書くの飽きた
こんなことやって何になるんだと思うから書く。書き出すチャンスではあったが、それ以外なにもなかった。書く。
おもしれー文章が世の中にはいっぱいあって、あの人に認められてえ、あの人から常に、頻繁に、俺のここで書いたものじゃなくてもいい、ツイートとか、なんかの感想とかに対する批判というか反応をもらえたらうれしいと思う。それで、昨日は眠れなかった。4時間くらいになった、6時間半くらい寝るつもりだった。
書くのは楽しい。充実している感じがある。時間が水で満たされていくのを感じる。それが満タンであるかどうかではなく、僕がそこに、浮かんでいるのか沈んでいるのか、泳いでいないことはたしかだが、僕が水中にいるのかさえわからない、僕の内臓が水に満たされているだけかもしれない、重要なのは水があるということで、それは僕を楽しませる水で、楽しませるというか、楽しませるなんて言ってはいけないから、他の言葉を探したい。
カフカの城を、ブルーロックみたいに生活に馴染ませられないものか。となると光文社の文庫になる。キャッチーすぎるとなにかが損なわれる感じがして、シロート(ブロートではない)だから全集で読んだほうが大切なものを拾えるような気がする、そうでないと拾えないような気がする、とゼロ百で思う。カフカ。
ブルーロックおもろいぞ。定期。喉いた。水を早めに飲みたい、千葉駅では咳をする人が多かった。車両を変えてもよかったけどやめといた。動き出したら気にならなそうだった。
書くの飽きたからいろいろやっていきたい。けど結局こちらにも戻ってくるので、ならばこれも続けておいていいのかもしれない。文量はだんだん落ち着かせていこうかなとおもっていたが、馬と人(一本4000字とだけ決まった原稿の集まる雑誌(?))が100本に達するまでは、この一日20枚ペースでやってみるのも面白い気がしてきた。できるのならやったほうがいい。できない日もある。出かけたりして。それ以外はやる。
千葉さんと丸山さんのやつ行きたいな。行きたいと言っているから代官山まで足を運ぶべきだろうか。でも、たしかにその次の日は休みだし、どうしようかなといいつつたぶん行かないんじゃないか。どうかなー、あの辺歩いてると、前、帰り道に特にそうだっただけだけど、すごく俺って…がっくしみたいな気持ちになる。それを恐れている。かといって、アーカイブ視聴にしてしまうのも、だが明日、さっそくさっき思いついた「往年のリア友ラジオ」を試せる可能性が行かなければある。だがそれは、この日にラジオができそうなら行かないで、できなそうなら行って、うろちょろしてから遅くに帰ってくればいいことで。休憩がやたらと長く感じる。飲み物をもらったりしていないからだろうか。それだけではない、僕が帰る時間を間違えているのだろうと思ってしまうような感じ。明日は誰かと話したいねえ。アリイとはなぜかそこで喋ってみたい。リョートもそうだな。これを読んでいるとノグチとタツヤも言っていたし、でもあいつらとサシで喋るのもあれか?でもタツヤはバルサの話が溜まっているし、ノグチも話したら話せることが毎回ある、語り口調が彼は明るいから、結局は楽しくなるし。でもどうかな、キムラが一発目になるとして、次は誰だろう。マキさんも、2/1より前に話しておきたい、が、前にTwitterスペースは嫌だと言っていたけど、今回僕がやりたいのは大っぴらに、僕らの存在を皆に広告する、ようなものではない。それはなんとなく、僕がこれから書くであろう誘いの文面から見てとれるんじゃないかと思う。江藤さんとも喋りたいよなあ。でも江藤さんはラスボスだな。勝手にそんな感じでいつもツイートやnoteをみている。
タケダが一番無難だ。タケダは大学のことも喋れるし、今やっていることもリア友の中でよく知っている。僕のTwitterをみている人はいるんだろうか。ヒナタは見ていなさそうだ、アリイは見ているらしい、この前のピンフさんとのラジオ聞いたよ、とピンフさんとしっかり発音して言っていたから、ちゃんと見ている。だからアリイと話してみたい。必ずあいつはまた、ピンフさんとしっかり発音してラジオの中で言うと思う。
往年のって、そんなにはっきり「過ぎ去った、昔の」って意味なんだ。てっきりいまに至るまでの長い付き合いを表すんだと思っていた。となると往年のってダメだな。音は好きなんだけど。音が好きなだけでタイトルにするのはいいが、他の人が関わるからな、相手に往年のがかかるから。迷惑が、みたいな言い方。
