“うんち” “そうだよ”
おはようございます!今日は、書き出しをワンテンポ早めてみる。いつもいったんTwitterにいっていたところをいきなり原稿と向き合ってみる。Twitterの時間は、僕にとってはまんま葛藤の時間。読むだけになってるときは少なくともそうな気がする。葛藤をパチパチっとオフにしていってみる。これは葛藤か?悩んでるのか?俺は、と声をかけてみるのだ。
思いついた一文をとりあえずここに放ってみることに、ちょっと前から抵抗するようになった。理由はそんなことをしてもミソッカスみたいな文量にしかならないから。多分それくらい。あとはおまえ、その理屈を援用して、僕の行動を止めるために、さらに、細分化されたような顔をして同じことを言っているだけの文句でそれを助ける。ただでさえ鬱明けの僕は書くのに時間がかかるのだから、さっさと書き始めちゃったほうがいいよ。ほら、そっちのほうが、いいねもらいやすいよ。なんやかんやめちゃうれしいいいね。
足かゆ。足柄一族。足利かそれ、足柄一族ってやたら語感もしっくりくるし、予測変換もパッとでてくるから当たってる方のうろ覚えかと思った。足利尊氏の肖像画をイメージしながら、あれ、あのくらい前のやつは肖像画っていうのかな、とも思いつつ、名前を思い出していた。足柄でないことはわかっていたのだがやけにしっくりくるから、もう近くまできている。
いったん休憩、Twitterをみる。ご褒美でもなく避難所でもない。趣味としてのTwitter。ベン図に書いたら全部重なりそうだが、あ、句点じゃなくて読点にすれば。ご褒美でもなく、避難所でもない、趣味としてのTwitter。そしたら絞れますよねあの部分に。そういうイメージで今からTwitterをみてみようと思います。
BGMはだいたいでいい、他人のものなんだから。他人というと響きが冷たいな、よそのもの。他所。違うところ、ほかのところ。あとは書き始める。だらだらしてんじゃねー、楽しいことなんだから、さっさととりかかれ。
というわけでBTSのEuphoria。ユーフォリアってなんなん?
イタリア語で幸福感、多幸感を意味する言葉らしいです。示唆的。僕はこの曲が好きでした。これもいいな、BTSのなにかなと思ったらENHYPENのBillsだった。静かな曲もあるんや。俺代表曲もあんまり知らんのだけど。英語?
堀越耕平の変態的に上手い絵をみて、エロ、となったあとに山下澄人のツイートで「晩年様式集」という小説を知る。大江健三郎の最後の作品らしいが名前がめちゃくちゃかっこいい。しかも読みがイン・レイト・スタイル。どちらで読んでもいいのだろうが、実際にどちらでよんでもかっこいい。大江健三郎の小説読んでみたかったのでこれにしようかな。さっさととりかかれ!
さっそく中古の通販でもないかと探してみたら、こんなのでてきた。
すげえ英訳されてる上に、教材にも!?と半信半疑でサイトを開いたら、サムネの取り違えだった。新品で買うか図書館で借りるか。ここ最近の俺のポリシーに従えば、試し読みは必須。そんなにたくさん買うお金もあるわけじゃないから。
単行本と大江健三郎全小説15が候補に上がって、新しいから全小説のほうにした。昨日買った宮沢賢治の評伝?も、綺麗だったから買うところまで踏み切れたのだと思う。まずはこれ、普通に激レアじゃね?から入り、宮沢賢治、気になるよなあ、童話作家で偉人ってそんな人いるのか、童話作家とはいわないのか?詩人を取り扱ったシリーズとしてこの本は出ているみたいだけど、吉本隆明著。吉本隆明さんよく名前をみる、どこでみたことがあるんだろう。どう?就活、というイベントがついに気になりはじめて、西村佳哲さんの名前はそのイベントのことを以前にも気にしたことがあったから、かと思ったら、自分の仕事をつくる、を書いた人だった。どうりで。と思った。
まじかよ!!両方に意味があるのかよ!!って思ったけど、どおりの方はただの、今までどおりとかで使うやつか。なんかどっちも変だな。字面が。どおりで、もどうりで、も間違っている気がする。
かてーな日記が、肩こるなーって続けて書こうとしたんだがいまいち、ここに続けるのはちゃう気もする。ならば肩凝るなーのための章を作るしかない。IVEマジで良い曲もらってるなー。一時期のキンプリみたいだよね。もうもらってる曲の質からして違う。いい曲というか隙のない曲というのか、TWICEは俺大好きだけど、ちょっとダサい曲しかないといってもいい。でもイッチーはそうでもないな、アイシーとかワナビーとか完成されてるもんな。衣装はジェーワイピー仕様かもしれないけど。こんなもんかな、行きの電車は2000字近くまで書きました。ひとまずリラックスタイム、ほらさっさといく!
