喫緊の問題だん。
むくむくきている感じがする。やる気がか。いろいろだ。なんでもいい。書ければか。そうでもない。じゃあなにか、お金の話をしようじゃないか。ここであらためて。
9/7。実にいい響きだ。今月も1週間が過ぎ去ったというわけだ。つまり、あと3週間。あと3週間過ごせば9月も終わりってわけだ。ざまーねーぜ。ここまで僕はいくら使ったのか。そしてその前に、今月はどういう支出のしかたでいくのか。ようやくその見方が固まってきた。なんにも計算せずに、努めてそうするかんじもあり、ただめんどくさいというか、やるのがなんとなく嫌で、ずるずるやらずにいたら、ようやく、バイトの連勤も終わり、この迷いにも終わりが見えてきた。長かった。これは鬱の時間でもあった。鬱の原因というか、まるっきり、二つの時間は重なっているが、それはたまたまであり、しかし相互に影響を受けあってるのであって、二つが同時に始まり同時に始まるのは、当たり前のことなのである。同語反復も甚だしいと誰かが怒るような、そんな記述だ。今のは。
明日、9/8から9/14まで、ゼロ円でいく。ゼロ円でいくのが嫌ではないということは、ゼロ円でいったほうがいいってことだ。ゼロ円でいってなにも悪いことはないうえに、お金も貯まるからだ。それをするにあたって、僕は1週間の間努めて浪費をしていた。これまでをそう解釈する。ここまで長かった。僕の狙いがみえなかったからだ。どう解釈しようとしてもしっくりこない。しっくりこないまま生きるのにはエネルギーを使う。しかし、エネルギーは使わないものの、なんでもかんでもしっくりきているのよりはいい。それが鬱だ。それが鬱だが、それだけが鬱なのではないから、それを無理に解決したところで、鬱はやまない。だから二つは同時に始まり同時に終わるが、同じではない。そこがややこしいのだが、不思議なことに僕はそれを当たり前に思えている。なぜか、その、しっくりきた方が楽になるんだけどなあと苦しんでいたその渦中にいてさえ、僕は、これを解決すればいいのではないとわかっていた。なぜだろう。これといった理由はない。ひとつに絞れないという意味で。僕の読んできたあらゆる本、あらゆる先生の言葉が理由になる。これをひとつに絞って説明にする必要はない。僕がわかっていればよく、僕はただ、僕が書くべきは、その流れを意のままに、正直に明記することだ。原因、として出どころを暴くのが効果的ではない場面もあるということだ。
帰り道、ドデカミンやお茶を飲みたくならない。ロスになったホットサンドを昼飯の時間に食べて、腹を下すほど食べすぎたのはあるが、それにしても昼過ぎは忙しかったのに、上がったあとにプリンを食べたくならなかった。今もこばらは空いていて、家に着く頃にはぺこぺこで、先に風呂なんか入ろうとしたらふらついてそれどころじゃないパターンのやつだと思うが、なにも食べなくて大丈夫そう。飲み物もいらなそう。お水だけ小さい紙カップで2杯もらってきた。二脚並んだパイプ椅子。水を飲んで、バスケに行こうか考える。
とはいえ一週目にいくら使ったのかは気になる。先月、4000円使えたお金を使わずに持ち越して、毎月これでいこうかなと思いついた。月末に使ってもいいお金を使うかギリギリまで悩み抜いて、使わずにおいたお金がいくらか残って、それを、月初めいつも思いっきり使ったろうと思いつつ一銭めをびびってばかりの僕の、「助走費」にする。とりあえずどう使ってもいいお金。これでお金を使う感覚を経験しておく。それは毎月リセットされて、月初めの僕は毎度極度のビビりに戻ってしまうから。
それがあるにしても、月の頭に使いすぎて、主に本がなぜかとてつもなく色々欲しくなって買ってしまって、さらにびびってお金の計算をしたくなくなったんだ。
ミル自伝は先月で、今月買ったのは、最近買った方から遡っていこう。まずカンタン•メイヤスーの有限性のあとで。千葉さんたち4人が翻訳を担当した本だ。その前にはなぜ働いていると本が読めなくなるのか。これは気になっていたが、これを読んだら負けだという気持ちがあって、でも気になるしなということで買いました。昨日、山下陽光の日記にもこの本のことが書いてあって、持ってるやんけ!今!と嬉しくなってちょっと読んだ。最近、寝る前のさらに前、洗濯機が回り終えるのを待つ30分くらいにあたたかいお茶をいれて、というのもベッドに横になったりすると寝てしまうからだ、そしてティーバッグだが静岡直送と書いた箱に入っている、父お気に入りのたぶんいいやつだ、それを飲みながら、パラパラ本をめくる時間をつくれることに気がついた。読書がもう1.2倍ほど捗る気配。この0.2がでかいよ。精神的には。
