ストッパーが効いていて、味のある書き口

たまたま気が向いただけだ。まじで書き出すタイミングってたまたまだと思った。

電車を降りて腹が痛かったので、外房線の発車bgmに合わせて腹痛腹痛げきいたはらいた🎵と歌っていた。マジ痛い。駅のトイレ行けばよかったが、通り過ぎたのでジャスコ。おならを少しずつ出して応急処置。間に合うといいのだが。腹を冷やさないように。ドアをくぐる。まずはそれからで、2階のトイレに男性用はあるか。あるだろう、空いているか。あいていろ、サンマルクカフェからでてくるがき、チョコクロだかをもっている、男性トイレに入る。
シートはちゃんと拭いてから座りました。タツヤはそうしている、と毎回急いでいるときに思う。俺はふくときとふけないときがある。ふけないときは、ふけないときとふかなくてもいいというときがある。腹いてぇ。しばらくはこの状態だ、バイトの途中に抜けてトイレに来てるときは、埒が空かないから第一波を出したらもう腹括ってでてみることが多い。こうしていつまででもいられるときは、スマホなど見て出せるだけ出す。落ち着いてきた。今日は、出始めは割と綺麗で、もしかしたら事前にさっきおならをあらかた出しておいたからかもしれない。さっき和幸に行ってきて、わこうは大好きだから、わこうのあとに腹を壊したなどと思いたくないので、なるべくそうやって綺麗に出てきてくれると、ああ腹は痛かったが案外、そういうわけでもないのかもなと思えてありがたいが、最後に振り返るとそういうことにやっぱりなっている。汚い話を失礼いたしました。


俺にはこれしかねえという気持ちで書き始める。バネじゃなくて、これならいけたよ、だから…鏡。というより、みようとしてそれを「向かい側に映っているもの」においやってこちらにきたわけではないので、電車の窓。僕が好きな、端っこの席と壁越しに面した、ドア横の空間。すみっこ。よくあそこで荷物や長い髪がはみ出して、という文句をTwitterでは聞く。マジでそこ以外では見たことがないと今はじめて思った。