書きます。あと5分したら休憩が終わります。ちょっと眠い。お腹いっぱいすぎて苦しかったけど、なんとかなりました。あと5分ちょっとしたら歩いてお店に戻ります。今は、いつも通り4階の本屋の前にいます。生きのびる事務が僕の買った分しか売れていなくて、あれは平積みしないとダメなんだけどなあ、表紙を見てこそなんだけどなあ、とブーたれながらTwitterを、そういえば書くことよりも先にTwitterをみていました。それからみるものもなくなって、5分くらいは読みたくもないタイムラインをなんとなく眺めていました。惰性でみていただけでした。千葉さんのPDCAの記事は面白かった。
昼寝したいなあ。叶えるか。目を閉じます。
帰宅する。これから。足は疲れたけど腰に痛みがきていない。どちらかというと、一日中家にいるときの方が腰が痛い気がする。寝疲れ?毎回そうなるのもなにか変だ、てかそんなに寝てないし。帰りますかあ。意外と進んでないじゃん、もう3000字の手前くらいまでいっていたと思ってたけど。目頭を小指の爪の先でちょいとかく。小指が痛い。アイフォーサーティーンプロ、イン、アイフェス。重たい。小指で支えるのってたぶんスタンダードな持ち方なんだろうけど、なんかおもろい。変ではある。モンハン持ちみたいな感じだよな。みんながみんなそうやってるのって意外とおかしな見た目なのかもしれない、よね。なんやねんそれ。しれないよね、とひと続きで打つのがしっくりこなかったからワンテンポ置いてみたらムカついた。だいたい俺は語尾というか文末が、で終わるツイートとかが大嫌いなんだよ。あんなに鼻につく書き方ってない。ムロか?ムロツヨシがやりはじめたのか?ムロは悪くない。ムロの特にカッコよくないところを真似してカッコつけた中2のときのカズマが悪い。俺はあれが鼻について仕方がなかったから、ムロのことも未だに見るたびにひっかかる思いがある。ムロはすごく素直な人だ、素直にボケる人。あの人も真面目だよなー。ほんとに知らんけど、やべ降り忘れた。知らんけど、生意気言ってすんません、みたいなことをどう書こうか悩んでたら新小岩で降り忘れた、市川までいくしかない。明日はそんなに疲れてない。座ってたときの方が疲労が色濃かった。休んでるとき、体が休まっているときほど緊張の糸がほぐれて、場合によってはほつれたりして違和感が浮き彫りになる。知らんけど僕は横になってしばらくして、一気に体が重たくなってくると、ああ今体を休められているんだな、と捉えることにしているのだが、合っているのかわからない。間違っているような気がする。以前書いたことがあるが、この考え方は、新宿にあるベルクという安いコーヒー屋さんのマスターが書いた本に、半身浴だかなんだかしてると、あとあったかい靴下とかちゃんと履いてると、疲労が表に出てきてくれる、みたいなことを書いてあって、それを読んだ僕は、もうどこからどこまでが勝手に僕がそう読んだ部分なのか今となっては確かめようがない(ある)けれど、誤読ばっちこい。俺のアイデンティティ、すなわち個性、すなわちセンス、はそうやって磨かれる。ヘタウマ=誤読である。上手いこというね。びっくりした。じゃあそのまんま、誤読を恐れずに、たとえば読むときだけではなく、こうやって書いてるときも、言葉の使い方、誤字脱字レベルのものは30秒かけてググるけれども、みたことのない慣用句の組み合わせ、慣用句の上の句と、別の慣用句の下の句、みたいな組み合わせをガンガンやっていく。ただ注意すべきは、造語って基本ダサいから、無知の造語マジダサいってことだけ頭に入れておく。最低限。こっそりやれ、昨今のツイッタラー(とは呼ばないくらいの新米たち?)による「」と“”の使い方は目に余る。そしてそういうとき僕は、ここぞとばかりに俺は高校一年生の時点でその遊びの面白さに気づいてたけどね、から転じて、高一で終わらせとけよその段階は、とか無敵の威張り方をしたりする。それはそこそこにしとかなくてはならない。君の名はを見たあと、ほな高2なんだけど、おばあちゃんがこれも“結び”、これも“結び”みたいな感じで、言葉の射程を広げていくパフォーマンスを主人公に向けてやっていて、これは..と何かを嗅ぎつけた僕は、適当な、いやまず、なんでもかんでも僕たちの日常に転がってる事象を“結び”であるとこじつけていえないか考えてみた。で、案外言えるもんだから面白くなって、大喜利の3巡目くらいの感じで、もうこれ結びじゃなくてもいんじゃね、と、“うんち”とか、単語じゃないのもすげえおもろいぞ、ということで、“そうだよ”とかやってケヒャケヒャ笑っていた。未だにやる。つまり9年間この遊びは現役。原液でもあるのかもしれないが、もうさすがにうっすいでえ。うっすいカルピスで遊ぶのがTwitterの醍醐味ではあるんだけど、分かってやらないとダサいよねというアレである。そうなんだよ、鉤括弧つけるとまじでなんでも面白いんだよやってみて。