わないときに、癒されてるなというのは思う。しかしこれでは毎日書けない。


二日目はお休みにしようかな、というかサボり。バックれ。なぜならもう15:30だからだ。始まるまで2時間を切っている。朝のうちに決め切る必要はないと思っていたら、昼にもそう思って、なんなら今だって、ギリギリまで悩もうかなんて思っている。
ギリギリはもうそこまで迫っている。僕の乗る総武線各駅停車が、中野行きになるのか千葉行きになるのか、もうそこの駅のホームで決めなくてはならない。やり残したことはあるようで、じゃあ今日どうしたいかというと、その場でどうこうできるようなことではない。僕の気持ちの問題なのだ。なにが大事なんだろう、今日、行くか行かないかを考える上で。俺はいつも、行ったらいいことありそうな場所に、なんか行きたくない気もする、ってときにこうやってウダウダ考え続けてみる。はじめに選んでいたほうとほとんど同じだったりすることもあるのかもしれないが、あんまりそれは落ち込む理由にはならない。あんまり最初の悩み出したころのことは覚えていない。前に進んでいる感触もない。昨日ラボに出てみて、前に立ってみて、観客がいると、言葉を出すペースは小説よりもコントや漫才に近いんじゃないかと思った。どちらとも遠いんだけど、読む小説のことはさておき、書く小説よりは、声を出さなければならないそのときがすごいスピードで次々くる。あれは緊張する。何を言ってもいいのだとは到底思えない。見ている側からすると、なに言われても、おお、喋ってくれてる!みたいに感動するものだったが、あれもなに言ってもいいわけじゃないから頑張って捻り出したり何かの拍子にシュークリームの反対側からこぼれ落ちちゃったようなものを見て、ああこの人はすごいな、本当に、俺にはできないな。と思う。涙が目尻にたまることも何度かあった。目の周りが汗でベタついていて、その塩気で目がやられただけのことなのだが、タイミングがそれにしては良すぎる。そんな感じで涙がたまることがよくある。こぼす、とかましてや流す、なんかではない。ああたまってるけど、これ流しちゃったら大変だな、なんで泣いてんだ、いつ。って。


行くのが大変だ。飯を食うのも大変だし、帰るのがなにより大変。遅くなりたくないのと、何かの帰りに大勢の通りと電車でちっちゃくなるのが苦手だ。すごく自分を攻撃したくなる。なにやってんだ、いや、いつもこうだなあ、こうなるんだよな結局、残念だ、こんなもんか、なにに対してともなく、目の前のものについて、こんなもんか、とひたすら思うモンスターになる。


そうだ俺の人生を、段階的に考えていこう。もったいないもったいないじゃ何にもならない。何か成ってほしいから行くのでは、僕の期待に応えることはできない。そういうふうにはできていない場所にいくことになる。覚悟が必要だ。僕には二日間は無理かもしれない。また行くとなれば、きっと北海道とかだろうが、なんかその想像をしてみるとまたソワソワワクワクしてくる。遠いからだろうか。遠いから口汚くヤジを飛ばせる。昔は遠いの基準がせいぜい野球のスタジアムのスタンドくらいだから、そこがヤジだった。と山下さんが言っていた。全然関係ない話するけど、て前置いたのは別の話だったような。とりあえず、千葉行きに乗ってみる。これはもう帰るやつ。迷ってはいない。バイト先を出たとき、すこし歩いているとき、横断歩道のまえでお相撲さんが路駐の車の脇を歩いていたとき、山本浩貴さんの感想を読んでいるとき、ああこれ行くわ、行かんな、行くよな、行かな、行くのか…。と3度以上は入れ替わった。精一杯考えて二転三転するというのは、すごくはたからみたらおかしいんだろうなと思う。こういうところで笑いが起こるのだろうか。昨日はそういうのが全然わからなかった。この人ならこう、という話でしかなかった。後半は場があたたまってくるから、とは仰っていたけど、ただ後半に出てくる人がすごいようにしか見えなかった。かといって、最初に出た人も


ここで断りのメールを送って、すぐ意識を保っていられなくなって寝た。眠気が一気にきた、のか俺があらがうことをやめたのか。いろんなことに。バックれといえば聞こえはいいが、ただの面倒くさがりというか、気概のないやつというか、現代っ子みたいな奴である。そうであることは悔しい。そんなふうには思われたくないが、しかし今大切なのは、というか無視できないのは、決め手になるのは中野行くの、行くのかあ、行って帰ってもくるのかあ。だけだった。これが行く行かないの決め手になるのがこのラボだと思った。


キャンセルのほうは無事、受け取ってもらえた。2000円も結構ですので、とのこと。ありがたい。そうなるといいな、なるかな、って思っとくのもちょっとな、払う気でいればいい、と思っていたので、ホッとした。またホッとさせてもらった。これはラボにというより、僕に。僕がまた僕を甘やかしたというか、過保護なんじゃないのというレベルで、背中をなでてもらった。なにかを貰った、という感じが明確にある。僕からなのにね


2000円、大事に使います。とりあえずこのお金で明日のカツ丼を食べることになると思います。いったん貯蓄とか使っていないが使えるお金に取り込まれるのでもあるのだが、カツ丼を食べるとき、この2000円のことを思わずにはいられはい。むっしゃむっしと頬張っているのは、カツだ。他でもないカツ。分厚い。食べたかったカツ丼。

それいゆでチーズカレーとコーヒーで1500円、ジャスミン茶の名店は空いてなかったからまた9月以降、交通費は、なんやかんや西荻に先に行くことにしたので、往復で800円くらい。ジャスミン茶はペットボトルでセブンの安いやつを買って、全然癒されねえじゃん、躁鬱に効かねえじゃん、と思いつつも、安すぎて癒される部分はあった。これ110円。108円かな。そんなもんだっけ。本も買わなかったし。振り返ってみるとほんとに使ってないんだよないつも。もっと使いなさい。ラボにお金を使えたのはラッキーだったけど、やっぱり人のやっていることなので、好きなときに好きなだけこれで僕の心を満たせるわけではない。

もともとラボの二日間に6000円あてていた。ここから今の分でちょうどくらいだね、としてもいいのだが、いやダメで、この「二日目」の2000円を僕はそれとして今月使わなくてはならない。2000円は必ずどこかで、そもそも明日には使うことになるだろうから。千駄木でカツ丼を食い、往来堂書店にいくからだ。
ということは、えーと実質ラボにあてていたのは4000円ということになって、もともとの予定通り交通費と初日のお代であわせてちょうどくらい。ジャスミン茶もあわせよう。だから、チーズカレー、まだランチいけますかって聞いたけど、伝票は1500円だったチーズカレーは、まあありがとうございます、ということで、僕の興味を具体的な金払いから探るための、「メンテナンス」代のほうから降ろしておきます。これでこっちはあと1000円くらい。「本」は3000円。「週末」は4500円と、先々週とかにあまった900円。すべてをぶつけろ!とは言わず、このくらいね、お小遣いは、と時々握りしめながら、千駄木を闊歩しよう。ありがとうラボ。ありがとう今日のおれ。

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