『俳優の肩ごしに』を買っていれば今読むのはその本だったな、とソファで寝転がっているときに思った。今もその気分。切り落とし長崎カステラが9袋も家に帰ったら食卓に置いてあって、多分ふるさと納税で父が頼んだやつだと思うが、一袋につき、5等分してもまだ大きいかなというサイズのぶっといカステラが入っているので、思わず賞味期限をみてしまったら2/15とかで、9本だから、2日で一本くらい食べないといけないのか?と思った。3日に一本くらいかもしれない、今20日か、2月は短いんだった、もう終わるやん。じゃあ、それと、計算違いがただしくはこうだった、というのは二転三転違うところがあるが、そんなこと読み手にはおかまいなし、俺もおかまいなし、書くのがめんどくさいというか、なんなのか明かすまでもなくわかるにはわかる、違うけど、違うねー、たしかにそれは大事だねーと忘れてもいいとは思ってるけど思う。若干暑いかもしれない。寒気のようなものもあるような気がしないでもない。このへんで残りの分量を確認したくなった。1300字に達しようかというところで、とりあえずここまで書ければ、というラインだ。いよいよ「膨らませる」ことを体が自然に受け入れてくれるようになる、ここまでが大変なのだ。だから膨らませているのは1300字までなのだが、実際によく膨らむし、読み物になったときに量が多いのはここから先なのだ。それは読んでいてわかるのだろうか、僕は読み返していてわからないような気がする、せっかくこういう感覚を感じたことがあるのに、読むときには忘れてしまう、それは筆写だったり音読ならなんとなく感じれるものなのか。それが気になる。きになるが、今日はスペースを開く気に微妙にならない。さっきは、なにか手を動かしてテキストを作りたかったけど、文字を書くのがめんどくさかった、スマホで文字を打っている自分の想像がつかなかったので、声で記録できたらなあと思ったが、録音はアホらしく、スペースは気分と少し違い、ちょっと暗雲が立ち込めていたが、なんとかタイミングがきて、それもごぶごぶのところだ、と毎回思って毎回自分を褒めてやっているが、今日は『俺には(やっぱり)これしかねえ!』のだと思って書き始めた。
前回750ハミダシだったから、2,じゃなくね3250。ちょい遠いが、1800字まできている。やはり1200字までをどう書くかに今はかかっている。それが最新の執筆術事情だ。前は2500くらいまで書いたら、実質4000字にいったようなものだ、そこに達したいから、いつもバイトの行きの電車で1200、1300字くらいやはり書いていた気がする。今が前と違うのは、毎回、書き始めた段階で4000字は書かないでも良くなっている、前よりさらに、ただ前へ前へ書き進めることが掲揚されている、多分使い方違うと思うので、なにと掲揚を間違えているのかわかった方、教えてください。掲揚される、で検索したら有名な間違いだから正しい、僕がこれを書く直前にイメージしていたものが出てきてくれるかなと思ったが、出てきそうにない。かといって合っているとも思わない。でも、けいようみたいな読み方で、掲揚とはちょっと字が違うが、言祝がれるみたいな意味の言葉があったはずだ。称揚かな?ああそうかも。称揚の称が、ちょっとケイっぽいじゃないですか。なんていうか。なんでだろう、ああ、弥生時代だからか、みたいなことを思って妙に納得したけど、それじゃなくて、こういうのって2字熟語のソレじゃない方の感じの読み方に持っていかれている場合がほとんどなんだけど、あんたりそれもない。普通に僕がショウヨウなんてヘンだと思って、仕方なしに、パッとしっくりくるケイヨウを選びとって、そのままだったという説明が一番納得できる。
体調回復。
マーガリンの蓋をしめるときに、逆かな、と思って蓋を奥に180度返して、するとバターナイフが邪魔で蓋が閉められなかったので、
「逆かどうかはフタが決めんだよ」
と言ってまた180度返した。

そういえば俳優の肩ごしには文字が大きくて読みやすそうだった。山下さんとの対談も付録でついているし、うん買ったら絶対面白いだろうな、あと図書館ではないな、と思って、いったん棚に戻すつもりで、買わなかった。買ってもよかったが、ここの判断は水物なので、後悔する必要まではない。コーカイ、程度でいい。あるいはコウカイ繋がりで、このことを公開するくらいでもうやることはやっている。イイコトユー🎵


最後に。いや待て、まだ500字くらい残ってんのか、ついつい1100ハミダシ時代のことを思い出してそのペース配分で書いてしまっている、うまりそれをスタンダードにして、背負っていったほうがいいということかもしれない。いま750ハミダシなので、いったんあと500かくじゃん?そのあと、350か。そこまでいったら書くやろな。調子に乗って3500、3800、4200、と量を増やしていくことだろう、その場合はもう一本書けそうだと思うのかな?僕は今日は一本で手一杯だと思っているが、彼はどう思うの?たぶん、口ではもう一本書きたいという、でもおそらく書けないであろうことがわかっている、とも言えるし、書けないであろうと底の底で思っていたほうが自由だから、そこが底である、というタイミングで考えるのをウマイコトやめて、だから心の底では書けないだろうなンナコトイッテ、で、表面上はもう一本書きたい、といって書いている、書かれている文章が組み上がる。うーん、もう少しだ、なかなか今日はストッパーが効いていて、味のある書き口になっている。ビールを飲むように、書くときにもその、口というのがあるのだ。読み口、語り口というのが有名だが、あれは、特に語り口は、ほんとは語られ口なんだよね、語り口か。俺も語り口は語り口って言っちゃうし、音がいいからあんまり反発する余地に気付けないな、ここで強烈に気づきました!って一度言っているのに、また忘れて、思い出すがほにゃほにゃと「わすれ」をかぶせたままそれを考えながらときを過ごして、ほんとに忘れていくことだろうなと思う。

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