笑ってしまったけど、YouTubeのヒカキンとかはじめしゃちょーとか水溜りボンドとか新世代YouTuberのタイトルみたいで嫌にもなってきたな。書くの飽きた、は言わんか。書くの飽きた、が、タイトルだから今回はこれだけ書けている。この前書いた分で、次の回用のアドバンテージは一巡して、ここ何本かは一から4000まで書いている。それまでの数本の名残で、あまり気負うことなく書けている。バンバン乗り換えて帰ろう。涼しくて気持ちがいい。今日は書ける!もう一本書ける。三宅さんと森脇さんと、もうひとかたまだ存じ上げなかった方の鼎談みたい。鼎談久々に言えてラッキーだ。ツダマルは行かない。ツダマルは行かないもタイトル候補だ。そういうパワーをもっている、だが書くの飽きた、が今回のタイトルだ。こういう話を途中でして、あとから書き足して、ものの見事に忘れて別のタイトルをつける、あとは書き出したぶんの時間の中で気分がまた四季+1くらい流れて、違うタイトルをつけたくなるときもある。ちょっと力んで書きすぎている。脱力脱力。お腹いっぱい、お菓子を食べすぎたから明日はお菓子ゼロでいく。明日の千葉さん丸山さんの対談は、とりあえず現地は無しで、オンラインだったらいつでも申し込めるからギリギリまで待つ。おそらくオンラインで申し込むんじゃないかな。18時?19時からか、19時からならリアルタイムで家でみれるから、それがベストだな。僕は、最近アーカイブというか、見始めるタイミングも止めるタイミングもみおえるタイミングも司れるような動画を見るのがすごく苦手になってきている。読み通せない気がしてならないのだ。もう、はなから諦めて最初の方をみて、ああ意外と面白いや、やっぱり、でも全部はみない。なんでかわからないというか、普通なのか。でもお金払ってんのに、でもお金払ったときとそれみてる時は別だから、別に関係ない。これをみるためにお金を払ったんだとしても、全然その後の判断には影響がない、それは現地で見るイベントなら違う。本も、買って、すぐ近くのカフェとか入ったらお金を払った本を読んでるけど、持ち帰って床に置いたりしたらもうお金関係なくなる。これが困ったことなのか、僕はもともとそんなもんだったのだからそれでいい、その先にしか真実はない、みたいなことなのか。はあ。疲れた。バイトの振り返りやろ。コーヒー豆の在庫の管理を最近任されたので、はりきってやっている。コーヒー豆に限ったくらいの守備範囲でいいのであれば、それは癒しだ。準・癒し。濱口竜介さんが、千葉さんとの対談でジュン他者という言葉を多用していて、純・他者だと思ったから、そんなもんあるわけあるかい、純なんてこと、ましてや自分から出てきたもので、と僕はだからその一連の話をすべて端っこはナメながら聞いていた、でもあとで、どこかのタイミングで準他者だと分かった。上手いこと言うな、とびっくりして、ほっとした。俺の間違いでよかった。
サクッと片付けてみるか。また新しい興味の気配がある。そのことを書くのに残しておいてもいいが、20枚書くのも大事だ。20枚ライティング的には、これを先に片付けておくといい。こういうとき坂口恭平さんの昔みたツイートから生成された架空の「あと5枚、サクッと片付ける」というツイートが目に浮かんで、助けてくれる。
くまざわ書店。駅ナカ店。駅ナカ店のほうが好きだと言っても過言ではない、改札を出なくていいというのもあるが、こじんまりとしていて蔵書には限りがある、だが質の高い気になる選書。僕はこの辺の本屋では、最近は津田沼丸善よりくまざわ書店千葉駅ナカ店が一番好きかもしれない。ややこしいことがない。この一本後の、35分発に乗ろう。15分ある。シンプルにみて回ろう。
マジで!最高だった。すんごい。やっぱりあそこの書評コーナーすげえ。洗練されまくってて、さすがに担当の方と会ってみた方がいいかもしれない。これらの本をいちいち買っていくよりも手っ取り早いのはそれかもしれない。その人と友達になってほうがいいかもしれない。すごい。一生に一度は解きたい数学良問、というのがあって、前にもみたことがありそうだったが、初めて素直に開けた。すごく心躍った。どちらかというと、彼女の弟のトックンにあげるのにいい本かなーという気持ちで開いて、ちょいでも読みづらいかも、と思った。そのとなりに、パンサー尾形の出演する、NHKの笑わない数学、飲用さんというテレビに詳しいTwitterの方がたまにこの番組の引用をしていて気になったことがある、これの本も出ていて、2らしいが、めちゃよかった。中身に関しては、というか本を開いたその中の見た目としては、こちらの方が好みだった。あと、自由について?だっけ、今言いたい?ことって本もよかった。これは立ち読みなし。あと、アリの放浪記という本は背表紙とタイトルで坂口さんがこういうの買ってそうだなーと思って、少し他の本を見てから電車が迫ってきたので、最後に開いてみたら、面白そうで草。あれもよかった。でもとりあえず電車に今日は乗って、この本屋最高だ!って興奮したまま、それを知って、今日のところはそのまま帰るのが一番良さそうだった。何と比べたわけでもないが。