その前には、えーともう神保町かな。三省堂書店で、馬しかいない島の本を買った。あれはここでしか買えなそうだな、理論で買うお手本のようなパターンだった。だいたい読めない。読めないが、貴重な文献だとは思う。家でじっくり、立ち読みだと入ってこないから、と自分に説明して買うのだが、なかなか開く気にならない。あんまり自分に合うかは吟味がなされていない、しかし立ち読みしてる時は、最低限これは読めるな、と思って買っているはずだ。ここはもう少し煮詰めていきたいところだ。
神保町でこれを買って、なぜ働いていると本を買って、ちょっとこれ買いすぎだなと思って、そのあとの千葉の三省堂では現代思想入門を、津田沼の丸善ではおれに聞くの?を我慢した。猫に学ぶ、は欲しいような気がするときが多いのだが、立ち読みしてみると毎回違う。あとちょっと高いんだ。
あんまり買ってないのかな。もう一冊くらい買ってるつもりでいたんだけど。月初めの週末で、コメダで4000円くらいかかったのでびっくりしちゃったせいだろうか。あれは助走の4000円ではなく、セオリー通り毎週末の4500円で対応するのがよさそうだ。9月は週末が5回あるから、それでひよってこれにそのまま助走をあてようかなと思ったのだがやめにする。それじゃ楽しくねーよな。楽しくねーとな!
今日、バスケにいかなかったのもでかいよ。その前に、諸交通費のことを思い出そう。
おもしれー雲はたくさん写真に撮れるけど、どうやったら売れるか、陽光さんの展示みて日記読んでからずっと考えている。ひとつの例として、写真を撮るのが好きな女性だかへのアドバイスで、それじゃちょっと普通すぎるから、いやごっちゃになってるな、写真とるのは好きな人は県人会にいってみることをおすすめされて、絵を描くのが好きな人は、絵を描くだけよりも、Tシャツに絵書いて、インスタのホーム画面の12枚ぶんがその絵で埋め尽くされていたら面白そうだと思ってもらえんじゃないか、ってアドバイスをもらっていた。俺もこの雲の写真を、まあパッと思いつくのは坂口さんのパステル画のように絵として印刷することだが、そうしようとしてなかなかできていないので、何か他のやり方を、いや売り方を考えたい。写真集がなんとなく一番だめな気がする。金にするという点では。安く売るにしても、もっとある。それ安くうんのかいと思ってもらえなくては。ならばTシャツか。単純な思考。あとはなんだろうな。本以外の形で、よく僕はそういう考え方をするが、お金の使い方にしても本以外に金使いたいなーとか、あんまりあれうまくいかないんだよな。区切り方としてダサいというか、気分上がってこないよな。ここも要検討。よーけんとー。キートン山田。ムートン石井。
さて。昨日の富士そばのカレーかつ丼?カツ丼カレーはうまいこと財布の現金で打ち消せて、その前だ。ドデカミンを飲んだり、昨日はカルピスソーダの500ミリ缶。その前はアイス3玉。でもそんくらいだ。うん。
神保町でやたら金使ったんだ。タリーズで髪切るまで休憩して、出てから立ち食いそば屋できしめん、そのあと髪切って、そのあともなんと伯剌西爾という喫茶店でコーヒーとケーキ。そのあとさっきの馬しかいない島本を買ったから、印象としては大浪費。でもそうでもなかったのかもしれない。なんか忘れてる気もするんだけどな。
4000円、助走の4000円は明日の川村美術館で使うことにする。グッズ代をケチらないための一歩に使う。明日は4500円の予算じゃ足らんなー。そもそも飯でオーバーするか。そのへんもまあ、そうだな川村美術館は個別で予算を考えよう。飯、まあ飯代だけ考えればとりあえずよくて、6000円くらいあれば足りるかな、そんでグッズ、カタログレゾネがあったら買いたいんだけど、それがあるかで全然違ってくる。あんまりここは詰めないでいいかな。ってことであれかこれ、9月は週末が5回あるので、川村美術館の中はもう個別で予算を立てることにして、他の4週にいつも通り4500円を分配するのがわかりやすいか。そんで、川村記念美術館の週には4000円が先月分からボーナスで出ると。いいじゃない。気が楽。
コンタクトを買おうとしてたんだけど、それは今日のバスケで使いたかったからで、今月じゃなくてもいいなー。来月のほうがお金使いたいイベントが多そうだから、それ今月片付けといてもいいんだけど。まああとのことはまたの機会に考えよう。助走をなにに使うかということと、バスケに行くかどうかということが喫緊の問題だった。doneのスタンプを押す。