モラトリアムの作りかた

あべこうだいさんの、まったく新しいアカデミックライティングの教科書を見にいってみる。千葉駅のくまざわ書店に久しぶりに行ってみようか悩んでいたところで千葉さんの紹介と、著者ご本人の質問箱でワクワクする文章に出会ったので、たまたま在庫もあるということだし見るだけ見てみる。予算はまあないっちゃないが、なんとかなる。来月は結局いくら使えるのか帰ってから計算しよう。

これを見てワクワクした
https://x.com/korpendine/status/1817407101574238674?s=46

こういう、ツイートのはっつけ方とかにも正しい、というか見栄えと権利関係のこととご本人の気に障らないことを両立できるようなやり方があるんだろうか。今のところ、はてなブログでみた、こんなにそのまま貼り付けちゃっていいのって感じのブログみたいに書いてみてるんだけど、逆に。僕もビビリなので、ほんとはやっていいことしかやりたくない。この本にそういうことが書いてあるかは別として、一番ルールでがんじがらめになっていそうな世界での文章の書き方がどういうものなのか、ずっと学んでみたかった。やっぱり書くこと、書き方、それ自体に深い興味がある。僕もよくわからない、なんでそんなことを気にするのか。それが気になってしまうのか。気になる本を読んで調べてくのが一番早い。

定期圏内だから改札を出られる、先月から定期を買い始めて、初めて千葉駅で有効活用した。27分に茂原行きが来るのでそれまで20分ほど本屋を見てみることにした。本屋は6階だか7階だかで、行って帰るだけでそこそこ時間がかかるので、タダでもなかなかここまでこない。

買っちまいました。在庫検索機を使わずに見つけることができた。たまにはああいう、少し焦りの伴った本屋の時間もいいな。パラグラフ分析とか作文とか聞くと、大学受験の準備期間に、特に夏休みに、英語の長文読解の勉強でそういう仕方が使われていたのが思い起こされる。僕がそういう勉強の仕方をしていたのか、多少なりともしていたんだろうけど専用の参考書を自分で選んで、ということはしなかった、けどしてみたかったとあの夏買えなかったポレポレ英文読解を思い出した。いまポレポレを買っても楽しく勉強はできないらしいと大学生になってからそういうことを思うばかりで、その間もああいう、夏期講習でやらされるような勉強がまたしたいなあと思い続けていた。とりあえず読んでみます。


16:24。湯船に浸かってお腹を暖めたくも、まだ風呂をためるには早すぎる時間なのでじっとしている。さっき昼寝はでかいのをひとつしたので、もう寝たくない。目を閉じてぼーっとしてる分にはいいが、さっきまでそうしているといくらでも眠れてしまいそうだった。それが嫌で、乾燥し終えたタオルをしまったり朝からたまっていた洗い物を片付けたりした。スマホの充電が10%もなく、まだ20分は使えるだろうが熱くなってしまって暇つぶしにも身が入らないようなアホな時間が続いてしまわないように寝室の充電器につないで、スマホなしで2時間くらい過ごしてみることにした。そうなるとシャワーを浴びるのが一番早い、浴びたいし、しかしお湯に浸かりたい。まだお湯ははれないのでそれはできない。よかったのは今朝は朝から出かけていたから、午後、どれだけ家でぐうたら時間を過ごしても、まあいいかと思えることだった。思えたことだ。こっちのほうが時制の表現として正しそうだが、前のほうが見た目が好きだ。玄人感がある、というか後ろのが学校の作文すぎるのか。だ。で閉じてダサい文とダサくない文がある。基本ダサくて、だからこそ使える場所を見極められるとかっこいい。というか強い。ツワモノになりたい、書くことの。

パラグラフ分析じゃなくて解析だった。ポレポレ英文読解も今度立ち読みしたいなー、あれすっごいいい感じのレイアウトで解説がなされていた気がする。見た目の話。内容なんか一つも読んでないけど、そもそも大学受験のための勉強に内容もクソもないわけで、もっとガンガン見た目でいろいろ選んで、もっと楽しく勉強してもよかったな。時間制限のある中で、学校の先生たちもそのへんは誰も教えてくれない中で、よくあれだけ自分の興味へ素直に勉強へ向き合えていたなと思うけど、あれってやっぱり特に期待されてなかったからかな。なんか、両親に期待されてたより頭のいい高校に入れて、そっから先は今の就職の話じゃないけど、ある程度どう転がってもまあそもそも高望みだし、って思ってもらえそうな空気を察して、舐めてもらえるように気をつけていた。間違っても、ここから上に入るのはマスト、なんて勝手に設定されないように。就職はそこの水準が急に高い。マスト、とかいうからにはもっと控えめなラインでお願いしたい。とりあえず2年会社勤めって、すごいぜ。どう舐められてもこれは無理だと踏んで、俺、これやりたいから!って、マストすらあえて下回れるほどの猛烈な熱意、意志、を捏造することにした。全然YouTubeなんかやりたくないのに。もう少しモラトリアムが欲しいと法科大学院にいった友達がいたが、あれもあれでモラトリアムと呼ぶには忙しすぎる時間だ。どうすればもう一度、phaさんとかが日本一のニートやってたころはもう少しどころか全然、モラトリアムのなかでとりあえず思ってみるような生き方が選びやすかったみたいだけど、そんな感じで大学生が生きられるようになるんだろうか。別のことに必死こくか、勉強するか就活するかしかないなんて。そのあたりの、自分が自分を見る目含めたこの社会の謎の厳しさから、もっと、強い意志に基づかず、特に何にも突き動かされないが、ちょっと考えていいすか、とガストのメニューでも眺め続けるような時間を過ごすための、社会を変えるのは大変だからとりあえずたまたま出会えた人がすぐ使えるようなセンテンス、日常会話50、みたいな、気持ちよく舐められるための、って他意をふんだんに含んだようなサブタイトルでもつけてそういう文章を書けるようになりたいな。そのために毎日書いてます。そのためだけじゃないからこのフレーズを口ずさんでも勇気が湧いてこないことのほうが多い。勇気を掻き立てる箴言を拾い集めている。そのために本を読んでいる。それをこれから生きて示す。しっくりこなくなったらまた少し形を変える。別の形に整える。アーギュメントをつくるってなんかいい言葉だな。俺にもつくれるんだ。つくっていいんだ、とつい言ってしまう。「現代思想の作りかた」って肝心なパートを読めずに友達に返しちゃったから、現代思想入門もまた買おう。早めに。

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